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240317読んだ本【バカチン】

パンピーとは違ってオーラが出ていて他の事は記憶に残らなかったとか〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

三木紀人『日本周遊古典の旅』(新潮選書,1990)所蔵本

三木紀人(全訳注)『今物語』(講談社学術文庫,1998)は注釈がメチャ詳しくて梶原正昭&山下宏明
(校注)『平家物語(一)』(岩波文庫,1999)が専門家のくせに見落としてる『平家物語』の重要な
論文にも目配りしてるが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-12 )、
三木紀人(校注)『新潮日本古典集成 方丈記 発心集』(新潮社,1976)はバカチン2回(@_@;)
三木紀人という研究者は、その著作によって出来不出来があるだけでなく、本書においては、出来の
悪い院生に書かせたのかチョー頭の悪いことを述べてたり国文学が専門とは思えぬ間違いをしてる章
もあるので、評価がマジ難しい(@_@;) で、今日の「閑院殿─建礼門院右京大夫集」の章は・・・

    ・・・/『建礼門院右京大夫集』は、その[承安4=1174]年の元旦の回想記事から
    始まる。作者は前年の冬に出仕したばかりとおぼしい。王朝文学を読みふけって来た
    彼女は、宮廷へのさまざまな夢を抱いていたはずであるが、出仕してその夢は十分に
    満たされ、特に宮中の元旦を初めて体験した時、感動は原点に達したようである。

      雲のうへにかかる月日のひかり見る身の契りさへうれしとぞ思ふ

    宮仕えして、月日にもたとえるべき中宮(徳子、後の建礼門院)と天皇(高倉院)を
    見た感想について、心にのこったことを歌ったものである。体験そのもののうれしさは
    もとより、このような体験が用意された我が宿命までもが、うれしいという意である。
    天皇は十四歳、中宮は二十歳、ともに若く、美しかった。そして、十八歳の右京大夫
    自身も同様であるが、彼女は新参の女房として、つつましやかに二人を「物のとほり
    より見まゐらせて[=「通路の方からおみうけして」と糸賀きみ江(全訳注)『建礼門
    院右京大夫集』(講談社学術文庫,2009)は訳]」至福の時間を持ったのである。/
    この場所は、当時里内裏として使われていた閑院殿である。・・・

    ・・・/右京大夫の回想にそって、この年が明けたばかりの閑院殿を想像すると、
    あたかも時が静止したかのごときのどかさ、さんさんと陽光のそそぐ御所などが
    思い描かれよう。彼女の思い出の中の場面もあるいはそのようなものであったかも
    しれない。しかし、右大臣としてその場にあった九条兼実の『玉葉』によると、
    この日は朝から雨模様で、雨足にせきたてられたり遅滞したりして、一連の行事は
    天候に左右されながらようやく行われた。時には雨が激しくなり、それを避ける
    ために中門の下に雑人が充満して、貴族の通行もままならぬ事態もあった、外の
    雨音と中の人々のざわめきとがあいまって、閑院殿は元旦ににつかわしくない騒音
    が支配的であったかと思われる。右京大夫は天皇と中宮について「かかる月日」と
    たとえたが、現実には月も日も、この一日、まったく光を見せなかったのである。
    /・・・

この章は偽者ではなく本物の三木紀人みたいヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪ 『建礼門院右京大夫集』
は冒頭のはしがき(上記の歌&詞書の前)において、家集ではなく「・・・ふと心に浮かんだのを、
思い出されるままに、わたくしひとりの記録として書きおくのです。」と自己規定してて、「・・・
おおよそ歳月の流れに沿って自伝的日記的に綴ってゆく。・・・私家集としての性格と、日記文芸的
な性格とを併せもつ、稀有な作品となった。」と糸賀きみ江・前掲書も評しながら、糸賀きみ江は、
上記件について考証することなく、九条兼実の日記『玉葉』への言及も無ければ、閑院殿であること
すら指摘してない(@_@;) 久保田淳(校注・訳)『建礼門院右京大夫集』(久保田淳[校注・訳]
『新編日本古典文学全集47 建礼門院右京大夫集 とはずがたり』[小学館,1999]所収)も同様だが、
村井順『建礼門院右京大夫集評解』(有精堂,1971→1988新装版)は次の歌の詞書の語釈で閑院殿は
指摘(@_@;) 「記録」「自伝的日記的」なら史料との照合もしろ!ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

・三木紀人『日本周遊古典の旅』(新潮選書,1990)

①「外の浜」は「日本の極北を示す地」ではなく日本の極東を示す地だヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
 「外の浜─御伽草子集(明石物語)」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-18

②『伊勢物語』第12段で同歌を詠んだのは「男」ではなく「女」の方だヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
 「野火止─伊勢物語」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-19

③細かいミスあるも「西行の無智ゆえというより、実方が忘れられかけていたことの現れ」に感心(゚o゚;)
 「笠島─新古今和歌集」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-29

④『大鏡』に出ている歌であって、『拾遺和歌集』のは初句等が異なるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
 「朗詠谷─和漢朗詠集」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-10-28

⑤藤原高光の『新古今和歌集』入集歌の「紅葉」は「多武峰が紅葉の名所」だなんて関係ないよ(^_^;)
 「多武峰─大鏡」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-06-03

⑥『今昔物語集』が「一部の人以外に[は]知られ」ていなかったとは、チト意外だったね( ̄◇ ̄;)
 「陸奥、そして胡国──今昔物語集」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-06-17

⑦「立石寺──芭蕉文集(おくのほそ道)」は、歌枕の地で秀句を詠めず、歌枕ではない場所で有名
 な句が生まれた「皮肉」を指摘(^^)⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-09-13

・三木紀人(校注)『新潮日本古典集成 方丈記 発心集』(新潮社,1976)

①「正暦六年(統理の没年)」とするが幽霊が道長を訪ねたと言うのかヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-06-24

②「誤り」なのは『源平盛衰記』『三国伝記』の「赤坂(三河の国府の近隣の宿)の遊女力寿」(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-06-25
タグ:和歌 古典 歴史
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

実際は雨だったけど、天皇と皇后の後光のおかげで晴れに
思えたのかも。実際、雨のオーラが出る人もいたり・・・
by tai-yama (2024-03-17 23:06) 

middrinn

天皇と中宮は舟形光背とか光背を背負って・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
by middrinn (2024-03-18 05:26) 

df233285

最近は温暖化だけれど、今年春は彼岸の間だけ、出来の悪い院生に
書かせたごとくに冬風が吹くようなので、しぶとい風邪やコロナに
注意が必要なようです。暑さ寒さは彼岸だけ?
by df233285 (2024-03-18 06:54) 

middrinn

日差しも気温もあり、言われてたほど寒くなりませんでしたね(^_^;)
また強風で、トイレの換気扇が逆回転して壊れそうです((;゚Д゚)ヒィィィ!
by middrinn (2024-03-18 15:15) 

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