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210927読んだ本

読書の厄介なところは、実はポジショントークだったりする本である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
ポジショントークという理由だけで、その論を全否定するのもナンセンスだけどね( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

【読んだ本】

百目鬼恭三郎『乱読すれば良書に当たる』(新潮社,1985)所蔵本

    ・・・志田諄一『日本霊異記とその社会』(雄山閣)によると、『日本霊異記』で、
    東大寺の大仏建立、光明皇后の事蹟、鑑真の渡来などについて一言も触れていないのは、
    東大寺と、光明皇后の建立した新薬師寺はともに華厳宗、鑑真の創建にかかる唐招提寺は
    律宗であり、いずれも[『日本霊異記』の撰述者]景戒の属する法相宗の薬師寺にとって
    脅威のライバルであったからだろうという。要するに、説話の撰述方針が公正を欠いている
    ということだ。/・・・

芸術新潮1997年11月号の特集「薬師寺は生きている」で薬師寺執事長(当時)の安田暎胤が「現在の
薬師寺は、興福寺とともに法相宗大本山ですが、法相宗を名乗るのは明治以後のことで、もとは南都
六宗のすべてを学ぶ道場でした。」と語ってるけど、百目鬼恭三郎が紹介してる志田諄一の指摘には
肯けるものがあった(^_^;) 多田一臣(校注)『日本霊異記 中』(ちくま学芸文庫,1997)184~185頁
の「東大寺関係の説話」と題した補説も次のように指摘する〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ ちなみに、
『日本霊異記』の原典は上・中・下の3巻に分かれてて、各巻に序文が置かれている( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    本話[=中巻の21話]は東大寺の前身金鷲(鐘)寺にまつわる霊験譚である。主人公の
    金鷲優婆塞も東大寺の開基良弁僧正の若き日を思わせる。しかし、本話は金鷲寺や金鷲
    優婆塞を東大寺と積極的に結びつけようとはしていない。というのも、本書の東大寺へ
    の扱いはきわめて冷淡だからである。たしかに上巻序や中巻序で、聖武天皇の大仏建立
    の事績は口を極めて讃えられている。しかし、東大寺の名は本話を除けば、下二六縁
    [=下巻の26話]に一例(それも東大寺が重要な役割を果たすわけではない)見える
    だけである。大仏についての説話すら存在しない。序で大仏建立が取り上げられたのは、
    むしろ聖武を聖帝として称揚する意識がつよくはたらいたためだろう。東大寺の名は
    そこにも見えないからである。本話にしても、関心は金鷲優婆塞のひたすらな修行が
    もたらした奇跡を語ることにあるので、金鷲寺が東大寺の前身であることを喋々する
    のは、むしろ意識的に避けられている。本書がこれほど東大寺に冷淡なのは、景戒が
    薬師寺の僧としての立場をつよく意識したからであろう。東大寺が聖武天皇の発願に
    よって建立され、そこが南都七大寺の第一の座を占めるようになったことは、天武・
    持統両天皇の勅願寺として、藤原京以来の伝統と格式を誇る薬師寺の位置の低落を示す
    ことだった。薬師寺の法相宗対東大寺の華厳宗という宗教的対立もあったに違いない。
    薬師寺の立場に立つ景戒にとっては、東大寺の説話を積極的に本書に取り入れること
    には相当な抵抗感があったらしい。その意味で、直接に東大寺の説話ではない本話は、
    景戒にとって許容できるぎりぎりの話であったことになる。

さて、さて、さ~て!『日本霊異記』の中巻の1話の内容は中田祝夫(全訳注)『日本霊異記(中)』
(講談社学術文庫,1979)の要約だと次のようなものである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    /長屋王は自分の地位が高いのをたてに、一人の僧を象牙製の笏で打った。頭から
    血が流れ、僧はそのまま泣いて去っていった。その後じきに、長屋王は謀反を
    企てていると密告されて自害することになった。死体を土佐に流したが、土佐では
    崇りの疫病が流行したので、紀伊の国へ移した。これというのも僧を打った報い
    であると。/・・・

小泉道(校注)『新潮日本古典集成 日本霊異記』(新潮社,1984)が「長屋王は、・・・写経も行い、
『東征伝』にも、鑑真が彼地で知っていた日本の仏教者として、聖徳太子とともにその名が見える。
だから、けっして反仏教徒ではなかった。」と指摘しており、そんな長屋王に僧迫害の悪報譚がある
というのも謎だけど、ソレを景戒が『日本霊異記』で取り上げていること自体、チト不思議(@_@;)

というのは、長屋王の変で一緒に自害した元明天皇の娘で長屋王の妃である吉備内親王、薬師寺とも
関係があるからである(@_@;) 薬師寺で東塔の次に古い東院堂についての町田甲一『大和古寺巡歴』
(講談社学術文庫,1989)の説明を引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/正しくは東禅院堂といい。元明天皇の病気平癒を祈って、皇女吉備内親王
    (あるいはその夫長屋王)が養老五年(七二一)頃造立したもので、現堂は弘安八年
    (一二八五)の再建である。・・・

『日本霊異記』の当該説話でも長屋王が家族も道連れにしたことは記されてて、どうして薬師寺の僧
である景戒が薬師寺関係者を悪く描いてるのか、ポジショントークでは説明がつかないかと(@_@;)
タグ:説話 歴史 古典
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

長屋王自体そもそも天武天皇の孫と言う。
長屋王が政権争いに負けていなければ薬師寺も東大寺に
ポジションを奪われることはなかったかもしれない。
(薬師寺が負けたのは長屋王のセイとか)
by tai-yama (2021-09-27 23:36) 

ナベちはる

自分の立場を利用したり都合よく言ったり…というと言い方が悪いようにも聞こえますが、そうでないといけない場合もゼロではないですよね。
by ナベちはる (2021-09-28 01:16) 

middrinn

薬師寺は「天武・持統両天皇の勅願寺」であり、
tai-yama様、聖武天皇は「天武・持統両天皇」
の直系の曾孫ですけどオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
by middrinn (2021-09-28 06:14) 

middrinn

関係者であることを秘して、さも公平な第三者の如く、
ナベちはる様、語るのが問題であり、そのポジション
を明らかにして語る分には問題は少ないかと(^_^;)
by middrinn (2021-09-28 06:16) 

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