210626読んだ本
読書の厄介なところは、田中首相を叱責し総辞職に追い込んだことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
細川首相だったら秩父宮雍仁親王を擁立されて逆に退位させられていたかもと歴史的妄想(;゚Д゚)ヒィィィ!
【読んだ本】
渡邊大門編『戦乱と政変の室町時代』(柏書房,2021)
続いて、第12章の吉野貢「明応の政変」を読んで、渡邊大門「おわりに」も読んで、本書読了(^o^)丿
第12章「明応の政変」 〝将軍が二人?〟──細川政元による新将軍擁立のクーデター 吉野貢
「明応の政変」の時代背景/将軍・義尚、六角氏征討中に陣没/将軍・義材と
日野氏の関係/第二次六角氏攻撃で揺らぐ将軍の権威/畠山氏内紛への介入が陥穽に/
細川政元挙兵、新将軍を擁立/政変後も続く義材の戦い/「明応の政変」とは
何だったのか?/
おわりに
執筆者紹介
主要参考文献
人名索引
明応2年(1493年)に10代将軍足利義材(義視の子で、義稙、義尹とも)が河内国へ出陣中に京都で
管領の細川政元(勝元の子)が挙兵し、義材を廃して足利政知(義政の庶兄で堀越公方)の子の清晃
を11代将軍足利義遐(義高、義澄)として擁立した政変を扱う本章だが、物足りなくて残念(-ω-、)
例えば、本書244頁に次の記述がある(´・_・`)
・・・政元は挙兵した翌日の明応二年四月二十三日、朝廷に対し、「河内への外征は
良くないと言上したのに義材が拒否したためこれを廃し、義澄を擁立した」と説明
している(『晴冨宿禰記』)。・・・
この後、本書は「度重なる将軍親征に対する諸勢力の不満を汲み、自身の行為を正当化しようとして
おり、幕府の有力者としての政元の姿勢が示されている。」(本書244~245頁)と続けるだけだが、
田中義成『足利時代史』(講談社学術文庫,1979)を披くと、ちょっとしたドラマがあった( ̄◇ ̄;)
・・・/是に於て後土御門天皇は政元の所為を以て悖逆[はいぎゃく]と認め給い、
もし廃立の事を奏聞に及ばば聴[ゆる]し難きを以て、自ら御位を退き給わんの御決心
なりしが、甘露寺親長之を諫め奉りて曰く、武家の廃立は必ずしも其是非曲直を問わず。
朝廷は惟[これ]其上奏に依らるるは古来の慣例なれば、必ずしも聖慮を労するに
及ばずと奏し、天皇も御安心あらせられしこと、親長卿記に見ゆ。これ親長が朝廷を
武家の禍乱以外に超越せしめたるものなり。/果して翌二十三日夜に至り、政元は
奏聞して清晃を立て、・・・
それはともかく、本書は全体として小生は学ぶところが多くて評価的には「再読もあり(^^)」(^o^)丿
ただ、各章に半頁~1頁大の図が掲載されているが、本文に無い情報を示してるものはほとんど無く、
そのスペースを各執筆者の論述に充てた方が良かったかと(^_^;) もっと読みたかったからね(^_^;)
また典拠として本文で挙げられている文献の発行年が「主要参考文献」のと一致しないものも(-"-)
・秦野裕介「観応の擾乱」は「九州だけは南朝が・・・支配した」とするが、「九州」は誇張(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-22
・市川裕士「明徳の乱」は教わることが多く目から鱗ボロボロも『明徳記』を誤読してる疑い(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-23
・浅野友輔「応永の乱」、「満兼が中国の革命思想によって天命をかかげたこと」は一顧だにせず(..)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-05
・千葉篤志「上杉禅秀の乱」では虚偽の情報に振り回される貞成親王の『看聞日記』が笑える(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-09
・中根正人「永享の乱」、『鎌倉持氏記』が用いられるようになったのは国文学者の研究が契機(゚o゚;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-14
・前川辰徳「結城合戦」、「結城氏朝は当初幕府方として反乱軍の鎮圧にあたっていた」とは( ̄◇ ̄;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-16
・大内義弘は南朝の皇子を奉じて出陣してて南朝再興を目指してた可能性もと田中義成は記す(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-19
・渡邊大門「嘉吉の乱」から将軍義教の恐怖政治が室町歌壇にも及んだ話へと膨らませちゃった(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-20
・秦野裕介「禁闕の変」、北朝と後南朝の争いではなく、北朝内の二つの皇統の争いだったとは(゚ロ゚;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-21
・谷口雄太「享徳の乱」、「東関東」と「西関東」に分かれ、「変化と連続の両側面」が興味深い(^^)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-22
・渡邊大門「長禄の変」、「神璽が戻ってきたにもかかわらず、一人しらけた態度を取る人物」(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-23
・浜口誠至「応仁・文明の乱」、乱の「構図」や「原因」についての学説動向が紹介されてた(⌒~⌒)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-24
細川首相だったら秩父宮雍仁親王を擁立されて逆に退位させられていたかもと歴史的妄想(;゚Д゚)ヒィィィ!
【読んだ本】
渡邊大門編『戦乱と政変の室町時代』(柏書房,2021)
続いて、第12章の吉野貢「明応の政変」を読んで、渡邊大門「おわりに」も読んで、本書読了(^o^)丿
第12章「明応の政変」 〝将軍が二人?〟──細川政元による新将軍擁立のクーデター 吉野貢
「明応の政変」の時代背景/将軍・義尚、六角氏征討中に陣没/将軍・義材と
日野氏の関係/第二次六角氏攻撃で揺らぐ将軍の権威/畠山氏内紛への介入が陥穽に/
細川政元挙兵、新将軍を擁立/政変後も続く義材の戦い/「明応の政変」とは
何だったのか?/
おわりに
執筆者紹介
主要参考文献
人名索引
明応2年(1493年)に10代将軍足利義材(義視の子で、義稙、義尹とも)が河内国へ出陣中に京都で
管領の細川政元(勝元の子)が挙兵し、義材を廃して足利政知(義政の庶兄で堀越公方)の子の清晃
を11代将軍足利義遐(義高、義澄)として擁立した政変を扱う本章だが、物足りなくて残念(-ω-、)
例えば、本書244頁に次の記述がある(´・_・`)
・・・政元は挙兵した翌日の明応二年四月二十三日、朝廷に対し、「河内への外征は
良くないと言上したのに義材が拒否したためこれを廃し、義澄を擁立した」と説明
している(『晴冨宿禰記』)。・・・
この後、本書は「度重なる将軍親征に対する諸勢力の不満を汲み、自身の行為を正当化しようとして
おり、幕府の有力者としての政元の姿勢が示されている。」(本書244~245頁)と続けるだけだが、
田中義成『足利時代史』(講談社学術文庫,1979)を披くと、ちょっとしたドラマがあった( ̄◇ ̄;)
・・・/是に於て後土御門天皇は政元の所為を以て悖逆[はいぎゃく]と認め給い、
もし廃立の事を奏聞に及ばば聴[ゆる]し難きを以て、自ら御位を退き給わんの御決心
なりしが、甘露寺親長之を諫め奉りて曰く、武家の廃立は必ずしも其是非曲直を問わず。
朝廷は惟[これ]其上奏に依らるるは古来の慣例なれば、必ずしも聖慮を労するに
及ばずと奏し、天皇も御安心あらせられしこと、親長卿記に見ゆ。これ親長が朝廷を
武家の禍乱以外に超越せしめたるものなり。/果して翌二十三日夜に至り、政元は
奏聞して清晃を立て、・・・
それはともかく、本書は全体として小生は学ぶところが多くて評価的には「再読もあり(^^)」(^o^)丿
ただ、各章に半頁~1頁大の図が掲載されているが、本文に無い情報を示してるものはほとんど無く、
そのスペースを各執筆者の論述に充てた方が良かったかと(^_^;) もっと読みたかったからね(^_^;)
また典拠として本文で挙げられている文献の発行年が「主要参考文献」のと一致しないものも(-"-)
・秦野裕介「観応の擾乱」は「九州だけは南朝が・・・支配した」とするが、「九州」は誇張(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-22
・市川裕士「明徳の乱」は教わることが多く目から鱗ボロボロも『明徳記』を誤読してる疑い(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-23
・浅野友輔「応永の乱」、「満兼が中国の革命思想によって天命をかかげたこと」は一顧だにせず(..)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-05
・千葉篤志「上杉禅秀の乱」では虚偽の情報に振り回される貞成親王の『看聞日記』が笑える(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-09
・中根正人「永享の乱」、『鎌倉持氏記』が用いられるようになったのは国文学者の研究が契機(゚o゚;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-14
・前川辰徳「結城合戦」、「結城氏朝は当初幕府方として反乱軍の鎮圧にあたっていた」とは( ̄◇ ̄;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-16
・大内義弘は南朝の皇子を奉じて出陣してて南朝再興を目指してた可能性もと田中義成は記す(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-19
・渡邊大門「嘉吉の乱」から将軍義教の恐怖政治が室町歌壇にも及んだ話へと膨らませちゃった(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-20
・秦野裕介「禁闕の変」、北朝と後南朝の争いではなく、北朝内の二つの皇統の争いだったとは(゚ロ゚;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-21
・谷口雄太「享徳の乱」、「東関東」と「西関東」に分かれ、「変化と連続の両側面」が興味深い(^^)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-22
・渡邊大門「長禄の変」、「神璽が戻ってきたにもかかわらず、一人しらけた態度を取る人物」(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-23
・浜口誠至「応仁・文明の乱」、乱の「構図」や「原因」についての学説動向が紹介されてた(⌒~⌒)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-24
タグ:歴史
他の首相だったらどうだったであったなど、いろいろと歴史的な妄想ができますね…!!
by ナベちはる (2021-06-27 01:55)
歴史にイフは有りませんけど、知的な遊びですね(^_^;)
by middrinn (2021-06-27 05:29)
ロッキード事件ですね!
田中首相、悪いことをしましたが大変な功績も残しました
裏で金丸が牛耳って面では田中角栄が派手にやる
そんな時代がよかったなぁ(^^)
by そら (2021-06-27 08:22)
中学生の時から角さんのファンでした(^_^;)
角さんは「目白の闇将軍」と呼ばれましたが、
今思うと、凄いネーミングだなぁ、と(^_^;)
ちなみに、枕は義一で張作霖爆殺事件(^_^;)
by middrinn (2021-06-27 08:53)
middrinnさんこんにちは。
読書の厄介なところは、「お金」がかかることである。
図書館のリサイクル本を手に入れるという方法もありますが・・・
by ネオ・アッキー (2021-06-27 17:00)
ホントおっしゃる通りですよね(ノ_-;)ハア…
読むのに夢中で時間を取られちゃうのも、
いい意味で「厄介なところ」かも(^_^;)
by middrinn (2021-06-27 17:23)
菅首相にクーデターが起こっても今の天皇なら何も言わないかと。
宮内庁長官の殿下のお言葉を個人の妄想と言うぐらいだし・・・
by tai-yama (2021-06-27 22:37)
そうかも(^_^;) ただ、皇位継承者の数が少ないので、
今上天皇は自ら抗議の退位はなされないかも(^_^;)
by middrinn (2021-06-28 05:56)