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230913読んだ本

ここぞという時に役に立たない中高年男性の典型を見るようだな〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

三木紀人『日本周遊古典の旅』(新潮選書,1990)所蔵本

三木紀人(全訳注)『今物語』(講談社学術文庫,1998)の注釈がメチャ詳しく、梶原正昭&山下宏明
(校注)『平家物語(一)』(岩波文庫,1999)が専門家のくせに見落としてた『平家物語』の重要な
論文にも目配りしてたので(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-12 )、
三木紀人『鴨長明』(1995年⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-04-09 )や
三木紀人(全訳注)『徒然草』(1979-1982年)全四巻の講談社学術文庫も著者買いした次第だが、
本書は出来の悪い院生か何かに書かせたのか、チョー頭の悪いことを述べてたり、国文学が専門とは
思えない間違いまであったりして、小生には人を見る目が無かったのか!と自己嫌悪に(ノ_-;)トホホ…
だが、「立石寺──芭蕉文集(おくのほそ道)」の章は『おくのほそ道』の「皮肉」を指摘してて、
前回に続いて興味深い内容だった(^_^;)

先ず「・・・『おくのほそ道』における絶唱の一つ・・・」である「閑さや岩にしみ入る蟬の声」が
詠まれた場所で知られる立石寺(清和天皇の勅願で開かれたと伝わる)について次の指摘(@_@;)

    ・・・/しかし不思議なことには、この天下の絶景も芭蕉以前には和歌や物語の世界に
    取り上げられることがなかった。少なくとも、芭蕉当時の名所和歌集の類にはこの地は
    登場せず、したがって曾良が出発前に作った「名所備忘録」と呼ばれる心覚えのメモに
    も何の記述も見えない。/芭蕉自身、この寺の存在を知らなかった様子・・・

つまり、立石寺は歌枕でもなかった(にもかかわらず、秀句が誕生した)わけで、更に「歌枕探訪を
旅の大きな目的の一つとしていた『おくのほそ道』の旅・・・」のはずが、「みちのく」の代表的な
歌枕の地では秀句を詠めず、歌枕ではない場所で有名な句が生まれたという「皮肉」を指摘(⌒~⌒)

    ・・・/皮肉なことには、芭蕉が旅の最大の目的地とした代表的な歌枕である、
    白河の関や松島では芭蕉は会心の発句を得ることが出来ず、自身の句を示さずに、
    曾良の句を代わりに掲げるにとどめなければならなかった(白河の関の発句に
    ついては須賀川の段で「風流の初めや奥の田植うた」の句を披露しているが自信作
    とは考えられない)。/それに対して、『おくのほそ道』で詠まれた句のなかでも
    今日、絶唱として評価される句は、たとえば高館の段の、/夏草や兵どもが夢の跡/
    にしても、佐渡を望んで詠まれた、/荒海や佐渡に横たふ天の河/にしても、
    いずれも歌枕以外の地で詠まれている。/・・・

「みちのく」の歌枕のように都から遠く離れてしまうと、能因や西行等の一部の歌人を除くと歌枕を
実際に見て歌を詠む歌人などおらず、フツーは想像で詠む(^_^;) もしかして芭蕉はイメージしてた
のと違ったから秀句を詠めなかったとか(^_^;) 秀句が出てくる章段は歌枕じゃないので、読者には
『おくのほそ道』=「歌枕探訪」という印象は薄いかと(^_^;) 従って、「・・・『おくのほそ道』
の旅の目的の一つが歌枕探訪であったことはよく知られる・・・」という本書の認識は疑問(@_@;)

・三木紀人『日本周遊古典の旅』(新潮選書,1990)

①「外の浜」は「日本の極北を示す地」ではなく日本の極東を示す地だヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
 「外の浜─御伽草子集(明石物語)」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-18

②『伊勢物語』第12段で同歌を詠んだのは「男」ではなく「女」の方だヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
 「野火止─伊勢物語」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-19

③細かいミスあるも「西行の無智ゆえというより、実方が忘れられかけていたことの現れ」に感心(゚o゚;)
 「笠島─新古今和歌集」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-29

④『大鏡』に出ている歌であって、『拾遺和歌集』のは初句等が異なるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
 「朗詠谷─和漢朗詠集」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-10-28

⑤藤原高光の『新古今和歌集』入集歌の「紅葉」は「多武峰が紅葉の名所」だなんて関係ないよ(^_^;)
 「多武峰─大鏡」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-06-03

⑥『今昔物語集』が「一部の人以外に[は]知られ」ていなかったとは、チト意外だったね( ̄◇ ̄;)
 「陸奥、そして胡国──今昔物語集」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-06-17
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

実方の墓みたいに行こうとしても行けなかった地もあるし・・・
実は歌枕(現地に行く予定だった地)に行けなかったので
句も思いつかなかったとかもあったり(笑)。
by tai-yama (2023-09-14 00:12) 

middrinn

ナルホドね(@_@;) ただ、御存知でしょうけど、藤原実方の墓は歌枕ではない(@_@;)
だからこそあっさり行くのを断念したわけで、歌枕なら無理してでも訪れたかと(@_@;)
次の機会もあるとは考えなかったでしょうし、行きたかった歌枕は行ったのでは(@_@;)
それだけ意気込んで訪れた歌枕の地だから肩に力が入り秀句が詠めなかったとか(^_^;)
by middrinn (2023-09-14 06:24) 

df233285

「危ないな断崖上の五大堂」位の川柳が、私の能力の
限界なので。確かにいざという局面で、あんまり役に
は立たないですね。天童で将棋調べるのに力が入って
いて、ここの訪問が、そのとき付け足しだったのもあ
りますが。
by df233285 (2023-09-14 06:36) 

suzu*

中高年男性?はて?おいくつぐらいなんざんしょ?
うーむ。ウチぐらいの歳かしらね(笑
政治を取り仕切る割には…ね?
by suzu* (2023-09-14 07:14) 

middrinn

写真で見た限りでも、あれだけの「絶景」が、
長さん様、「芭蕉以前には」全く取り上げられ
てないというのはチト信じ難いですね(^_^;)
by middrinn (2023-09-14 09:00) 

middrinn

46歳で『おくのほそ道』の旅に出て、亡くなったのは51歳です(^_^;)
suzu*様、現代より平均寿命が短いので、「中高年」は微妙かも(^_^;)
by middrinn (2023-09-14 09:55) 

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