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210622読んだ本

読書の厄介なところは、「東関東・西関東」に分割で千葉にサヨナラである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)
グンマーとの交換トレードとなるが戦力的にはアップになるのだろうかダウンなのだろうか(@_@;)

【読んだ本】

渡邊大門編『戦乱と政変の室町時代』(柏書房,2021)

第8章の秦野裕介「禁闕の変」に続いて、第9章の谷口雄太「享徳の乱」を今日は読んだよ(⌒~⌒)

  第9章「享徳の乱」 開かれた戦国期への扉──関東を分断した「三十年戦争」 谷口雄太

     「享徳の乱」の時代背景/乱時の関東の情勢/古河公方と関東管領のパワーバランス/
     乱の流れを変えた長尾景春/「都鄙和睦」による乱の終結/

目次を見て、節見出しの数が他章に比べて少ないのが気になったし、本章は「戦闘の具体的・詳細な
経過」についての叙述は省略して、「乱の大まかな見取り図を示しつつ、乱がその後の歴史に与えた
影響などを考える」(本書176頁)とあった(´・_・`) 小生は「享徳の乱」の具体的な展開は知らない
に等しいのでチト残念だったけど、ナルホド!と思わせる内容だったから、とりあえず満足(⌒~⌒)

「享徳の乱」は鎌倉公方の足利成氏が関東管領の上杉憲忠を処刑したのを機に勃発するが、本書183頁
に「乱の基本構造」が次のように纏められている(^^)

    ・・・「享徳の乱」は足利方(古河公方)と上杉方(関東管領)の全面戦争であり、
    それは関東を二分する戦いであった。関東十ヵ国は基本的に旧利根川を境界として
    東西で分断され、東に足利方、西に上杉方が対峙・割拠した。東(足利方)の総帥は
    古河公方で、その拠点は下総国古河であり、西(上杉方)の総帥は関東管領で、その
    拠点は武蔵国五十子[いかっこ]である。その実態は多様ではあるが、総じて足利方
    には東国大名が、上杉方には室町幕府がついた。上杉氏は自らの足利氏(成潤[=
    成氏の兄]・堀越公方)を支える形で、古河公方・足利氏と対決した。/・・・

上野・武蔵・相模・伊豆が上杉氏の守護国だったとあるけど(本書178頁)、おそらくは越後の守護も
上杉氏の一族だから、北から南まで縦貫してて、北陸道や日本海も使えるし、これは強いわ( ̄◇ ̄;)

本章の最初の方の本書176頁に「結論」が次のように記されていて、チト惹き込まれてしまった(^_^;)

    ・・・/結論からいえば、「享徳の乱」は、東国が室町期から戦国期へ移行する転換点
    となる一大事件であった。しかし同時に、戦国期になっても室町期に創られた構造・枠組
    ともいえるものは根強く維持・継続されることも少なくなかった。このように変化と連続
    の両側面を押さえることが、歴史を捉える上では重要になってくるのである。・・・

「変化」(非連続面)というのは何とな~く分かるわけで、やはり気になるのは「連続」面だな(^^)
成潤(足利成氏の兄)、成潤の病死後は室町幕府の将軍足利義政の兄である足利政知(堀越公方)を
上杉方が担いでいることを説明した上で、本書182~183頁は次のように指摘している(⌒~⌒)

    ・・・/このように、東国には公方(足利氏)─管領(実力者)という秩序が
    存在した。これを公方─管領体制、ないし、公方─管領秩序と呼称する。この
    秩序は根強く、「享徳の乱」以前(「上杉禅秀の乱」「永享の乱」「結城合戦」)
    も足利氏を上杉氏ないし有力者が支えるかたちがとられており、「享徳の乱」
    以後も戦国末期に至るまでこうした秩序は維持された。/事実、戦国大名
    (上杉氏・北条氏・武田氏・佐竹氏・里見氏ら)は自身を管領(副将軍)と
    位置付け、自らの公方(足利氏)を擁立して戦い続けている。いかに足利氏の
    権力が衰えようとも、同氏を権威=王とする価値観は武家間に共有されていた。
    なお、公方は将軍とも呼ばれ、まさに東国の大名・武士たちにとって、足利氏は
    「関東将軍」「東将軍」そのものであった。/・・・

ナルホド!と思いつつも、網野善彦『東と西の語る日本の歴史』(講談社学術文庫,1998)の次の記述
の最後の部分に引かれている佐藤博信の「指摘」はどうなるのかな(@_@;)

    ・・・この後北条氏こそ、東国国家の正統な継承者だったといわなくてはならない。
    佐藤博信氏は、享徳の乱後、北関東を支配する古河公方と南関東を押さえる関東管領
    上杉氏は、対立しつつ両者相俟って、「公方─管領体制」ともいうべき東国独自の体制
    を保持しつづけており、その上杉氏を越後に逐って南関東を制覇した後北条氏は、当初、
    「関東之将軍」古河公方をいただく関東管領として、みずからを位置づけていた、
    と考えている。/伊勢氏から北条氏への改姓は、かつて東国国家の実権者であった
    執権北条氏にみずからを擬したことにほかならず、執権─関東管領─副将軍就任を
    前提とした行動であり、南下を志向する越後の上杉謙信も、甲斐の武田氏も、また
    古河公方を推戴する「公方─管領体制」の枠のなかにあった。そして、永禄十二年
    (一五六九)に古河公方義氏を、みずからの「御家門方」と位置つけるにいたった
    後北条氏は、この体制を止揚し、通貨発行権(撰銭令)、市場開設権(六斎市)、
    狩猟権(立野・立林の設定)などの国家高権─統治権を行使する、東国国家─
    「関東八州国家」の事実上の国王となった、と佐藤氏は指摘する。/・・・

それに、同書は「北関東」と「南関東」に分けてるけど、本書178頁は「東関東」と「西関東」である
ことに次の如く注意を喚起している〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/第一に、関東が南北ではなく東西に分割されていることである。現在のわれわれ
    は関東を分けるというと南北(北関東・南関東)で線引きするのが一般的だろうが、
    「享徳の乱」では東西(東関東・西関東)で割れたのである。ちなみに、その分水嶺と
    なったのは、河川=旧利根川であった。利根川が現在の流路となる=東遷するのは、
    江戸幕府の事業による、近世以降の話である。/・・・

「享徳の乱」(享徳3=1454年~文明14=1482年)は、「東国の三十年戦争」とも言われてるように、
同じ東国で起きた「永享の乱」「結城合戦」と違って「短期間で終結しなかったのはなぜか」という
論点に関し、本書は〈足利方の奮戦もあるだろうが、上杉方に不和があったり、室町幕府から全面的
な支援を受け切れなかったりしたのも大きい。すなわち、「享徳の乱」のさなか、西国では「応仁・
文明の乱」(応仁元[1467]~文明九[1477]年)が勃発したのである。〉とし(本書183~184頁)、
「享徳の乱」の意義を次のように指摘(本書184頁)(^^)

    ・・・「応仁・文明の乱」の要因も複雑であって、すでにそり以前から室町幕府は
    その内部においてさまざまな問題を抱えていたが、東国政策をめぐる幕閣の方向性
    のズレも乱の原因の一つとされている。つまり、「享徳の乱」は「応仁・文明の乱」
    に影響を与えており、西国の「応仁・文明の乱」ではなく東国の「享徳の乱」こそが
    戦国期の出発点であると近年強調されているのである。戦国期は東国で始まり(享徳
    三年の「享徳の乱」)、東国で終わる(天正十八年の「小田原合戦」)のだ。/・・・

本章は次の文章(本書187頁)で〆られ、この「両側面」はアンビヴァレントな感じがして面白いし、
本章の要説なら小生の頭にも残りそう〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/このように、「享徳の乱」は東国を実力主義の時代へ変換する画期となった。
    しかし同時に、足利氏を頂点とする秩序は維持された。この変化と連続の両側面を
    見ることが肝要である。/

・秦野裕介「観応の擾乱」は「九州だけは南朝が・・・支配した」とするが、「九州」は誇張(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-22

・市川裕士「明徳の乱」は教わることが多く目から鱗ボロボロも『明徳記』を誤読してる疑い(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-23

・浅野友輔「応永の乱」、「満兼が中国の革命思想によって天命をかかげたこと」は一顧だにせず(..)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-05

・千葉篤志「上杉禅秀の乱」では虚偽の情報に振り回される貞成親王の『看聞日記』が笑える(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-09

・中根正人「永享の乱」、『鎌倉持氏記』が用いられるようになったのは国文学者の研究が契機(゚o゚;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-14

・前川辰徳「結城合戦」、「結城氏朝は当初幕府方として反乱軍の鎮圧にあたっていた」とは( ̄◇ ̄;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-16

・大内義弘は南朝の皇子を奉じて出陣してて南朝再興を目指してた可能性もと田中義成は記す(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-19

・渡邊大門「嘉吉の乱」から将軍義教の恐怖政治が室町歌壇にも及んだ話へと膨らませちゃった(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-20

・秦野裕介「禁闕の変」、北朝と後南朝の争いではなく、北朝内の二つの皇統の争いだったとは(゚ロ゚;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-21
タグ:歴史
コメント(8) 
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コメント 8

そら

オリ、トップじゃないですか!
今年はもしかするともしかするかも(^^)
by そら (2021-06-22 21:28) 

middrinn

「2021プロ野球 解説者による順位予想【一覧表】」というネット記事によると、
1位に予想した解説者はゼロで、2位予想が亀山つとむだけで、良くて3位予想(-"-)
多くの解説者が5位予想(6位はハム)ですからねヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンドモガァ!!
って、まだ早過ぎますね(^_^;) 小生はAクラスは確実と予想してました(^o^)丿
by middrinn (2021-06-22 21:37) 

tai-yama

昔の東関東は霞ケ浦や椿海もあったので、耕作地が今ほど無かった
とも。西の方が裕福だったと・・・プロ野球も関西の狭い範囲で
両リーグTOP。そして最後は関東と同じく東が負ける・・・・
by tai-yama (2021-06-22 23:28) 

ナベちはる

交換トレードで戦力に与える影響は…すぐは判らないかもしれませんね(^^;
by ナベちはる (2021-06-23 01:04) 

middrinn

上杉氏が後北条氏に追いやられたので、
tai-yama様、生き残った東関東の勝ち
とも(^_^;) 佐藤博信の上記指摘だと、
後北条氏の一人勝ちになるかな(^_^;)
by middrinn (2021-06-23 06:27) 

middrinn

千葉ロッテから最近ドラゴンズにトレードされた加藤翔平、
ナベちはる様、いきなり大活躍して凄いですよね(^_^;)
by middrinn (2021-06-23 06:29) 

df233285

網野善彦は、中世遺跡の発掘研究者の神様でもあるようだけど。
河越城の戦い(河越夜戦)への言及が1998時点のこの部分には
無く、「東国における戦国大名の軍事侵攻」という、通俗的に言われ
ている室町終期東国社会変動説を正面から議論・課題とする姿勢が、
やや弱いと感じられはしないかと私は疑う。
by df233285 (2021-06-23 07:52) 

middrinn

着眼点はユニークなんですが、実証的ではなく、
思い付きの域を出ないこともありますね(^_^;)
『東と西の語る日本の歴史』は、テーマ的にも、
もっとヴォリュームが必要で、色々と論点が抜け
落ちたりもしてるかと(^_^;) 著者なりの戦略か
何かがあり正面から対峙しなかったのかも(^_^;)
by middrinn (2021-06-23 08:42) 

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