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240505読んだ本【バカチン】

最近リテラシーという言葉を見かけないけど「△■に隠された◇▼の暗号」の類いは胡散臭い(^_^;)

【読んだ本(バカチン)】

中西進『辞世のことば』(中公新書,1986)所蔵本

    ・・・/ここで宗祇は死を迎えた。うわ言のように「定家卿に会った」など
    といっていたが、冒頭の句[=「眺むる月にたちぞ浮かるる」]を沈吟し、
    「我は付けがたし。皆々付け侍れ」といって死んだという。眺めている月に
    心が誘われて浮かれてしまうという句で、この上の句を空白のままにして
    口を閉じたのである。・・・

中西進は「眺むる月にたちぞ浮かるる」を和歌の下の句の七七と解し、宗祇は弟子たちに「上の句」
の五七五を考えて「◇△▼▲□ ◆□■◇▲△▲ □▲□△■ 眺むる月に たちぞ浮かるる」という
五七五七七の辞世の歌を完成させなさいと遺言したと(@_@;) しかし、中西進は参照してないが、
宗祇の最期を看取った弟子の宗長は『宗祇終焉記』で次の如く記している(福田秀一&岩佐美代子&
川添昭二&大曾根章介&久保田淳&鶴崎裕雄[校注]『新日本古典文学大系51 中世日記紀行集』
[岩波書店,1990]所収の鶴崎裕雄&福田秀一(校注)『宗祇終焉記』から引く)( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    ・・・又此たびの千句[=〈先の「鎌倉近き所」で行った千句連歌〉]の中にありし
    前句にや、「ながむる月にたちぞうかるゝ」といふ句を沈吟して、「我は付がたし。
    皆〻付侍れ」などたはぶれに言ひつゝ、灯火の消ゆるやうにして息も絶えぬ・・・

御覧の通り、宗祇は「眺むる月にたちぞ浮かるる」の七七を前句として五七五の付句を促しており、
「眺むる月に たちぞ浮かるる ◇△▼▲□ ◆□■◇▲△▲ □▲□△■」の形の連歌だよね(^_^;)

とはいえ、小生は連歌には詳しくないので、廣木一人『シリーズ日本の旅人 連歌師という旅人 宗祇
越後府中への旅』(三弥井書店,2012)234~235頁から引く(^_^;)

    ・・・/ところが、宗祇は夜中になると急に苦しみ出す。夢で藤原定家に会ったという。
    そして、「玉の緒よ」の和歌を口ずさんだ。回[ママ]りの人々はこの歌は式子内親王
    の歌なのに、といぶかしがった。人々は宗祇の意識が混濁して誤ったと思ったのかも
    知れない。しかし、金子金治郎も『旅の詩人 宗祇と箱根』の中で指摘しているように、
    当時、定家と内親王は恋愛関係にあったとする伝承があった。金春禅竹の謡曲『定家』は
    その伝説を扱った作品である。宗祇は夢の中で歌聖、藤原定家に出会い、その悲恋に思い
    を馳せたのではなかろうか。/さらに宗祇は鎌倉あたりで行った千句の中の句、

      眺むる月に立ちぞ浮かるる

    を口にし、付けるのがむずかしいと弟子たちに付句を促した。/この句は宗祇自身の作品
    ではないと思われるが、名月の美しさに気持ちが浮かれてくる、という内容で、風雅に
    生きた宗祇を象徴するかのような句と言えるものであろう。生涯、文学に生きた宗祇に
    ふさわしい、安らかな最期であったことを暗示して、宗長は宗祇の死を伝えている。
    ・・・

「眺むる月に立ちぞ浮かるる」は亡くなる数日前に鎌倉近くで行なった千句連歌での句で、しかも、
「この句は宗祇自身の作品ではないと思われる」となると、辞世の句には相応しくないような(^_^;)

これまた前にも引いたけど、この鎌倉の近くで行なわれた千句連歌について宗長は『宗祇終焉記』で
次のように記している(^_^;)

     ・・・

      老の波幾返りせば果てならん

       [←「宗祇の付句。波のように毎年寄せ来る老いの年を幾度
        繰り返せば人生は終わるのだろうか。」と前掲書の脚注]

    思へば、今際[いまは]のとぢめの句にもやと、今ぞ思ひ合せ侍る。/・・・

つまり、「老の波幾返りせば果てならん」が辞世の句だと宗祇没後に宗長は気付いたというのだが、
廣木一人・前掲書228~229頁は次のように指摘している( ̄◇ ̄;)

    ・・・宗祇はここ[「鎌倉近き所」]で元気に千句連歌に参加した。『宗祇終焉記』
    にはその中から「八十まで」と「老の波」の付句二句が前句とともに載せられている。
    /はじめの付句は、今日までの命だと思いながら暮らしていた頃は遠い昔になってしま
    った、という前句に対して、いつ八十歳になるまで生きながらえようと思ったことか、
    とした句である。/次の句は、旧年から新年への年の瀬を越えていく人、つまり新しい
    歳を加える人がいない、という前句に対して、私の方は波のように寄せてくる年齢を
    何度繰り返せば人生の終わりになるのであろうか、とする。/連歌における平句は一般
    には実際の心情を詠むことはないが、宗長はこれらの句に宗祇の真情を読み取ったので
    ある。/・・・

奥田勲(日本歴史学会編集)『宗祇』(吉川弘文館人物叢書,1998新装版)231頁も次の指摘(@_@;)

    ・・・さらに江戸城滞在の折、宗祇は重態になったが、回復した。驚くべき生命力で
    ある。しかも連歌に触れると気力もよみがえり、鎌倉近くの相模守護代上田の館(現
    横浜市神奈川区幸ヶ谷)で、七月二十四日から二十六日にかけての千句連歌に出座し、
    百韻中、十句、十二句などの句数をこなしている。上田の名は[三条西]実隆の
    「再昌草」によって知られる。宗長も当然参加していて、宗祇の句に注目している。
    高齢病身でありながら、普段よりも面白い句が多いことに感嘆し、さらに、「けふのみ
    と住む世こそ遠けれ」に付けた宗祇の句「八十までいつかたのみし事ならむ」とか、
    「年のわたりはゆく人もなし」に付けた「老のなみいくかへりせばはてならん」などに、
    後から考えて、師は自らの死を予感していたのだと思い当たったと述べている。連歌の
    付合は、個人的な感慨よりも詩としての流れが優先するものだが、宗祇は随所に自らの
    想いをちりばめることをしていたのである。/・・・

奥田勲によれば「宗祇は随所に自らの想いをちりばめることをしていた」ようだけど、宗祇は例外で
あるらしく、「連歌における平句は一般には実際の心情を詠むことはない」、「連歌の付合は、個人
的な感慨よりも詩としての流れが優先するもの」という連歌の一般論が興味深い(⌒~⌒) 明智光秀
の「時は今雨が下しる五月哉」を発句とする愛宕百韻には「打倒平氏・源氏台頭の寓意が込められて
いた」とか何とかね(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-11 )(^_^;)
タグ:伝記 紀行 歴史
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

いまわのきわの句は暗号だったり・・・。
私も死ぬ間際になったら、急に記事が面白くなったり(笑)。
by tai-yama (2024-05-05 19:19) 

middrinn

座布団も次々獲得するようになり10枚に達したり(^_^;)
by middrinn (2024-05-06 05:24) 

そら

私もリテラシーが高ければなぁと
常々思っております(^^;
by そら (2024-05-06 05:29) 

middrinn

疑わずに真に受けてしまう人は、人が好い
ということで良いことでもあるかと(^^)
by middrinn (2024-05-06 05:59) 

df233285

何れにしても宗祇の「最晩年話」や「最期の連歌話」等は
三条西実隆にも情報が届いているように、私には見える為、
確か三条西実隆の孫だと私は記憶しますが。水無瀬兼成が、
自分の書いた将棋駒に、自分の氏名では無くて、年齢を
書いているという経緯/理由/動機という問題を考える上
でも、参考になる一連の話です。
by df233285 (2024-05-06 09:53) 

middrinn

「・・・宗祇終焉記は宗祇の最期を詳しく記した書簡として書かれた。」と
前掲『宗祇終焉記』の脚注にある通り三条西実隆にも届けられました(^_^;)
今ネット検索して知りましたけど、水無瀬兼成はメチャ長命ですね( ̄◇ ̄;)
と思ったら、三条西実隆も三条西公条も長生きしてて、凄いですね( ̄◇ ̄;)
by middrinn (2024-05-06 15:19) 

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