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240428読んだ本【バカチン】

同じこと考える人が多いらしく「大正天皇 た」と打ち込んだら「大正天皇 誕生日 祝日」と(^_^;)
爪研ぎ用の箱型の段ボールの上に座っている猫、上(げ)畳[あげだたみ]に座る貴人みたい(^_^;)

【読んだ本(バカチン)】

江橋崇『ものと人間の文化史189 百人一首』(法政大学出版局 ,2022)

「百人一首歌かるた」の崇徳院の図像に上(げ)畳が無いものもあるという論点に興味ナシオン主権
だけど(本書33頁は〈・・・/「古型かるた」が「崇徳院」を皇族として扱わないことも『角倉素庵
筆百人一首』と『尊圓百人一首』の表現をそのまま踏襲している[←『百人一首』の刊本で、和歌に
歌人の画像を添えた前者を手本に後者は慶安年間(1648~52年)に刊行と本書31~32頁]。こうした
「崇徳院」の冷遇は江戸時代初期の後水尾天皇の朝廷が平安時代の争乱期に武家勢力に迎合していた
崇徳上皇を激しく嫌って皇族と認めていなかったという文化的な背景に一致するが、「かるた」の画
工がそうした考え方に積極的に同調したのか、それとも単に無自覚に手本に従っただけであるのかは
分らなかった。/〉)、赤染衛門の図像に上(げ)畳があって皇族扱いされているという点は興味
があるので、本書の50頁、51頁、241頁、245~246頁から順にメモっておく_φ( ̄^ ̄ )メモメモ なお、
元禄時代(1688年~1704年)を中心にして、「古型百人一首歌かるた」(「道勝法親王筆百人一首歌
かるた」「浄光院様御遺物百人一首かるた」「諸卿寄合書かるた」など)から、今日まで継承されて
いる二条流の「標準型百人一首歌かるた」への転換が起きたと本書は主張(本書15頁、22頁)(^_^;)

    ・・・/一方、「赤染衛門」「祐子内親王家紀伊」「待賢門院堀河」の図像にある
    問題というのは次のことである。元禄年間(一六八八~一七〇四)以降の「標準型
    百人一首歌かるた」では、「赤染衛門」の図像に皇族用の繧繝縁[うんげんべり]
    の畳を配したり、「祐子内親王家紀伊」の図像に「祐子内親王」その人であるかの
    ように几帳と繧繝縁の畳を配したりする定型的な誤りが現れてくる。「祐子内親王家
    紀伊」は「祐子内親王」その人とその侍女である「紀伊」を混同した誤りとして理解
    できるが、「道勝法親王筆百人一首歌かるた」には誤りはないし、『尊圓百人一首』
    にもそれがない。ただし、『角倉素庵筆百人一首』では皇族扱いである。一方、
    「赤染衛門」については、逆に『角倉素庵筆百人一首』は皇族扱いしていないのに
    『尊圓百人一首』が皇族扱いであり、「道勝法親王筆百人一首歌かるた」は皇族扱い
    をしていない。このように判断が分れた理由は全く理解できず、江戸時代前期には
    「赤染衛門」が実は皇統の血筋、誰かのご落胤の女性であるという噂でもあったのか
    と調べてみたが、該当する事実は見つけられなかった。そこで、私はこの相違が二つ
    揃うのは元禄年間(一六八八~一七〇四)の刊本の歌人の画像の誤りに由来するもので、
    元禄期のバブル景気で浮かれた社会に迎合するように、何人かの女官に気前よく皇族
    用の上畳を配して「かるた」が一層華やかになるようにしたのはかるた屋の商売上の
    サービスであって、したがってこうなっている「かるた」は製作年代が元禄年間(一六
    八八~一七〇四)以前にさかのぼることはないと指摘した。・・・

    ・・・/なお、「古型かるた」には「待賢門院堀河」の図像に繧繝縁の畳を配する
    作例があり、その元は『角倉素庵筆百人一首』における誤解にあったが、「待賢門院」
    とその侍女の「堀河」とは別人であることが理解できたのかこの誤りはその後立ち消え
    になっている。このほか、たった一例だが藤原定家に繧繝縁の畳を配した「かるた」
    もあり、これでは中級の公家にすぎない定家はさぞかし恐縮したことだろうと笑った。
    ・・・

    ・・・/判断のポイントとなる歌人名は「権中納言敦忠」「大僧正行尊」「権中納言
    匡房」「従二位家隆」であり、和歌の本文表記は「三條院」が「うき世」、「源俊頼
    朝臣」が「山おろしよ」、「俊恵法師」が「あけやらぬ」である。これはいずれも
    元禄年間に盛んになった二條流の『百人一首』の表記であって、江戸時代初期(一六
    〇三~五二)、前期前半(一六五二~八八)の冷泉流の『百人一首』の表記ではない。
    ・・・

    ・・・/この画帖[=『時雨殿本3』=『画帖資料番号3 百人一首手鑑』という
    『百人一首画帖』]での奇妙なでき事を解明するカギは、ほぼ同時代に成立したと
    思われる女流絵師、清原雪信の画帖、『時雨殿本14』[=『画帖資料番号14
    百人一首手鑑』という『百人一首画帖』]では、女性歌人のうちで、「持統天皇」
    「赤染衛門」「祐子内親王家紀伊」「式子内親王」の四名が揃って皇族扱いという
    にぎやかさである。「赤染衛門」と「祐子内親王家紀伊」【図4-17】[=本書246頁
    の「祐子内親王家紀伊(左:皇族扱い・尊圓本、右:女官扱い・素庵本)」という
    キャプション付きで掲載されている図像]が揃って皇族扱いになるのは元禄年間
    (一六八八~一七〇四)以降の構図である。・・・

最後の本書245~246頁に〈「持統天皇」・・・「式子内親王」・・・が皇族扱いというにぎやかさで
ある。・・・〉とあるが、この二人は「皇族」かと(^_^;) また【図4-17】のキャプションだけど、
「(左:皇族扱い・尊圓本、右:女官扱い・素庵本)」は誤りで、「(左:女官扱い・尊圓本、右:
皇族扱い・素庵本)」が正しい(^_^;) そうでないと、一番上の本書50頁の「『尊圓百人一首』にも
それ[=几帳&繧繝縁の畳を配する誤り]がない。ただし、『角倉素庵筆百人一首』では皇族扱いで
ある。」という記述と矛盾(^_^;) この【図4-17】の「左」の図像は本書40頁の【図1-12】の「上段
:『尊圓百人一首』の歌人像」とキャプションされた6人の左端の「扇子のない祐子内親王家紀伊」
のモノクロコピー(?)だけど、コレが「皇族扱い」(本書246頁)なら他の「扇子のない蝉丸、笏
のない坂上是則、笏のない紀貫之、扇子のない相模、数珠のない良暹法師」も「皇族扱い」に(^_^;)

優れた女流歌人である赤染衛門について藤原清輔の歌学書『袋草紙』は〈・・・/『江記』にいう、
「赤染衛門は赤染時用の娘である。・・・実は平兼盛の娘である。兼盛は赤染の母と別れた後に、母
に女児が生まれたときいてそれを秘引きとろうとしたが、母が惜しんで兼盛の子ではないといって口
論をして、検非違使志[さかん]であった時用に頼み込んで裁判となった。ところがその母がすでに
時用と関係していたので、いよいよ兼盛の子ではないといって強く時用の子だといい張った。兼盛は
その娘に対面させよと申し立てたということである。/・・・〉(小沢正夫&後藤重郎&島津忠夫&
樋口芳麻呂『袋草紙注釈 上』[塙書房,1974]の訳)と記しており(藤岡忠美[校注]『新日本古典
文学大系29 袋草紙』[岩波書店,1995]の脚注は「この話は現存江記逸文には見えず、・・・」)、
「実父が、兼盛であったことは、家集255も示唆する所であろう。・・・赤染衛門は、兼盛から歌人
としての資質を継承・・・」と関根慶子&阿部俊子&林マリヤ&北村杏子&田中恭子『私家集全釈
叢書1 赤染衛門集全釈』(風間書房,1986)巻頭の「解説」(^_^;) 歌才は遺伝されるのかな(@_@;)
とまれ、歌壇の実力者であった平兼盛が赤染衛門の実父というのは、しっくりくる話ではある(^_^;)
平兼盛は『後撰和歌集』の作者名や『大和物語』では「兼盛王」、『三十六人歌仙伝』は「王氏」と
する由(藤岡忠美「平兼盛伝記考」同『平安和歌史論 三代集時代の基調』[桜楓社,1966]所収)、
工藤重矩『平安朝律令社会の文学』(ぺりかん社,1993)所収の「平兼盛の出自─王氏・平氏の説をめ
ぐって─」では「・・・矛盾する資料をいかにすれば合理的に説明できるか・・・」という立場から
考察して「兼盛は王として生れたであろう。・・・平氏の可能性もないではないが、王という所伝の
否定が困難である。」と結論されている(^_^;) そこで、江戸時代前期には冷泉流の歌学も二条流の
歌学も平兼盛のことを王氏と解していたために赤染衛門まで皇族扱いだったのかな?と思い付くも、
それだと平兼盛の図像も皇族用の繧繝縁の畳が配されていないとおかしいことに気付いてボツ(^_^;)
タグ:歴史 和歌
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コメント 4

tai-yama

江戸の初期ぐらいの天皇まで誕生日をすべて祝日にしたら、365日
祝日になったり(笑)。赤染時用と検非違使志[(お)さかん]
であったと・・・・
by tai-yama (2024-04-28 19:40) 

middrinn

今上天皇でも第126代ですから、365日は埋まらないかと(^_^;)
娘の赤染衛門は良妻賢母の典型のように言われているのに(^_^;)
by middrinn (2024-04-29 05:20) 

df233285

江橋崇氏の書籍は、増川宏一氏の同出版局書籍より、私のような人間
には、論じるコンテンツ量が大量な事が多く、読みにくい事だけは、
少なくとも確かだと思う。
by df233285 (2024-04-29 06:41) 

middrinn

もしかして江橋崇の『ものと人間の文化史173 かるた』(法政大学
出版局 ,2015)を先に読んでから読むべき本なんですかね(@_@;)
by middrinn (2024-04-29 15:14) 

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