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211004読んだ本

読書の厄介なところは、菅原道真から『日本霊異記』へ、丑年だからである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

中田祝夫(全訳注)『日本霊異記(下)』(講談社学術文庫,1980)所蔵本

読了(^o^)丿 仏教説話が多いけど、ほとんど奇談だから面白かったし、他の注釈書も参照したので、
得る物も結構あったv( ̄∇ ̄)ニヤッ 本書は各話の「解説」で何に同話が載ってるかを記し、下巻の2話
に「この説話は『今昔物語集』巻二の二十八話に収められている。」とあるけど、『今昔物語集』の
同巻は未所蔵ゆえ未確認だが、小泉道(校注)『新潮日本古典集成 日本霊異記』(新潮社,1984)の
頭注を見る限りでは、ソレは本話で引かれてる「ヒルリ王」(毗瑠璃王)の話に関してかと(@_@;)
やはり未確認だが、下巻の20話は『今昔物語集』巻14の27話と同話なことが遺漏(@_@;) 下巻の27話
に〈そのうえ、小野小町の「あなめ、あなめ説話」の先蹤として、説話の源流をたどることのできる
ものがある。〉とあるのは結構だが、中田祝夫(校注・訳)『新編日本古典文学全集10 日本霊異記』
(小学館,1995)の下巻の27話の頭注欄は「・・・後世の著名な髑髏伝説には、路傍の髑髏となって歌
を詠んだ『玉造小町壮衰書』その他の小野小町伝説がある。」としながら(同書323頁)、同書巻末の
付録の一つ「日本霊異記関係説話表」では関係説話に「玉造小町壮衰書 昔話=歌う骨」とあるだけ
(同書475頁)なのは期待外れ(-ω-、) 『今昔物語集』に同話があることさえ全くと言っていいほど
言及してない多田一臣(校注)『日本霊異記 下』(ちくま学芸文庫,1998)ですら「痛目」の語注で
〈アナメとは「あな目痛し(ああ目が痛い)」の省略形。小野小町の髑髏の目穴をススキが貫き、風
に吹かれるごとにその苦痛を「あな目、あな目」と訴えたとする伝承が、『江家次第』『和歌童蒙抄』
『古事談』『無名抄』『袋草子[ママ]』などに見える。・・・〉(同書206頁)と記してるのに(..)
語釈では下巻の5話で「並[とも]に」を〈・・・「並」はトモニ・ナラビニとよむ。〉としながら、
下巻の26話においては「並」を〈「並」をナラビニと読むのは直訳語で、平安初期にはまだ成立して
いなかった。したがってマタと読んだ。〉と説明しているのは、如何なものかと小生は思う(@_@;)
『日本霊異記』の原典は上・中・下の3巻に分かれてて(本書もソレに対応して3冊に)、各巻に序文
があるのも「珍しい」(本書上巻の「はしがき」)らしいが、中巻の「序」の「解説」から引く(^^)

    上巻は雄略天皇から聖武天皇の神亀四年まで、中巻は聖武天皇の天平元年から
    淳仁天皇の天平宝字七年まで、下巻は称徳天皇の御代から嵯峨天皇の時代まで
    である・・・

本書下巻の巻末に「日本霊異記説話年表」が載っていて何年にどの説話と一覧可能も、下巻の36話は
語釈で「・・・『霊異記』の説話は史実と合わない。」と指摘しながら、年表を見ると「史実と合わ
ない」はずの「延暦一年」に「下36」とあったりする(@_@;) 説話を史実として扱えるのかは難しい
問題とか、出雲路修(校注)『新日本古典文学大系30 日本霊異記』(岩波書店,1996)の「月報」で
誰かが書いてたけど失念(ノ_-;)トホホ… 百目鬼恭三郎『乱読すれば良書に当たる』(新潮社,1985)は、
中巻の3話について、「・・・奈良時代の過酷な徴兵制に苦しむ庶民の姿を伝えているはなしで、殊に
マルクス史学の人たちから高い評価をうけているようだ。」と指摘していた( ̄◇ ̄;) 史的唯物論は
歴史の法則性が大好きだから、『日本霊異記』に親近感を持ちそうだな(@_@;) というのは、仏教の
「因果応報は、[『日本霊異記』の撰述者である]景戒にとって、歴史観・社会観の原理であった。
景戒は日本の歴史と社会との中に、この原理が強く働いていることを[『日本霊異記』を編むことに
よって]指摘したかった。」(本書上巻の「はしがき」)から(⌒~⌒) 従って、「『日本霊異記』は
仏教説話集といわれるが、仏教説話だけではない。仏教以外の話も少なくない。しかし景戒はこれら
の説話を因果応報の原理で捉えなおし、解釈しなおして、説話を仏教圏に引き込むのである。」云々
と本書上巻の序の解説で指摘されているように、仏教と関係ない説話ですら仏教の因果応報の原理が
貫かれているから仏教説話なんだという強引なロジック(^_^;) なお、本書上巻の「はしがき」に次の
指摘(@_@;)

    ・・・そうした俗世間の生活を味わい、世の裏表を知り尽くした人[=景戒]の記し
    とどめた説話であるからこそ、かえって、一読して上代の日本の社会の裏面にふれる
    思いのする話もまじることになったのであろう。そこが日本霊異記の強い魅力である、
    『古事記』にも、『日本書紀』にも、『万葉集』にも無い、上代の社会の半面がここに
    語られている。あの『万葉集』だけを読んでそれだけを上代の姿だと思い込んでいた
    人々は、日本霊異記を読んで、初めて万葉集などに映っていたのは、上代社会の狭い
    半面に過ぎない、という共通の読後感をいだくと思う。/・・・

この件を見て、通読を始め、読了したけど、『万葉集』は全く知らないから、何とも言えんな(^_^;)

・『日本霊異記』には、帝の好色譚が巻頭に置かれているという謎がある〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-13

・どうして膳臣広国の父は正月一日に猫になって御馳走を食べられたのか〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-14

・助けたのは四匹なのに恩返しに来たのは一匹の謎、また亀が頭を三べん下げた行為の意味は(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-05

・母を殺そうとする火麻呂が「牛のような目」で母を睨んだというが、どんな目なのだろうか(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-20

・高名な国文学者達が間違えてるんだから東大教授も恥じ入る必要はなくてよオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-22

・僧は琵琶を禁止されていたのに山科宮こと出家した人康親王が琵琶法師の祖と言われてる謎(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-23

・薬師寺の僧の景戒が薬師寺関係者を悪く描いており、ポジショントークでは説明がつかない(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-27

・平凡社ライブラリーから2000年に再刊されてるけど、訳注加筆や本文修正はされてるのかな(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-10

・中田祝夫(全訳注)『日本霊異記(上)』(講談社学術文庫,1978)の語釈はチト変わってるね(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-08-26

・中田祝夫(全訳注)『日本霊異記(上)』(講談社学術文庫,1978)読了ヾ(`◇´)ノ彡☆バカチンドモガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-16

・中田祝夫(全訳注)『日本霊異記(中)』(講談社学術文庫,1979)も読了オホホホ( ^^)/~~~~~~~ ピシッ!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-26

・「この説話は・・・『古本説話集』・・・に掲載されて」ねーんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-03-31

・『竹取物語』からの流れというより、某短篇小説の種本の仏教説話を探してたら目が留まった(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-07-21

・ちくま学芸文庫に収録時に宮元啓一『日本奇僧伝』(東京書籍,1985)は誤訳を改めたのかな(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-06

・役小角の説話での宮元啓一『日本奇僧伝』(東京書籍,1985)の「今日の学界の定説」が不審(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-08-25

・秦の始皇帝が「失敗」した話を借用することが修験道にとって「権威づけ」になるのかしら(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-02-22

・脚注で専門家とは思われぬ人の説に言及とは珍しいが、看過することが出来ない説なのかも( ̄◇ ̄;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-03
タグ:古典 説話
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tai-yama

庶民の生活を知る上を考えると「日本霊異記」は学校の歴史とかでも
教えても良いのかも。租・庸・調・雑徭なんかも相当過酷な事なのに
表面的な制度があったぐらいしか教えないし・・・
by tai-yama (2021-10-04 22:24) 

middrinn

んにゃ、ソレはほんの一部の話だけ(^_^;)
ベタだけど、道徳教育の副読本とか(^_^;)
by middrinn (2021-10-05 06:03) 

df233285

win10パソコンでは、SSブログでは、スマホといっしょで
yahoo広告が出ます。お墓の広告ばっかりだったので、
別の2台目のwin10に変えましたが。今日は1台目は現代版
霊異記の気分でしたね。パソコンによって、win10動作が
違うと言う事が、余り無いのを確認。ブログ記事の作成には、
動作がwin7より遅いので、接続するときだけ10使用、作業
は7という点、ほぼ真のようですよ。10という数字が7より
小さく見えた今日は、日本霊異記の1日でした。本代に回しは、
ここの管理人さんのケースは、たぶん正解。
by df233285 (2021-10-05 19:43) 

middrinn

PCだと広告は記事の最後とサイドバーの2つ出るように現在は設定してますが、
どのような広告が出るのかはどうやって決まるのかが解りません(^_^;) 最近、
記事最後の広告は「歯磨きも入浴もせず毎日同じ服を着ている小学生がいます」
という広告ばかり出ますが、何故これなのかがイミフです(@_@;) 記事作成は
小生の場合、文字だけですが、ガラケーからの投稿が今は出来なくなったので、
もしノーパソ(Win7)が壊れてしまった時のことを考えるとチト不安です(..)
by middrinn (2021-10-05 20:34) 

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