240509読んだ本【バカチン】
自称「小説家」に対してなら文屋康秀の「秋の草木のしをるれば」と誦じただろうねv( ̄∇ ̄)ニヤリ
【読んだ本(バカチン)】
柴田宵曲『古句を観る』(岩波文庫,1984)所蔵本
本書の「秋」で取り上げている「元禄時代の無名作家の俳句」(表紙カヴァーの内容紹介文)の一つ
を引くが、柴田宵曲の評釈には呆れた(なお、踊り字は使わずに引用)Σ( ̄ロ ̄lll)ニャンと!?
きりぎりす扇をあけてたたむ音 和丈
このきりぎりすは蟋蟀[こおろぎ]ではない。螽斯[きりぎりす]の方である。
きりぎりすの鳴いている場合に、扇をあけてたたむ音がする、という風に解せ
られぬこともないが、句の意味からいうと、扇をひろげてたたむ、あのギイと
いうような音を、きりぎりすの声に擬したものと思われる。「山がらの我棚つ
るか釘の音」の格であるが、あれほど技巧を弄したところはない。今の人が見
たら、ルナアル的興味だというかも知れぬ。
『今物語』『十訓抄』『古今著聞集』『平家物語』に載ってる平忠度の扇の説話を詠んだ句であり、
秋の「虫」ということから、「きりぎりす」はそのままコオロギであってキリギリスではない(^_^;)
三木紀人(全訳注)『今物語』(講談社学術文庫,1998)の訳で「忠度と扇」を引くC= (-。- ) フゥー
薩摩守忠度という人がいた。ある宮様に仕える女房に物を言い掛けようとして、
[先客がいるらしいため]女の部屋のあたりでためらっていたが、思いの外に
夜が更けてしまったので、扇を使って音を立てて合図をして自分がいることを
知らせたところ、この部屋にいた事情通の女房が、「野もせにすだく虫の音や」
と誦[ずん]じたのを聞いて、扇を使うのをやめた。人が静まって女房と会った
時に、この女房が、「扇をなぜ合図にお使いにならなかったのですか」と言った
ので、「さてねえ。うるさく聞こえたようなので」と言ったということである。
優美なことである。
かしかまし野もせにすだく虫の音や我だに物は言はでこそ思へ
(うるさいことよ、野原で所狭しと鳴く虫の声よ。こんなに
あなたのことを恋い焦がれている私でさえだまって耐えて
いるのに)
「虫」は古典では秋の虫を意味し、柴田宵曲も「笹葉たくあとやいろりの蛩[きりぎりす←このルビ
は原文ママ]」の句で〈この「蛩」は勿論今のコオロギである。例の「きりぎりすなくや霜夜のさむ
しろに」の歌が人口に膾炙している通り、秋の虫の中ではコオロギが冬まで生延びることになってい
る。〉、「きりぎりす秋の夜腹をさすりけり」の句を「蟋蟀[こおろぎ]」として〈「きりぎりす」
といって更に「秋の夜」の語を添えるのは、蛇足のようでもある。〉と現に本書で評釈してる(^_^;)
この句を「元禄期」の人々は(柴田宵曲とは違って)『平家物語』の忠度の扇の一節を詠んだものと
受け取ったはずで、情趣あるとされたコオロギの声をも「かしかまし」としたとこが俳諧かな(^_^;)
・千載集や平家物語の有名な逸話なのに高浜虚子『俳句はかく解しかく味う』岩波文庫のデタラメ(-"-)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-02-19
【読んだ本(バカチン)】
柴田宵曲『古句を観る』(岩波文庫,1984)所蔵本
本書の「秋」で取り上げている「元禄時代の無名作家の俳句」(表紙カヴァーの内容紹介文)の一つ
を引くが、柴田宵曲の評釈には呆れた(なお、踊り字は使わずに引用)Σ( ̄ロ ̄lll)ニャンと!?
きりぎりす扇をあけてたたむ音 和丈
このきりぎりすは蟋蟀[こおろぎ]ではない。螽斯[きりぎりす]の方である。
きりぎりすの鳴いている場合に、扇をあけてたたむ音がする、という風に解せ
られぬこともないが、句の意味からいうと、扇をひろげてたたむ、あのギイと
いうような音を、きりぎりすの声に擬したものと思われる。「山がらの我棚つ
るか釘の音」の格であるが、あれほど技巧を弄したところはない。今の人が見
たら、ルナアル的興味だというかも知れぬ。
『今物語』『十訓抄』『古今著聞集』『平家物語』に載ってる平忠度の扇の説話を詠んだ句であり、
秋の「虫」ということから、「きりぎりす」はそのままコオロギであってキリギリスではない(^_^;)
三木紀人(全訳注)『今物語』(講談社学術文庫,1998)の訳で「忠度と扇」を引くC= (-。- ) フゥー
薩摩守忠度という人がいた。ある宮様に仕える女房に物を言い掛けようとして、
[先客がいるらしいため]女の部屋のあたりでためらっていたが、思いの外に
夜が更けてしまったので、扇を使って音を立てて合図をして自分がいることを
知らせたところ、この部屋にいた事情通の女房が、「野もせにすだく虫の音や」
と誦[ずん]じたのを聞いて、扇を使うのをやめた。人が静まって女房と会った
時に、この女房が、「扇をなぜ合図にお使いにならなかったのですか」と言った
ので、「さてねえ。うるさく聞こえたようなので」と言ったということである。
優美なことである。
かしかまし野もせにすだく虫の音や我だに物は言はでこそ思へ
(うるさいことよ、野原で所狭しと鳴く虫の声よ。こんなに
あなたのことを恋い焦がれている私でさえだまって耐えて
いるのに)
「虫」は古典では秋の虫を意味し、柴田宵曲も「笹葉たくあとやいろりの蛩[きりぎりす←このルビ
は原文ママ]」の句で〈この「蛩」は勿論今のコオロギである。例の「きりぎりすなくや霜夜のさむ
しろに」の歌が人口に膾炙している通り、秋の虫の中ではコオロギが冬まで生延びることになってい
る。〉、「きりぎりす秋の夜腹をさすりけり」の句を「蟋蟀[こおろぎ]」として〈「きりぎりす」
といって更に「秋の夜」の語を添えるのは、蛇足のようでもある。〉と現に本書で評釈してる(^_^;)
この句を「元禄期」の人々は(柴田宵曲とは違って)『平家物語』の忠度の扇の一節を詠んだものと
受け取ったはずで、情趣あるとされたコオロギの声をも「かしかまし」としたとこが俳諧かな(^_^;)
・千載集や平家物語の有名な逸話なのに高浜虚子『俳句はかく解しかく味う』岩波文庫のデタラメ(-"-)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-02-19
扇のたたむ音を詠んでいる句ではないと言うことですね。
確かに、忠度の扇は広げる音を詠んでいるように思える・・・・
by tai-yama (2024-05-09 23:17)
平忠度も「扇をあけてたたむ音」を発したのだと思いますけど、この句は
「きりぎりす」=虫+「扇をあけてたたむ音」から忠度の説話を想起させ、
説話から「きりぎりす」を「かしかまし」と暗に言っているんだなと解り、
好まれるコオロギの声を「うるさいことよ」と捻ってるとこが諧謔(^_^;)
by middrinn (2024-05-10 06:06)
三木紀人は「ずんじる」と読み、それでも正しいらしいが、入試
などでは、誦じるは「そらんじる」と読まないと、なんかまずい
みたいだ。日本の国語界は難しい。私には、付いて行くのは無理
なので、俳句の解釈に以後は、なるべく足を踏み込まないように
しようと思う。
by df233285 (2024-05-10 06:41)
ネットを検索すると「誦[そら]んじる」もありましたけど、
『大辞林』第一版第一刷では、「諳[そら]んじる」ですし、
同書が立項する「誦[ずん]ず」は「誦[ず]する」に同じ
とされ、「誦する」は「(経・詩歌などを)声を出し、節を
つけて読む。」とあるように、この説話ではこの意味(^_^;)
今の俳句、短歌、小説とは違い、俳諧、和歌、物語、漢詩文
などの古典は元ネタを知ってないと解らない嫌いが(@_@;)
by middrinn (2024-05-10 14:50)