210920読んだ本
読書の厄介なところは、売られてゆく可愛い仔牛の悲しそうな瞳である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
可愛いバファローベル連想(〃'∇'〃) HITOMICHAN(-ω-、) 追いつき!追い越せ!o(-`д´- o)ガンバレ!
【読んだ本】
多田一臣(校注)『日本霊異記 中』(ちくま学芸文庫,1997)
さて、さて、さ~て!先日読了の中田祝夫(全訳注)『日本霊異記(上)』(講談社学術文庫,1978)
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-16 )に続いて読んでいる、中田祝夫
(全訳注)『日本霊異記(中)』(講談社学術文庫,1979)の現代語訳で、『日本霊異記』中巻の3話
「悪逆の子の、妻を愛[めぐ]みて母を殺さむと謀り、現報に悪死を被[かがふ]りし縁」の一節を
引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・母はちょっとおかしいと感じながらも、お経の話を聞こうと思いたち、お湯で
体を洗い清めて、いっしょに山の中に入って行った。火麻呂は牛のような目つきで
母をにらみ、/「おい、地にひざまずけ」/といった。・・・
火麻呂が母親を殺そうとする場面だが、この「牛のような目」とは、どんな目なのだろうか(@_@;)
本書の語釈は取り上げていないし、本話の「解説」に「・・・牛のごとき目に古代人が生活の中から
感得していた感情移入のできる動物の目を読みとることができる。」とあるだけ(´ヘ`;) 期待した
小泉道(校注)『新潮日本古典集成 日本霊異記』(新潮社,1984)も、傍注で「牛のような目つきで
ぎょろりと」(同書113頁)と訳すだけ(-ω-、) でも、やはり着目(=論点化)した専門家もいて、
出雲路修(校注)『新日本古典文学大系30 日本霊異記』(岩波書店,1996)は「牛の目を以ちて」に
付した脚注26で次のように述べていた(同書63頁)(@_@;)
きわめて印象的な形容だが、他に例をみない。牛に関してその目が記述されること自体
多くない。太平御覧・九〇〇所引幽明録・桓沖の「牛忽熟視」のように、憐憫を乞う
目つきか。母に対する微妙な気持ちの表現。
故郷に残してきた妻に逢いたいからといって、任地で色々と面倒をみてくれている母親を殺害して、
服喪を理由に軍役(防人)を免れようとしている火麻呂には、良心の欠片も無さそうだけど(@_@;)
多田一臣は本書の本話の語注で次のような指摘をしており(本書48~49頁)、チト興味深い(@_@;)
ぎょろりと睨んだというのだろうが、なぜ「牛の目」が比喩となるのかは不明。
本書で、牛は前世の罪を背負い、過酷な労役を強制される動物として描かれる
ことが多い。そうした牛のへの意識がこの比喩の背後に存在しているのかも
しれない。地獄の牛頭[ごず]人身の非人の姿(中五縁[←中巻の五話の意])
の印象も影を落としているかもしれない。
火麻呂は牛に転生することが決まってて、顔の一部に既に現れてしまっていたのかもヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
『日本霊異記』の上巻を読んだ限りでは、牛に転生するのは、窃盗・横領の罪を犯した場合(@_@;)
となると、火麻呂は、これから犯そうとしている尊属殺人の罪とは別に、前科があるのかも(@_@;)
・『日本霊異記』には、帝の好色譚が巻頭に置かれているという謎がある〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-13
・どうして膳臣広国の父は正月一日に猫になって御馳走を食べられたのか〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-14
・助けたのは四匹なのに恩返しに来たのは一匹の謎、また亀が頭を三べん下げた行為の意味は(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-05
・平凡社ライブラリーから2000年に再刊されてるけど、訳注加筆や本文修正はされてるのかな(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-10
・中田祝夫(全訳注)『日本霊異記(上)』(講談社学術文庫,1978)の語釈はチト変わってるね(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-08-26
・「この説話は・・・『古本説話集』・・・に掲載されて」ねーんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-03-31
・『竹取物語』からの流れというより、某短篇小説の種本の仏教説話を探してたら目が留まった(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-07-21
・ちくま学芸文庫に収録時に宮元啓一『日本奇僧伝』(東京書籍,1985)は誤訳を改めたのかな(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-06
・役小角の説話での宮元啓一『日本奇僧伝』(東京書籍,1985)の「今日の学界の定説」が不審(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-08-25
・秦の始皇帝が「失敗」した話を借用することが修験道にとって「権威づけ」になるのかしら(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-02-22
可愛いバファローベル連想(〃'∇'〃) HITOMICHAN(-ω-、) 追いつき!追い越せ!o(-`д´- o)ガンバレ!
【読んだ本】
多田一臣(校注)『日本霊異記 中』(ちくま学芸文庫,1997)
さて、さて、さ~て!先日読了の中田祝夫(全訳注)『日本霊異記(上)』(講談社学術文庫,1978)
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-16 )に続いて読んでいる、中田祝夫
(全訳注)『日本霊異記(中)』(講談社学術文庫,1979)の現代語訳で、『日本霊異記』中巻の3話
「悪逆の子の、妻を愛[めぐ]みて母を殺さむと謀り、現報に悪死を被[かがふ]りし縁」の一節を
引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・母はちょっとおかしいと感じながらも、お経の話を聞こうと思いたち、お湯で
体を洗い清めて、いっしょに山の中に入って行った。火麻呂は牛のような目つきで
母をにらみ、/「おい、地にひざまずけ」/といった。・・・
火麻呂が母親を殺そうとする場面だが、この「牛のような目」とは、どんな目なのだろうか(@_@;)
本書の語釈は取り上げていないし、本話の「解説」に「・・・牛のごとき目に古代人が生活の中から
感得していた感情移入のできる動物の目を読みとることができる。」とあるだけ(´ヘ`;) 期待した
小泉道(校注)『新潮日本古典集成 日本霊異記』(新潮社,1984)も、傍注で「牛のような目つきで
ぎょろりと」(同書113頁)と訳すだけ(-ω-、) でも、やはり着目(=論点化)した専門家もいて、
出雲路修(校注)『新日本古典文学大系30 日本霊異記』(岩波書店,1996)は「牛の目を以ちて」に
付した脚注26で次のように述べていた(同書63頁)(@_@;)
きわめて印象的な形容だが、他に例をみない。牛に関してその目が記述されること自体
多くない。太平御覧・九〇〇所引幽明録・桓沖の「牛忽熟視」のように、憐憫を乞う
目つきか。母に対する微妙な気持ちの表現。
故郷に残してきた妻に逢いたいからといって、任地で色々と面倒をみてくれている母親を殺害して、
服喪を理由に軍役(防人)を免れようとしている火麻呂には、良心の欠片も無さそうだけど(@_@;)
多田一臣は本書の本話の語注で次のような指摘をしており(本書48~49頁)、チト興味深い(@_@;)
ぎょろりと睨んだというのだろうが、なぜ「牛の目」が比喩となるのかは不明。
本書で、牛は前世の罪を背負い、過酷な労役を強制される動物として描かれる
ことが多い。そうした牛のへの意識がこの比喩の背後に存在しているのかも
しれない。地獄の牛頭[ごず]人身の非人の姿(中五縁[←中巻の五話の意])
の印象も影を落としているかもしれない。
火麻呂は牛に転生することが決まってて、顔の一部に既に現れてしまっていたのかもヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
『日本霊異記』の上巻を読んだ限りでは、牛に転生するのは、窃盗・横領の罪を犯した場合(@_@;)
となると、火麻呂は、これから犯そうとしている尊属殺人の罪とは別に、前科があるのかも(@_@;)
・『日本霊異記』には、帝の好色譚が巻頭に置かれているという謎がある〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-13
・どうして膳臣広国の父は正月一日に猫になって御馳走を食べられたのか〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
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・助けたのは四匹なのに恩返しに来たのは一匹の謎、また亀が頭を三べん下げた行為の意味は(@_@;)
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・平凡社ライブラリーから2000年に再刊されてるけど、訳注加筆や本文修正はされてるのかな(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-10
・中田祝夫(全訳注)『日本霊異記(上)』(講談社学術文庫,1978)の語釈はチト変わってるね(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-08-26
・「この説話は・・・『古本説話集』・・・に掲載されて」ねーんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-03-31
・『竹取物語』からの流れというより、某短篇小説の種本の仏教説話を探してたら目が留まった(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-07-21
・ちくま学芸文庫に収録時に宮元啓一『日本奇僧伝』(東京書籍,1985)は誤訳を改めたのかな(@_@;)
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・役小角の説話での宮元啓一『日本奇僧伝』(東京書籍,1985)の「今日の学界の定説」が不審(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-08-25
・秦の始皇帝が「失敗」した話を借用することが修験道にとって「権威づけ」になるのかしら(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-02-22
タグ:説話
ウッシッシ・・・・と笑っている目だったり(笑)。
生まれ変わったらモーレツに働かされるのかも。
by tai-yama (2021-09-21 00:00)
ドナドナドーナードーナー…悲しくなってきますorz
by ナベちはる (2021-09-21 01:16)
出雲路修もびっくりしちゃう、
tai-yama様、極悪非道(゚ロ゚;)
by middrinn (2021-09-21 05:52)
その歌が頭の中に流れて来て、
ナベちはる様、悲しそうな目
を皆さん連想しそう(^_^;)
by middrinn (2021-09-21 05:54)