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230820読んだ本【バカチン絵巻⑤鬼界篇】 [バカチン絵巻]

ゲーム広告がウザいけど、「どこ見てるの?」(勝利の女神:NIKKE)の後に「それがどうした!」
(銀河英雄伝説)が表示された時には笑った(^_^;) 「ソウルメイデン」のは前より良いかな(^_^;)

【読んだ本(バカチン絵巻⑤鬼界篇)】

杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(二)』(講談社学術文庫,1979)所蔵本

『長谷雄草紙』の謎の一つが、物語の舞台が平安前期なので「・・・この当時、男子成人が冠(貴族
正装)や烏帽子(貴族略装、一般の常装)を忘れたり落したり、ましてや着けぬままでいることは、
最大の無作法であり不恰好であった。・・・」(阪倉篤義&本田義憲&川端善明[校注]『新潮日本
古典集成 今昔物語集 本朝世俗部四』[新潮社,1984])にもかかわらず、烏帽子を着けてない人々
を描いた絵が『長谷雄草紙』に含まれていることである(@_@;) その謎を解く鍵が『平家物語』に
あったので、本書の現代語訳で引く(@_@;)

    /やがて、法勝寺の執行俊寛僧都、平判官康頼、それにこの丹波少将[藤原]成経の
    三人は、ともに薩摩潟の鬼界が島に流された。この島は、都を出てはるばると船旅の
    苦難をしのんで行くところである。船の行き来も容易ではない。島には住む人もまれ
    で、たまに人はいても本土の人とは似ても似つかず、色は黒くて、牛のようである。
    体は毛でおおわれ、言うことばも通じない。男は烏帽子もかぶらず、・・・

「男は烏帽子もせず」(水原一[校注]『新潮日本古典集成 平家物語 上』[新潮社,1979]のだと
「男は烏帽子も着ず」)とあるし、『長谷雄草紙』の烏帽子を着けてない人々の一人は「蒲葵扇」を
持っていて、檳榔を産して団扇を製作していた檳榔島は大隅国にあって(【バカチン絵巻②檳榔篇】
https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-06-04 )、鬼界が島=硫黄島は近いこと
から、『長谷雄草紙』の烏帽子を着けてない人々は都見物に来た鬼界が島の島民・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
鬼が紀長谷雄と並ぶ『長谷雄草紙』のメインキャラだから、脇役に鬼界が島の島民は相応しい(^_^;)
タグ:古典 絵画 説話
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230810読むのを止めた本【バカチン絵巻④論外篇】 [バカチン絵巻]

留学先での博士号やら研究業績というのは、実は下駄をはかせたものなのかもしれないね(@_@;)
日本に留学している外国人研究者だけでなく、外国へ留学した日本人研究者も・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

【読むのを止めた本(バカチン絵巻④論外篇)】

楊暁捷(ヤン ショオジェ)『鬼のいる光景──『長谷雄草紙』に見る中世』(角川叢書,2002)

『長谷雄草紙』には謎が二つある(@_@;) 第一に、物語の舞台が平安前期ゆえ「・・・この当時、
男子成人が冠(貴族正装)や烏帽子(貴族略装、一般の常装)を忘れたり落したり、ましてや着けぬ
ままでいることは、最大の無作法であり不恰好であった。・・・」(阪倉篤義&本田義憲&川端善明
[校注]『新潮日本古典集成 今昔物語集 本朝世俗部四』[新潮社,1984])にもかかわらず烏帽子
を着けてない人々を描いた絵が『長谷雄草紙』にはあること(@_@;) 第二に、その烏帽子を着けて
ない人々を描いた絵には、絵と詞書(=絵の前後にあるストーリーを説明する文章)から成る絵巻物
なのに相当する詞書が無く、しかも『長谷雄草紙』のストーリー展開に関係があるとは思えない絵の
内容ゆえ、どのような意味があるのか解らないという謎がある(@_@;) 【バカチン絵巻③双六篇】
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-07-26 )までの三回にわたって、この
二つの謎に関して五味文彦『中世のことばと絵 絵巻は訴える』(中公新書,1990)のバカチンぶりを
俎上に載せてきたけど、不勉強な上にデタラメな愚説僻論を開陳していた五味文彦がまだマシに見え
てしまうほど論外な研究者が存在したので、今回は【バカチン絵巻④論外篇】エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

問題の烏帽子を着けてない人々が描かれた絵について、本書は「第二章 街角 集う職人たちの群像
──作り上げられた空間」の「賑やかな街角」と題した節で、「長谷雄の通る街角」という見出しを
付けて次のように論じている(本書66頁)Σ( ̄ロ ̄lll)ニャンじゃそりゃあ!?

    ・・・絵を鑑賞する者には、ここに豊かに響き合う平安の街角の賑やかな音と声が
    聞こえてくる。道案内をする男と長谷雄との会話をはじめとして、店で買い物する
    ためのやり取り、棒を振るって猿に向かう子供の叫びと猿の怒り狂った脅かし、
    これを見物する三人の大人のリラックスした笑い声、そしてゆっくりとやってくる
    売り物をする男の掛け声。これらに合わせて、長谷雄と男とのゆっくりした足音、
    店の中の魚を手渡す音、さかんに子供たちの走りまわる音、男が手にする扇子の音、
    などなど、画面に描かれきれていないものまでが想像を誘う。そこに生活していた
    人々の体温、生活のなかから発散する匂いまでが、この一連の画面から鮮烈に
    伝わってくる、/・・・

「男が手にする扇子」だと( ̄◇ ̄;)エッ!? 描かれているのは団扇だヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

団扇を「扇子」と見間違えるんだから日本の絵巻物を研究する能力があるとは思えぬC= (-。- ) フゥー
小松茂美編『日本の絵巻11 長谷雄草紙 絵師草紙』(中央公論社,1988)13頁の「・・・板壁の家の
門口には、太っちょの太鼓腹が、胸をはだけて、土間にどっかとあぐらをすいて、路上を見やりなが
ら、蒲葵扇[ほきせん]を片手に、ゆったりと涼をとっている。」との説明に「蒲葵扇」を「扇子」
と誤解したか(@_@;) だが、どう見ても団扇にしか見えないし、「蒲葵扇」を調べれば団扇と判る
はずで(「蒲葵扇」には重要な意味があることは【バカチン絵巻②檳榔篇】で詳論)、調べなかった
時点で研究者としてのセンスが無いオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)ヾ( ̄o ̄;)もしかして「扇子」だから?

また本書の「第三章 楼上 双六の勝負──鬼と対話する装置」の「楼上の対局」の節の「絵のなか
の時間」という見出しを付けた件で次のように記し(本書104頁)、

    ・・・/前の画面と同じ服を着、同じ烏帽子を被る男は、顔が鬼に変容して、
    対座する長谷雄を見つめる。・・・

本書の「第四章 客殿 密室のなかの日常──故実の虚構と表現」「訪問客の作法」の節の「女性を
連れてくる男」という見出しを付けた件でも次のように記している(本書154頁)(@_@;)

    /絵巻の画面は左へと展開する。うつむき加減の美女のすぐ傍、主人の長谷雄に
    ほど近いところに、訪ねてきた男の姿があった。/男は、堂々とした振る舞いを
    見せている。かれの服装といえば、烏帽子を被り、狩衣上下という恰好である。
    これはこの男が初めて絵巻に登場したときからの一貫した姿である。・・・

小松茂美・前掲書が「・・・長谷雄邸に推参した時、この男は烏帽子であった。が、路上を急ぐ時、
また、朱雀門下にたたずむこの男の頭には、折烏帽子を頂くではないか。」(同書18頁)と指摘して
るのに、楊暁捷は「男」(正体は鬼)の烏帽子が変わってることに注意を払ってるようには見えず、
こーゆーディテールの変化を見逃すようでは、絵巻物の読解・研究なんて無理だよね( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

余談だけど、「太っちょの太鼓腹が、胸をはだけて、土間にどっかとあぐらをすいて、路上を見やり
ながら、蒲葵扇を片手に、ゆったりと涼をとっている」というのは、李白の「夏日山中」に描かれて
いる姿(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-05-15 )にそっくりかと(^_^;)
「棒を振るって猿に向かう子供」も含め黄河流域から来た商人一行だったり(^_^;) 「一般に猿は、
秦嶺山脈を生息地の北限とした。」(植木久行『唐詩の風景』[講談社学術文庫,1999])し(^_^;)

[追記230811]

「余談」について、〈・・・『長谷雄草紙』(永青文庫)に登場する飼い猿も「日本猿」だろう。〉
と榊原悟『江戸の絵を愉しむ─視覚のトリック─』(岩波新書,2003)に指摘があったので、「黄河
流域から来た商人一行」に限定することなく、広く「中国から来た商人一行」とすべきかも(^_^;)
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230726読んだ本【バカチン絵巻③双六篇】 [バカチン絵巻]

頭がマジ悪いのか、どうせ読者には判るまいと思ってテキトーなことを書いたか、どっちだ(@_@;)
はたまた実は最後まで見てなかったとしたら木を見て森を見ず的な愚説僻論オホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

【読んだ本(バカチン絵巻③双六篇)】

五味文彦『中世のことばと絵 絵巻は訴える』(中公新書,1990)所蔵本

『長谷雄草紙』は物語の舞台が平安前期ゆえ「・・・この当時、男子成人が冠(貴族正装)や烏帽子
(貴族略装、一般の常装)を忘れたり落したり、ましてや着けぬままでいることは、最大の無作法で
あり不恰好であった。・・・」(阪倉篤義&本田義憲&川端善明[校注]『新潮日本古典集成 今昔
物語集 本朝世俗部四』[新潮社,1984])のに「烏帽子を着けてない」人々が描かれてる謎があり、
また『長谷雄草紙』は絵と詞書(絵の前後にあるストーリーを説明する文章)から成る絵巻物だが、
「烏帽子を着けてない」人々が描かれてる絵は相当する詞書が無くて、『長谷雄草紙』のストーリー
展開に関係があるとも思えぬ絵の内容ゆえ、どのような意味があるのか解らないという謎も(@_@;)

五味文彦は、絵巻『絵師草紙』の読み解きが主題の本書で、『長谷雄草紙』にも少々言及しており、
上記二つの謎も解き明かしたつもりのようだけれど、第一の謎である「烏帽子を着けてない」理由に
ついての五味文彦の説明(下記引用におけるAの最初の発言)に関しては【バカチン絵巻①団扇篇】
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-05-01 )と【バカチン絵巻②檳榔篇】
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-06-04 )で、この「団扇を持ってる」
「でっぷりした、おなか丸出しの男」が、五味文彦の主張するような「庶民のなかでも、下層の人」
であるとは考え難い所以を古記録の記述など根拠も示した上で論説ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

今回の【バカチン絵巻③双六篇】においては第二の謎についての五味文彦の読み解きが成り立たない
愚説僻論であることを論証するが、先ずは本書から当該件を引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・

    B ・・・あれ! この荷車のある家の人たち、皆、烏帽子を着けてないぞ。近くに
      ぼんやり立っている油売りの行商人みたいな人は、ちゃんと着けているのに。

    A いいところに気がついたね。これは庶民のなかでも、下層の人たちを示しているんだ。
      でっぷりした、おなか丸出しの男は団扇を持ってるね。扇と団扇の違いもあると思うよ。

    B おもしろいなあ。社会史が気にいったよ。でも、どうしてこんな風景を描く必要が
      あるの?話には全然出てこないんじゃあない。主人公の長谷雄は、男に連れ出されて
      ここを通るんだけど「おとこにしたがひてゆくに、朱雀門のもとにいたりぬ」としか
      詞書には書かれていないよ。

    A そう、肝心なところがそこなんだよ。絵と詞書との関係をしっかりとつかむ。
      絵の領域と詞書の領域があるとすれば、それぞれがどう交わるか、考えてみるんだ。
      ここは絵の領域だね。その前後を見ると、長谷雄の邸宅と朱雀門だろう。その中間に
      位置している。なにかその間に変化はない?

    B えー、どれどれ、うーん、そうか。朱雀門で双六をしている男が鬼の姿をしているぞ。
      前後で男が鬼に変わっている。

    A そうなんだ。朱雀門は鬼の住む他界、それに対して長谷雄の邸宅はというと。

    B この世。だからあの場所は、この世とあの世を結ぶ境界の地となる。

    A そう。長谷雄が家を出て朱雀門にいく。絵は自然の流れによって、いつしか他界に
      向かっていることをあの境界の地は示しているんだ。

    ・・・

朱雀門は「鬼の住む他界」=「あの世」ゆえ「男が鬼の姿をしている」と尤もらしく説明してるが、
『長谷雄草紙』の物語のラスト近くには、内裏から長谷雄邸への大路で男が長谷雄の牛車の前に立ち
はだかり約束を守らなかった長谷雄を非難しながら筋骨隆々たる赤鬼の姿で迫ってくる場面があり、
『長谷雄草紙』では朱雀門でなくても「男が鬼の姿をしているぞ」ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

その場面は、本書の刊行時とは異なってインターネットが普及した現在ではネットで画像検索すれば
容易に見ることも可能だが、小松茂美編『日本の絵巻11 長谷雄草紙 絵師草紙』(中央公論社,1988)
から当該場面の詞書釈文の第五段(同書94頁)と小松茂美による絵の説明(同書32頁、35頁)を順に
引用しておく( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    /かくて三月許りありて、夜更けて中納言/内より出でられける道に、
    ありし男来合ひ/て、車の前の方より来て、・・・この男は朱雀門の鬼/
    なりけり。・・・

    ・・・/とこうするうちに、三か月の月日が去った。/とある夜更け、
    内裏を退出した長谷雄の牛車の前に、あの男が立ちはだかった。/・・・

    ・・・/路上に鬼と出会う長谷雄/白丁二人の松火[たいまつ]に
    照らされながら、一輛の八葉車が、夜更けの京大路を、乾いた音を
    きしませながら、輪をとどろかせる。/・・・

そもそも「朱雀門で双六をしている男が鬼の姿をしている」のは、五味文彦が言うように「朱雀門は
鬼の住む他界」だからではなく、紀長谷雄との双六で「・・・負けがつのって、瞋恚[しんに]の焔
[ほむら]を燃やし、いつしか化けの正体を現わしたのである。・・・」と小松茂美も前掲書20頁で
読み解いたように(朱雀門の楼上の絵で鬼が烏帽子を着け服を着てることから推定して双六を始めた
時には人間の姿だったけど)長谷雄に双六で負け続けたため過度の興奮のあまり人間の姿を保てなく
なってしまったからであり、五味文彦がこの場面の面白さを解らぬとは笑止オホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
『長谷雄草紙』の物語全体(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-03-31
から言えるのは、鬼は場所を問わず人間に化ける力があるも、力を発揮するには冷静さが必要(^_^;)

『長谷雄草紙』に描かれた「蒲葵扇」を「団扇を持ってるね。扇と団扇の違いもあると思うよ」と単
なる「団扇」としか認識できないくせに「社会史的な手法」を名乗るなんて烏滸がましいが、そんな
バカチン五味文彦がまだマシに見えるバカチン研究者のことは【バカチン絵巻④論外篇】で(ノ゚ο゚)ノ

・五味文彦『源実朝 歌と身体からの歴史学』(角川選書,2015)

「渚」を「大海」とする東大名誉教授の読解力ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 「大海にもまれる小舟」とは笑止で、
「渚」=波打ち際(水と陸の境界)を綱で曳航されてる小舟の意だよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-04
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230604読んだ本【バカチン絵巻②檳榔篇】 [バカチン絵巻]

そもそも社会史は従来の歴史学が政治史中心であることへの異議申し立てで、文化史に弱~い従来の
歴史学研究者が流行に乗ろうと絵巻の読み解きに挑戦しても知識・教養の無さを晒すだけかも(^_^;)
いずれ買うつもりだった7000円の古本とは別の7000円の古本が露伴の所為で欲しくなった(ノ_-;)ハア…
変な日本語のコメしちゃって、気付いて修正しようとしたら既に修正できない状況になってた(^_^;)

【読んだ本(バカチン絵巻②檳榔篇)】

五味文彦『中世のことばと絵 絵巻は訴える』(中公新書,1990)所蔵本

『長谷雄草紙』は物語の舞台が平安前期ゆえ「・・・この当時、男子成人が冠(貴族正装)や烏帽子
(貴族略装、一般の常装)を忘れたり落したり、ましてや着けぬままでいることは、最大の無作法で
あり不恰好であった。・・・」(阪倉篤義&本田義憲&川端善明[校注]『新潮日本古典集成 今昔
物語集 本朝世俗部四』[新潮社,1984])のに「烏帽子を着けてない」人々が描かれてる謎(@_@;)

五味文彦は「烏帽子を着けてない」理由を本書で次のように説明Σ( ̄ロ ̄lll)ニャンですとぉ!?

    ・・・

    B ・・・あれ! この荷車のある家の人たち、皆、烏帽子を着けてないぞ。近くに
      ぼんやり立っている油売りの行商人みたいな人は、ちゃんと着けているのに。

    A いいところに気がついたね。これは庶民のなかでも、下層の人たちを示している
      んだ。でっぷりした、おなか丸出しの男は団扇を持ってるね。扇と団扇の違いも
      あると思うよ。

    ・・・

「庶民のなかでも、下層の人たち」は烏帽子を着けぬという説明が正しいのかどうかは不明(@_@;)
だが、「団扇を持ってる」から「庶民のなかでも、下層の人」だと断定するのは、貴族に「団扇」が
献上されているなどの諸事実があるので誤りであると「230501読んだ本【バカチン絵巻①団扇篇】」
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-05-01 )では指摘したC= (-。- ) フゥー

小松茂美編『日本の絵巻11 長谷雄草紙 絵師草紙』(中央公論社,1988)の説明を丁寧に読んだら、
「でっぷりした、おなか丸出しの男」が、五味文彦の主張するような「庶民のなかでも、下層の人」
であるとは考え難い所以を今回の【バカチン絵巻②檳榔篇】で説明する〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

「でっぷりした、おなか丸出しの男」を小松茂美は前掲『日本の絵巻11 長谷雄草紙 絵師草紙』13頁
で次のように描写(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-04-18 )(⌒~⌒)

    ・・・/さて、板壁の家の門口[かどぐち]には、太っちょの太鼓腹が、
    胸をはだけて、土間にどっかとあぐらをすいて、路上を見やりながら、
    蒲葵扇[ほきせん]を片手に、ゆったりと涼をとっている。/・・・

五味文彦は「蒲葵扇」を単なる「団扇」と考えたようだけど、「蒲葵[ほき]」が檳榔[びろう]の
漢名(中国名)であることに気付かなかったから、その意味を読み解けないオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

檳榔[びろう](字は同一も檳榔[びんろう]は全く別の植物である)と言えば、牛車の檳榔毛車で
知られており、石村貞吉(嵐義人校訂)『有職故実(下)』(講談社学術文庫,1987)から引く(^^)

    ・・・/檳榔毛車[びろうげのくるま]は、一に毛車ともいう。檳榔の葉を
    細く割いて毛のようにして、屋根に葺いてあるのでこの名がある。・・・
    また檳榔につき、『飾抄』には、近衛家の九州における荘園から得たもので、
    ・・・/・・・近衛家の領地であった志摩戸の庄というのは、島津の庄のことで、
    今大隅国南諸県郡志布志村夏井埼の南、海上五、六町に在る岩嶼で、蒲葵[ほき]
    を産する檳榔島のことである。おびただしく檳榔を産し、土地の人はこの檳榔を
    もって団扇や笠を製した。中古にはこれを京に送って、牛車を飾り、屋根を
    葺いたのである。『西宮記』には、「檳榔毛、太上皇以下、四位已上通用」と見え、
    親王・大臣・納言・参議・散二、三位みなこれを用い、・・・古くは僧綱も乗り、
    女房も、賀茂祭の女の使、並びに入内のときにも用いた。・・・

大隅国の「檳榔島」で「産する」「檳榔をもって」「製した」「団扇」が「蒲葵扇」とv( ̄∇ ̄)ニヤッ

さて、さて、さ~て!同書の上記説明にもある通り、檳榔毛車は高位顕官の公用車なわけだが、この
檳榔[びろう]について、藤原実資の日記『小右記』の長和3年(1014年)12月25日条には藤原道長
が「檳榔は、はなはだ得難い」と発言して、藤原公任も「檳榔は得難い」と発言している事実が記録
されてるんだよね(倉本一宏編『現代語訳 小右記6 三条天皇の信任』[吉川弘文館,2018]282頁&
283頁⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-05-10 )オホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

最高権力者として国内外の富が集まっていた藤原道長ですら「得難い」檳榔で作られた「蒲葵扇」を
「庶民のなかでも、下層の人たち」が持ってるなんて考え難いだろヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

吉野裕子『扇 性と古代信仰』(人文書院,1984)は、「ビロウ」(=檳榔[びろう])に関し「沖縄
ではビロウは御嶽(日本の神社の祖型と考えられる神霊祭祀の場所)の神木とされている。」ことや
「ビロウの葉を乾燥して形をととのえ、蒲葵扇[くばせん]という団扇がつくられる。」こと、また
「日本の最重要の祭、践祚大嘗祭にビロウが用いられている。」こと等を指摘(同書71頁)し、更に
「蒲葵扇」についても詳述しているので同書72~74頁(返り点等は省略した)及び76頁から引く(^^)

    ・・・暑気払いの料としてビロウの葉を晒し、乾燥させてこしらえた檳榔扇は朝廷の
    貴族の間には早くから使われていた。・・・/・・・[『続日本紀』]宝亀八年
    (七七七)五月の条に、渤海使史都蒙[しとも]らの帰国に際し、[光仁天皇から]
    絹・糸・綿・黄金・水銀・水晶の念珠などにそえて、檳榔扇十枚が贈遣されている
    ことが見えているが、これは炎熱下の航海に、平安と涼気をおくることを意図された
    ものであろう。・・・/ビロウは遠い南の島に育つ樹であり、しかも神木とされて
    いたから無闇に伐採することができず、しだいに増してくる需要をみたすわけには
    いかなかった。檳榔扇は貴重品で高位の人々のためのものであったに違いない。・・・
    檳榔扇のような摺りたためない形の扇、つまり今日のウチワの形をしたものが当時
    このほかにもあったということである。/天平勝宝八年六月、正倉院に納められた尺八
    に刻面されている「婦女嬉遊図」には数人の官女が野遊しているさまが画かれているが、
    そのうちの一人が手にしているのは明らかに団扇である。柄からつづいた一本の条が、
    はっきりとウチワの中心を通っていて、それはたしかに中国の翳[さしは]、または
    団扇のつくりである。この図は中国の図柄を模したものかもしれないが、当時すでに
    おびただしい物品、調度が舶載されてきているから大陸の翳、または団扇も輸入されて
    国内にあったとしても少しもふしぎではない。/・・・/なお晩唐の詩人、李商陰
    (八一二-八五八)の詩に「何人書破蒲葵扇 記著南塘種樹時」というのがあり、また
    李嘉祐に「南風不用蒲葵扇 沙帽閑眠対水鷗」という詩があってともに檳榔扇のことが
    詠まれている。李商陰の生年、八一二年は渤海使、史都蒙に檳榔扇が贈遣された年、
    七七七年から数えれば、わずか三十五年後である。ほぼ同じころ、大陸でも日本でも
    檳榔扇が特殊の階層の人にもてはやされていた。ビロウは華南に自生する。その扇は
    そこから唐の都をへて[ママ]、高麗から日本に渡来したのか、または南海の島から
    九州を経て、大和に入ったのか、檳榔扇の足どりはどうだったのだろう。渡来の足どり
    とともに、日本国内における暑気をはらう実用扇としての檳榔扇の足どりもまた不明
    である。九三四年(承平四)、源順によって撰された『和名抄』の蒲葵扇(檳榔扇)の
    項には、

     蒲葵扇 晋書云蒲葵扇今案蒲葵者或木別名也今称蒲葵者以蒲作之

    とみえていて、檳榔扇のことがもう何か曖昧になっている。・・・/この『和名抄』の
    なかに「蒲扇」という名称が見えているが、当時蒲葵扇に刺激されたものか、あるいは
    古代からあったものか、とにかく植物の繊維で団扇をつくることがあったらしい。・・・


    ・・・/七-九世紀にかけて日本国内には大陸や南の島から伝来の種々の団扇が存在
    した。つまり中国の団扇と南方の檳榔扇である。・・・/それに反して南方の檳榔扇
    は手にもって軽く、耐久性もあり、暑気払いの具としてむし暑い日本でまことに有用
    だった。けれども欠点は供給の少ない貴重品ということである。/・・・/そこで
    中国の団扇から刺激されて、その円形と人工的な柄をつけることを真似し、一方檳榔扇
    の軽さと暑気払いの機能を求めて、この中国の団扇と檳榔扇の二つを祖型としてほぼ
    八世紀の後半にわが国に豊富な竹と紙を使って今日のようなウチワができ、檳榔扇は
    急速に一部の用途をのぞいて(それは後述するが)、姿を消してしまったのではなか
    ろうか。それがおよそ一世紀半後にあらわれた『和名抄』に檳榔扇のことがあいまいに
    なり、一方ではアフギとウチワの区別がはっきりされるようになっている理由ではある
    まいか。/・・・

『日本大百科全書19』(小学館,1988初版第一刷)も「ビロウ〔檳榔〕」の項に「・・・『続日本紀』
に檳榔扇[へん]が斎宮式[いつきのみやしき]の供物としてあげられている。」と湯浅浩史が書い
てた(^_^;) 吉野裕子の所説によれば、紀長谷雄(承和12=845年生~延喜12=912年没)の時代には
「蒲葵扇」は「姿を消してしまっ」ていたことになるけれど、「供給の少ない貴重品」であることは
変わりがない(^_^;) 平安中期の藤原道長(康保3=966年生~万寿4=1027年没)の時代に至っても
「檳榔は、はなはだ得難い」わけだし(^_^;) 「蒲葵扇」は五味文彦が主張するように「庶民のなか
でも、下層の人たち」が所持するような物ではないということオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*) 「太っちょ
の太鼓腹」は実は貴族であるとか主張するつもりは全くなく、貴族に何かコネのある人物かと(^_^;)
小松茂美編『日本絵巻大成7 餓鬼草紙 地獄草紙 病草紙 九相詩絵巻』(中央公論社,1977)所収の
『病草紙』は「・・・十二世紀半ば過ぎの制作であること疑いない。・・・」(同書77頁)が、その
「鼻黒親子」は「ある真夏の昼下がり、これは下級武士一家の団欒の一こまである。・・・腰刀をさ
した、この家の主は、手に持った蒲葵扇[ほきせん]で風を送っている。・・・」(同80~81頁)姿
が描かれているけど、やはり単なる「下級武士」では片付けられないのではないかと愚考する(^_^;)
『長谷雄草紙』で「太鼓腹も、鈎っ鼻も、そして子供の父親も、一様に頭にかぶり物がない」のは、
「絵師は実は烏帽子を被らなくてもよい後世の人間で、その時代感覚で烏帽子を描かなかったのかと
愚考」して、「問題の絵とその前後の絵も別の後世の絵師が後から描き足した(から対応する詞書も
ない)のかなと思ったりもしたが」、【バカチン絵巻④論外篇】ではチャールズ・ライト・ミルズの
社会学的想像力ならぬ歴史学的妄想力で思い付いた愚見でも披露しようかとオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

五味文彦は絵巻への「歴史学からの接近の方法」に「社会史的な手法」があり、「この方法は、絵に
描かれているモノやシグサにまず注目するんだ。人の身なり、持ち物、小道具などなど、それらがど
んな使われ方をするか、あるいはなにを象徴しているか、疑問を発する。そしてその読み解きをして
いくんだ。」と高説を垂れながら、「蒲葵扇」を「・・・団扇を持ってるね。扇と団扇の違いもある
と思うよ」と単なる「団扇」としか認識できないくせに「社会史」を名乗るとは烏滸がましい(^_^;)

・五味文彦『源実朝 歌と身体からの歴史学』(角川選書,2015)

「渚」を「大海」とする東大名誉教授の読解力ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 「大海にもまれる小舟」とは笑止で、
「渚」=波打ち際(水と陸の境界)を綱で曳航されてる小舟の意だよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-04

[追記230627]

『長谷雄草紙』の「蒲葵扇」は、『病草紙』のソレとは違って、形状が丸くないけれど、岐阜市歴史
博物館(編著)『日本のうちわ ~涼と美の歴史~』(岐阜新聞社,2001)15頁の「1-19 方扇」の
説明文に〈中世の絵巻に描かれている方扇と同じものである。蒲葵などの植物繊維を編んで作る。柄
と扇部は一体で作られ、柄の位置を扇部の中心線上にするため変形した方形になっている。修験の僧
が持つ「蒲葵扇」も、これと同じ形状であった。〉と記されている〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
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230501読んだ本【バカチン絵巻①団扇篇】 [バカチン絵巻]

貰った団扇には政治家の顔の写真かイラスト、氏名、政策が記載されていたはず・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

【読んだ本(バカチン絵巻①団扇篇)】

五味文彦『中世のことばと絵 絵巻は訴える』(中公新書,1990)所蔵本

絵巻『絵師草紙』(小松茂美編『日本の絵巻11 長谷雄草紙 絵師草紙』[中央公論社,1988]所収)
の読み解きに取り組んでいる本書だが、『長谷雄草紙』にも少しばかり言及していて、例の謎の絵
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-04-18 )に登場している(小松茂美の
言う)「太鼓腹」「鈎っ鼻」「子供の父親」の三人だけ何故か烏帽子が描かれていない理由に関する
説明には首を傾げた(@_@;) 絵巻への「歴史学からの接近の方法」に「社会史的な手法」があり、
「この方法は、絵に描かれているモノやシグサにまず注目するんだ。人の身なり、持ち物、小道具な
どなど、それらがどんな使われ方をするか、あるいはなにを象徴しているか、疑問を発する。そして
その読み解きをしていくんだ。」とした上で、五味文彦は本書で次のように述べている(@_@;)

    ・・・

    A ・・・君の持っている『日本の絵巻』十一には、同じ本に『長谷雄草紙』が載って
      いるだろう。それを見ようか。これの成立したのは、鎌倉時代とみられているから、
      [『絵師草紙』と]時代にずれはない。

    B あるある。[中納言紀]長谷雄卿の邸宅と庶民の家らしいところに。

    A これは立派な牛車。そしてこちらは荷車。まさに・・・車は家・身分を示す道具
      として描かれてるんだ。

    B ・・・あれ! この荷車のある家の人たち、皆、烏帽子を着けてないぞ。近くに
      ぼんやり立っている油売りの行商人みたいな人は、ちゃんと着けているのに。

    A いいところに気がついたね。これは庶民のなかでも、下層の人たちを示している
      んだ。でっぷりした、おなか丸出しの男は団扇を持ってるね。扇と団扇の違いも
      あると思うよ。

    ・・・

『長谷雄草紙』は平安時代が物語の舞台ゆえ「・・・この当時、男子成人が冠(貴族正装)や烏帽子
(貴族略装、一般の常装)を忘れたり落したり、ましてや着けぬままでいることは、最大の無作法で
あり不恰好であった。・・・」(阪倉篤義&本田義憲&川端善明[校注]『新潮日本古典集成 今昔
物語集 本朝世俗部四』[新潮社,1984])のに「烏帽子を着けてない」人々が描かれてる謎(@_@;)

五味文彦は、『長谷雄草紙』の「烏帽子を着けてない」人々は「庶民のなかでも、下層の人たち」と
断定する(@_@;) 「庶民のなかでも、下層の人たち」と断じた根拠は、「社会史的な手法」なのか
「扇と団扇の違い」で、「でっぷりした、おなか丸出しの男」は「団扇を持ってる」からと(@_@;)

「庶民のなかでも、下層の人たち」は「烏帽子を着け」ぬという文献上の根拠があるのかね(@_@;)
「衣食足りて礼節を知る」という感じで尤もらしく聞こえるけど、典拠を示してほしかった(@_@;)

超胡散臭いのは、「でっぷりした、おなか丸出しの男」、すなわち、小松茂美の言う「太鼓腹」を、
「団扇を持ってる」という理由で「庶民のなかでも、下層の人」と認定した点と、その前提として、
「扇と団扇の違い」によって、その所持・使用者の階層が読み解けるとする点の二つである(@_@;)

先ずは後者について、まさか「団扇」は「庶民のなかでも、下層の人たち」が所持・使用するもので
あって貴族は「団扇」なんか所持・使用しない、と五味文彦は考えているのだろうか( ̄◇ ̄;)エッ!?

藤原実資の日記『小右記』の長和2年(1013年)9月24日条を、倉本一宏編『現代語訳 小右記6 三条
天皇の信任』(吉川弘文館,2018)92~93頁の訳で引くC= (-。- ) フゥー

     二十四日、癸丑。 入宋僧念救と談説/敦康親王の才智、明朗

    入唐僧念救が来て、終日、宋の事を談説した。「唐[から]〈宋と号す。〉に滞在する
    こと、十一年です」ということだ。団扇一枚・笛竹一・『老子道経』二帖を志した。
    昨夜、帥宮(敦康親王)に於いて作文会が行なわれた。左大臣[道長]及び詩作を得意
    とする卿相が会合した。後日、四条大納言(公任)が云ったことには、「帥宮の才智は、
    はなはだ朗かである。もっとも感嘆に足る、感嘆に足る」と。

「団扇一枚・・・を志す。」とあるように、バリバリの貴族(当時は大納言)である実資は念救から
「団扇」を献上されてるじゃんか( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚ 「団扇」が「庶民のなかでも、下層の人たち」の
所持・使用するものなら、念救は実資に贈ったりはしないはずだろヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

『栄花物語』では、巻第二十七「ころものたま」に「・・・持たせ給へり。・・・中納言殿は団扇。
・・・」(松村博司『日本古典評釈・全注釈叢書 栄花物語全注釈(五)』[角川書店,1975])、巻
第三十七「けぶりの後」に「・・・/左の大殿・右の大殿・内の大殿など、さまざまに団扇、・・・
などぞ持たせ給へりし。・・・」(松村博司『日本古典評釈・全注釈叢書 栄花物語全注釈(七)』
[角川書店,1978])とあり、中納言や左大臣等が「団扇」を持っているが、前者は枇杷殿御八講、
後者は高陽院宸筆御八講で ともに五巻の日の神仏に捧げる供物として(⌒~⌒) 神仏への捧物にも
なるんだし、「団扇」は「庶民のなかでも、下層の人たち」の専有物とは言えないかとv( ̄∇ ̄)ニヤッ
つまり、「団扇」の所持だけで「庶民のなかでも、下層の人たち」とは断定はできぬ( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

この『栄花物語』の「団扇」を松村博司は『願文集』の記述に基づき銀で作られたものとしてるが、
念救が実資に献上した「団扇一枚」も銀製かと言えば、そうではなくて、ある木の葉っぱで作った物
だろうv( ̄∇ ̄)ニヤッ 五味文彦は見落としてるが、『日本の絵巻11 長谷雄草紙 絵師草紙』にヒント
があり、「太鼓腹」は「庶民のなかでも、下層の人たち」とは考え難いのだオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
タグ:古典 歴史 絵画
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