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201204読んだ本【バカチン】

高~い地位に就くと、筆禍や失言を警戒してか、つまらない人間になるね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

倉本一宏編『現代語訳 小右記11 右大臣就任』(吉川弘文館,2020)

精読してないので見落としたかもしれないけど、つまらなくなった(-ω-、) 小生の目が留まったのは
治安元年(1021年)3月19日条の中の次の件(本書41頁)ぐらい〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

     十九日、甲午。

    ・・・権大納言([藤原]行成)の女は、今朝、死亡した。何年来、病者であったが、
    (藤原)長家の室となった。・・・

行成の娘、もともと身体が弱かったんだ( ̄◇ ̄;) 猫に生まれ変わり、菅原孝標の娘たちに飼われて
可愛がられるも焼死(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-12-17 )(´;ω;`)

この後、発生したトラブルは、治安元年(1021年)10月24日条(本書116~117頁)から引く(@_@;)

     二十四日、丙寅。 藤原資平室、実資邸内において死去/御馬乗を補す/斉信、女を
              藤原長家に婚さんとす

    ・・・/宰相(藤原資平)が云ったことには、「来月九日、中宮大夫[藤原]斉信の女が
    着裳の儀を行ないます。□□□右近中将(藤原)長家と婚礼を行ないます」と云うことだ。
    「ところが、あの中将は、一切□□□。去る四月に、妻(藤原行成女)が死にました。
    一周忌の間、他の志はあってはならないでしょう。ところが、その指す意味を知らず、
    ひとえに準備しているものです」と云うことだ。「入道禅室(道長)は、中将を呼んで、
    事情を述べました。中将は涕泣して、言葉はありませんでした。そこで禅室が云った
    ことには、『今となっては、あれこれ申してはならない。あの心に任すように』という
    ことです。これは、権大納言行成が、一昨日、密談したところです〈古い姻戚である。
    すぐに勅使([藤原]経輔)に問うたところ、答えて云ったことには、『周忌の間は、
    他心[あだしごころ]が有ってはならないものです』ということだ。〉」と。もしも相違が
    有れば、長秋(斉信)の大恥となるばかりであろう。「長秋は、中宮□企てていた」と
    云うことだ。「その準備の過差は、もっとも甚しい」と云うことだ。世は許さない□□/

「去る四月に、妻(藤原行成女)が死にました」とあるが、藤原実資自身が(上記の如く)3月19日と
記していたわけだし、また藤原行成の日記『権記』にも「三月十九日卯剋、病者の気、絶ゆ。悲嘆の
甚しきこと為す所を知らず。」とある(@_@;) 『権記』の「四月九日観隆寺北地に斂[おさ]む」と
ある葬送と勘違いしたのかな(@_@;) なお、正確に言うと、現存『権記』には治安元年(1021年)の
部分は欠けており、これらは御物本『更級日記』の傍注で書き込まれていると、関根慶子『更級日記
(上)』(講談社学術文庫,1977)にはある(⌒~⌒) その後は日付と本書の見出しだけ拾っておくと、
治安元年(1021年)10月28日条「長家、斉信女に書状を遣わす」、治安元年(1021年)11月23日条
「藤原斉信、婚儀の際の触穢を秘す」、治安元年(1021年)11月25日条「斉信家、死穢」、治安元年
(1021年)12月18日条「藤原斉信邸焼亡」_φ( ̄^ ̄ )メモメモ この火事で〈・・・「その妻(藤原佐理
[すけまさ]女)および中将(藤原長家)の室は、車に乗って、(源)頼光朝臣の宅に向かった」と
云うことだ。〉(本書175頁)とあるけど、火事で焼け死んだ猫の怨念による祟りの始まりか?と妄想
したくなるのは、この一件がwikiの「藤原斉信」の項に次のように記されているからヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

    ・・・/同年[=治安元年(1021年)]10月に斉信は娘を道長六男の藤原長家の室に望む。
    長家は前年に室(藤原行成の娘)を亡くしたばかりでもあり一旦この話を拒絶するが、
    道長の仲介もあってまもなく長家は同意し婚儀は行われた。しかし、斉信家での
    頓死者の存在を隠して婚儀を強引に行ったらしく、直後の豊明節会において大歌所別当を
    務めるはずであった斉信は参上せず、その後の臨時祭でも長家が祭使を辞任し、
    舞人を務めた藤原経輔も婚礼の夜に斉信邸を訪問していて觸穢が及ぶ事態となった。
    このように強引に進めた婚儀であったが、万寿2年(1025年)流行していた赤斑瘡のために、
    長家室は妊娠7ヶ月で早産して胎児は死亡、母は尼となり、斉信は一生涯魚鳥を食さない
    との大願をかけたが、間もなく室本人も病死してしまった。娘を亡くした斉信の悲嘆は
    甚だしく、父・為光が娘の忯子の追善のために建立した法住寺で開催した七十七日法要では、
    言葉を発することができず、力を落として歩くことすら困難な様子であったという。/・・・

「長家は前年に室(藤原行成の娘)を亡くしたばかり」とあるが、「同年」の誤りであることは上記
の通りだし、加えて「長家は・・・一旦この話を拒絶するが」に注9が付されて「『小右記』治安元年
10月14日条」とあるが、本書101~105頁のどこに書かれているんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
「『小右記』治安元年10月14日条」、上記の如くチョー長いので本書から引かないけど( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

・平安時代のエロテロリスト・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;インリン・オブ・ジョイトイ?正気ならエガちゃん級伝説( ̄◇ ̄;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-18

・ムカデが耳に入り、馬と牛が交接し、神鏡改鋳可否の御前定にヘビが出現するなどの怪異(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-07

・好色で知られた藤原実資に自分が亡くなった後の妻を託す人物がいた∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-16

・藤原実資の身辺には藤原道長側のスパイがいて、その日記『小右記』を盗み見てる疑惑が(¬。¬ )

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-13

・実資の身辺にいるスパイの容疑者として藤原行成が挙げられていたよ∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-20

・ここはやはりフロイト先生の出番かと〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ 話がエロくな・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-06

・「左大将[藤原]公季は、十二月に必ず死ぬ」なる予言が実資のもとにもたらされて大ハズレ(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-25

・和泉式部キタ━━━━━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━━━━━!!!!!! キタヨキタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノキチャッタヨ-!!!!!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-13

・「賢人右府」と言われている実資よりも、ホントは道長の方が読書家なのかもねエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-18

・もし公任も関白になり子の定頼まで関白になってたら定頼は殺生関白と呼・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;コロサレルゾ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-28

・『小右記3 長徳の変』よ、「(紀)正方」ではなく「(多)正方」だヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-03

・記主実資?書写した人?校訂者?誰かが六位相当の「少進」を「少童」と誤記オホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-19

・これぞ、ミステリー( ̄◇ ̄;) 殺人事件の犯人は、その約2年前に射殺されていたエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-20

・代作してくれたママンは既に死んじゃったし、字が読めないことがバレぬように藤原道綱は仮病を
 使ったっぽいと冗談めかして前に書いたけど、新たな証言がキタヨキタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノキチャッタヨ-!!!!!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-15

・繁田信一『殴り合う貴族たち』は『小右記』読みの『小右記』知らずヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-15
タグ:歴史
コメント(8) 
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コメント 8

ニッキー

失言をしないようにして自分の意見を言わなくなる人と、
何か勘違いしちゃって失言しまくりの人に分かれますよねぇ(⌒-⌒; )
適度なバランスというものを身につけた人っていないんでしょうかねぇ(*_*)
by ニッキー (2020-12-04 23:03) 

ナベちはる

地位がそれほど高くないと「失うものがない」のでアレコレ言えることが多いですが、地位が高いと「失うものがある」のでそういうわけにもいかなくなりますよね…(^^;)
by ナベちはる (2020-12-05 00:47) 

middrinn

言われてみれば、おっしゃる通り、
ニッキー様、勘違いしてしまい、
失言連発する人いますね(^_^;)
by middrinn (2020-12-05 07:18) 

middrinn

たしかに、「失うものがない」かどうかなんでしょうね(^_^;)
ナベちはる様、犯罪者に無職の人が多いのもそうですね(^_^;)
by middrinn (2020-12-05 07:20) 

そら

確かに!
でもそれを警戒して保守的になったら何も出来なくなる
何の為に偉くなったんだか分かりませんね・・・。
by そら (2020-12-05 08:41) 

middrinn

黙って仕事するということで、結果を出して
くれれば、それもまた良しですけどね(^_^;)
by middrinn (2020-12-05 09:14) 

tai-yama

平安時代の貴族にとっては、息子よりも娘の方が価値が高かった
のかもしれませんね(出世道具として・・・)。
by tai-yama (2020-12-05 19:22) 

middrinn

かもしれませんね(^_^;) 道長の摂関家に独占されて天皇の外戚にはなれないから、
斉信は長家に賭けたのかな(@_@;) 道長も兄たちが亡くなってるわけだし(@_@;)
by middrinn (2020-12-05 19:28) 

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