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220329読んだ本

お国自慢や町おこしで教育委員会が捏造した「史蹟」が歴史教育に何か益することあるのか(@_@;)

【読んだ本】

三木紀人『日本周遊古典の旅』(新潮選書,1990)所蔵本

西行の「朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯野の薄形見にぞ見る」の『新古今和歌集』の詞書
の訳を峯村文人(校注・訳)『新編日本古典文学全集43 新古今和歌集』(小学館,1995)から(^_^;)

    /陸奥国へ下っていた時に、野中に、とくに目立つようすの墓がありましたので、
    人に聞かせましたところ、「これが有名な中将の墓だと申します」と答えましたので、
    「中将とはどなたか」と尋ねましたところ、「実方朝臣のことです」と申しましたが、
    冬のことで、霜枯の薄がほのぼのと見え渡って、時節がらもの悲しく感じましたので/

同書の頭注は、藤原実方について、〈・・・長徳元年(九九五)、陸奥守に任ぜられ、同四年任地で
死んだ。名の聞えた歌人で、本集にも十二首の歌が入集している。宮中で藤原行成と口論し、暴力を
ふるったので、天皇から、「歌枕見て参れ」ということで、陸奥守に任ぜられたと伝えられ、風雅人
たちの同情を集めた。〉と解説してるけど、「風雅人のたちの同情を集めた」というのは本当かよ?
と言いたくなるような指摘を三木紀人がしてた(^_^;) 本書の「笠島─新古今和歌集」の章で、上記の
詞書と歌を引用した上で次のように記していた(^_^;)

    ・・・/この内容によると、陸奥への旅に際して実方を西行は少しも念頭に
    おいていなかったようである。西行にとってこの旅は、風雅を求めるため
    という一面があったはずで、白河における能因追懐(『山家集』下・雑・
    一一二六)など一連の作を見ればそのことは明らかである。にもかかわらず
    実方に関心を払わなかったのは、西行の無智ゆえというより、実方が忘れられ
    かけていたことの現れであろうか。/・・・

ナルホド!たしかに( ̄◇ ̄;) 鋭いなと感心しつつも異論を述べると、「中将とはいづれの人ぞ」と
西行が訊き返したのは、藤原実方のことを「少しも念頭においていなかった」からではなく、陸奥で
「中将」と言えば、藤原実方の他に在原業平も考えられるから、「どの中将?」と尋ねたかと(^_^;)
藤原実方に随行して( or を追って)下向し、陸奥で亡くなった源重之の名前も(歌人としての格は
藤原実方よりも上だし)小生の頭には思い浮かんだけど、源重之は中将にはなってなかったね(^_^;)

さて、「実方が忘れられかけていた」という三木紀人の指摘には思い当たるふしもあって、佐藤謙三
(校注)『大鏡』(角川文庫,1969)を購入した際の拙ブログ記事「210213買った本&読んだ本」に、
〈さて、さて、さ~て!本書だが、やはり索引があると面白いな(〃'∇'〃) 索引を眺めているだけで、
発見があって、本書の「人名索引」を見る限りでは、『大鏡』に藤原実方は登場しないんだね(゚ロ゚;)
本書は奥付の前に折り込みで「藤原氏略系圖」「帝王・源氏略系圖」があって、貞時(師尹の子)の
子として「實方」も出ているんだけどねぇ(^_^;)〉と書いたけど、平安末期に成立した『大鏡』には
藤原実方が登場しないのも「忘れられかけていた」からなのかな(^_^;) 本書には次の指摘も(^_^;)

    ・・・中世初期[←鎌倉・室町時代の意かと]の、実方をめぐる説話の盛行、
    歌人としての再評価(『新古今集』に彼の詠は十二首採られている)は、
    西行の[『山家集』に載る上記歌の]体験にもとづくと思われるが、・・・

言われてみれば、たしかに、藤原実方をめぐる説話が載っている『古事談』を始めとする説話集は、
西行の最初の奥州行きよりも後に成立したもの(^_^;) 各勅撰集によって編纂方針が異なるとはいえ、
久保田淳(監修)『新日本古典文学大系別巻 八代集総索引』(岩波書店,1995)によれば、藤原実方
は『拾遺和歌集』に7首、『後拾遺和歌集』に14首、『金葉和歌集』に0首、『詞花和歌集』に3首、
『千載和歌集』に4首、『新古今和歌集』に12首となっており、重出を認めてない以上、入集歌の数は
減るはずなのに『新古今和歌集』で激増(^_^;) なお、目崎徳衛『平安文化史論』(桜楓社,1968)に
「・・・[源]重之女の歌は平安時代の勅撰集には一首も採られず、完全に忘却されていた。新古今集
に一首入ってからポツポツと勅撰集に入り、玉葉集に至って一躍七首が採られた。」とあるね(^_^;)
調べてたら、藤原実方より源重之が気になって、今日はグダグダ(^_^;) 源重之の墓は無いのか(^_^;)

バカチンするほどではないけど、本章でも細か~いミスが散見され、「『古事談』巻二・一三二話に
よると、殿上で藤原行成と口論し、・・・」は「巻二・三二話」、「・・・同書同巻・一七一話に、
実方が陸奥で歌枕を見るために毎日外出・・・」は「同巻・七一話」、「実方は、死後に雀となって
都に帰り、清涼殿の台盤所で米をついばむことがあったという(『今鏡』打聞など)。」は『今鏡』
のは「米」とは記してないから「(『源平盛衰記』など)」とするのが正しいオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

・「外の浜」は「日本の極北を示す地」ではなく日本の極東を示す地だヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
 「外の浜─御伽草子集(明石物語)」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-18

・『伊勢物語』第12段で同歌を詠んだのは「男」ではなく「女」の方だヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
 「野火止─伊勢物語」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-19
タグ:和歌
コメント(10) 
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コメント 10

tai-yama

実方中将の墓は奥羽街道のちょっとはずれにあるので、徒歩な
当時を考えると興味がなければわざわざ行かないかと・・・
実方の説話と言えば源氏物語っ!
by tai-yama (2022-03-29 22:52) 

ナベちはる

事実であれば益することは考えられますが、ねつ造であればそうはならないかと…(;`・_・´)
by ナベちはる (2022-03-30 02:18) 

middrinn

目崎徳衛『王朝のみやび』(吉川弘文館歴史文化セレクション,1978→2007新装版)に、
tai-yama様、「参道ともいえぬ参道をみつけそこねて迷った」とありましたよ(^_^;)
by middrinn (2022-03-30 06:50) 

middrinn

大人たちが郷土を愛する気持が強いことは、
ナベちはる様、児童にも伝わりそう(^_^;)
by middrinn (2022-03-30 06:58) 

df233285

そうした視覚効果を与える箱モノ等の乱立により昨今、
「教育育委員会」の権威が低下したおかげの塞翁が馬で、
日本の教育現場従来の魏志倭人伝論を疑うことが、
ようやく私にも出来るようになり、国家観そのものが
変わりました。
by df233285 (2022-03-30 07:41) 

middrinn

いじめが原因らしい児童の自殺事件発生の度に、
教育委員会の権威は低下してますしね(@_@;)
by middrinn (2022-03-30 08:20) 

美美

街のために捏造に至った場合、良いとは言えませんが
横領ばかり繰り返していた市長に比べたら・・・(-_-;)
嫌なご時世ですね。

by 美美 (2022-03-30 15:18) 

middrinn

憂き世ですね(-ω-、) 素敵な花と鳥さんと、
可愛いミミ様を見ると明るくなります(^^)
by middrinn (2022-03-30 16:39) 

yokomi

極北も極東もロシアだ!という感じ(^_^;) 捏造とは言い過ぎかも。みんな千切れたような糸を辿って、あやかって光を浴びたいだけでしょうね(>_<) 当地にもいろいろ有ります(^_^;)
by yokomi (2022-03-31 13:27) 

middrinn

史実の捏造であり、歴史への冒涜です(^_^;)
by middrinn (2022-03-31 17:59) 

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