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240425読んだ本

5000円以上で使える500円クーポンが23日に付与された(@_@;) 4月30日が利用期限だが、1月下旬に
付与されたのは5000円以上で使える1500円クーポンと3000円以上で使える600円クーポンだったし、
「HMV&BOOKS online」がもうちょっと奮発してくれたら購入を考えてやってもいいぜC= (-。- ) フゥー

【読んだ本】

深沢眞二&深沢了子編『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 秋冬編』(三弥井古典文庫,2016)所蔵本

芭蕉は宗祇を尊敬してたのに『野ざらし紀行』『笈の小文』を見ても宗祇が亡くなった箱根で宗祇の
ことを詠んでいないので不審に思っていたけど、閃いちゃったキタヨキタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノキチャッタヨ-!!!!!!

               旅人と 我が名呼ばれん 初時雨

宗祇に対するオマージュとして『笈の小文』で箱根ぐらいのところに置かれたのではないかと(^_^;)
どうしてこの句が宗祇へのオマージュになるかと言えば、次のような流れがあるから(^_^;)

     世にふるは 苦しきものを 槇の屋に やすくも過ぐる 初時雨かな(二条院讃岐)

                    ↓

             世にふるも さらに時雨の 宿りかな(宗祇)

                    ↓

             世にふるも さらに宗祇の 宿りかな(芭蕉)

麻生磯次(訳注)『現代語訳対照 奥の細道 他四編』(旺文社文庫,1970)、井本農一『芭蕉入門』
(講談社学術文庫,1977)、富山奏(校注)『新潮日本古典集成 芭蕉文集』(新潮社,1978)、今栄蔵
(校注)『新潮日本古典集成 芭蕉句集』(新潮社,1982)を見ても「旅人と我が名呼ばれん初時雨」
を宗祇と結び付けて読み解いてはいないから小生の創見かと色めき立ったら、本書が次の指摘(^_^;)

    /「時雨」と結びつけて「旅人と呼ばれん」と言うことは、宗祇のような「旅人」
    と呼ばれたいということである。・・・

ただ、次に引くように、本書によるこの句の訳と宗祇の上記の句の訳とが対応してないかと(@_@;)

    私はせめて、初時雨に濡れながら旅に出て、「旅人」と呼ばれたい。

    世に年を経[ふ]るというのも、まったく、降る時雨を避けて雨宿りしているぐらいの、
    ほんの短い時間にすぎないのだ。止むと思えばまた降る時雨の中、そのつど宿りを求め
    ながら旅をしていると、そんなふうに思われてくる。

宗祇は「降る時雨を避けて雨宿り」をしているわけで、「時雨に濡れながら」の旅ではない(@_@;)

麻生磯次・前掲書は「折から初しぐれがぱらつく頃だが、・・・」とするだけも、井本農一・前掲書
は「・・・初しぐれの季節に、風流な初しぐれに濡れながら、・・・」、富山奏・前掲書は「折から
の初しぐれの中を・・・」、今栄蔵・前掲書は「潔い初時雨にぬれながら、・・・」「・・・初時雨
にぬれての旅は・・・」と解しており、「時雨に濡れながら」と解するのが多数説のようだ(@_@;)

深沢眞二は深沢眞二&深沢了子編『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 春夏編』(三弥井古典文庫,2015)
のコラム「芭蕉の笠」で「世にふるもさらに宗祇の宿りかな」について次のように記してる(@_@;)

    ・・・文と句とを合わせると、被った笠によってかろうじて時雨をしのいでいる
    宗祇の姿が、芭蕉にとっての旅人の理想像として、浮かんでくるようでもある。
    宗祇は「笠やどり」しながら時雨の中を旅していたのだろうな、うらやましい
    ことだ、と。/・・・
タグ:紀行 俳諧
コメント(2) 
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コメント 2

tai-yama

被ったヘルメットによってかろうじて時雨をしのいでいる
私(ライダー)の姿が、芭蕉にとっての旅人の理想像として
浮かんでくるようでもある。と書き直したり(笑)。
by tai-yama (2024-04-25 22:27) 

middrinn

「笠やどり」云々は付会かと(@_@;)
by middrinn (2024-04-26 05:20) 

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