SSブログ

170222読んだ本

ちょっと、一言いいですか?(._+ )☆ヾ( ̄ヘ ̄; )シツコイ!!! 今日はメチャ寒く感じるのですが(+_+)

【読んだ本】

宮家準『役行者と修験道の歴史』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー,2000)

しつこいようだけど、片桐洋一『歌枕 歌ことば辞典 増訂版』(笠間書院,1999)の「かづらきやま
【葛城山】」の項に「役の行者は、大和国葛城の郡に住んでいたが、修行の効果あって孔雀王の呪法
を修持し、奇異の験術をマスターして鬼神を自在に使っていた。ある時、鬼神に、この葛城山から
吉野の金峰山[きんぷせん]に岩の橋を作って架けるように命じたところ、多くの鬼神はこれに
従ったが、一言主神だけは夜のみ働いて昼は働かない。何ゆえに働かないのかと行者が問いただすと、
容貌が醜いのではずかしくて昼は働けないという。怒った行者は一言主神を縛りあげて谷の底に落と
したという話である。」と(^^) 宮元啓一『日本奇僧伝』(東京書籍,1985)も「あるとき、役小角は
鬼神たちを集め、吉野の金峰山[みたけ]と葛城の峰との間に石の橋を築くよう命令した。」云々と
紹介(^^) 〈これに対し近年中村宗彦は、この金峰は葛城山中の岩橋山あるいは金剛山をさすとの興味
深い説を提示している。すなわち中村はまず『日本霊異記』における景戒[←「役小角による葛城から
金峰への架橋譚を創作したと推測」される]の用字を丹念に分析して、彼が吉野の金峰山をはじめ、
吉野比蘇寺など吉野に関することを述べるときには、吉野の地名を冠して大和を冠していないことを
発見する。そしてこれをもとに彼が大和の金峰山といったときは、吉野の金峰山をさしてはいないと
する。そのうえで現実に葛城山の支峰の岩橋山から金剛山に向かって橋板状奇岩があり、しかもこれは
あたかも西南の金剛山に向かうようにのびていることに注目する、また和歌山県の串本や徳島県那賀郡
椿村などに各地に、鬼が一夜で架橋しようとして失敗する一夜工事の伝説があることを指摘する。
そして大和の金峰山は金剛山、金剛峰を金峰と略記したのではないかとしている。たしかに平安時代に
一夜で恋が成就しないことを示す歌枕としての久米の岩橋の意味を解するには、この解釈の方が適して
いるかもしれない。現に大和平野からは、男山と女山が並ぶ二上山が美しく望見されるのである(中村
宗彦「日本霊異記における役行者説話の再検討」〈『万葉』六九、昭和四三年〉)。〉と本書34-35頁
(゚ロ゚;) 宮元は「なお、石橋を建造するというこの話は、『三斉略記』(『太平広記』二九一)の、
秦の始皇帝が海中に石橋を造ろうとしたという話と軌を一にする。しかもその話の中には、同じく、
容貌のはなはだ醜い神が登場し、始皇帝のこの神に対する接し方のまずさによって石橋建造が失敗する
ことになっている。/葛城山は、古くから神聖な山として畏敬の念をもって崇められていた。しかし、
地図を見ても分かるように、この山は、深山幽谷というほどの深さはなく、むしろ浅いぐらいである。
そのためか、やがて畿内の霊山としては、さらに奥深い場所にある金峰山の方が注目されるように
なった。そこで、金峰山が山岳修行の中心地となりつつあった時代の人びとが、金峰山を役小角の名に
よって権威づけようとして、始皇帝の石橋建造の話を借用した、というのが真相であると思われる。」
由(@_@) たしかに修験道が役小角をその「開祖」に仕立て上げたのは「権威づけ」だけど、「失敗」
した話の借用が「権威づけ」になるのか(..) 〈・・・それとはまったく関係なく、「葛城や高間の山
・・・・・・」と続けて、その「高間の山」の桜の美しさをよむ歌も、平安時代後期には多くなってきた。「高間の山」は、今の奈良県御所市高天にその名が残っているが、金剛山の別名と見てよかろう。〉
と片桐は同項で続けている__φ( ̄^ ̄ )メモメモ 色々と勉強になりますなm(__)m それにしても寒い(+_+)

竹田裕子『一〇〇万回言っても、言い足りないけど ジャーナリスト竹田圭吾を見送って』(新潮社,2016)

眠いし時間が無い(+_+)

タグ:歴史 和歌 説話
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0