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230625読んだ本【バカチン】

『方丈記』のミーハー人気はマジで何とかならんのかねぇ(ノ ̄皿 ̄)ノメイワクナンダヨ!┫:・’.::
本書は110円じゃなきゃ買わん( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚ 新潮日本古典集成を揃えようとしてると思われてそう
だが、一冊だけ出来が悪そうなので未だに買わずに新編日本古典文学全集で読んでるのがある(^_^;)
朝5時前にブックオフに注文したら昼12時前に発送手続完了通知があり喜ぶも鹿児島市だった(^_^;)

【読んだ本(バカチン)】

三木紀人(校注)『新潮日本古典集成 方丈記 発心集』(新潮社,1976)

今日も本書で鴨長明の『発心集』をバラバラ読んでたら、第二「四 三河入道寂照、入唐往生の事」
の頭注三に苦笑(^_^;) 傍注の現代語訳を補って本文の冒頭部分及び「たぐひなく覚えける女を相ひ
具してくだりける程に」に付された頭注三を、ともに本書98頁から引く(^_^;)

    /三河の聖と云ふは、大江定基と云ふ博士、是なり。三河守になりたりける時、
    もとの妻を捨てて、たぐひなく覚えける女を相ひ具して[=たとえようもなく
    すばらしく思えた女を伴って]くだりける程に、国にて、女、病を受けて、
    つひにははかなくなりにければ[=死んでしまったので]、嘆き悲しむ事
    限りなし。・・・

    『源平盛衰記』七「近江石塔寺の事」、『三国伝記』十一・二十四によると、
    赤坂(三河の国府の近隣の宿)の遊女力寿。これが正しいとすれば、本文に
    (都から愛人を)「相ひ具してくだりける」云々とあるのは誤り。

「誤り」なのは『源平盛衰記』『三国伝記』の「赤坂(三河の国府の近隣の宿)の遊女力寿」説で、
『発心集』の「本文」〈(都から愛人を)「相ひ具してくだりける」云々〉の方が「正しい」(^_^;)

三木紀人の史実探究姿勢は買うも、調査が中途半端(^_^;) 昨日の第五「七 少納言統理、遁世の事」
でも、調べれば『御堂関白記』に加え『小右記』『権記』に反証が沢山あって(返信コメで列挙)、
「正暦六年(統理の没年)」が「誤り」であると即判明し、間違った推論をせずに済んだのに(^_^;)

さて、竹鼻續(全訳注)『今鏡(下)』(講談社学術文庫,1984)は、「三河の聖の事」の「・・・
三河守になりて国へ下り給ひけるに、類なくおぼえける女を具しておはしけるほどに、女みまかりに
ければ、・・・」を「・・・三河守になって任国へ下向なさいましたときに、(もとの妻を捨てて)
このうえなく愛した女を連れていらっしゃいましたところ、女が亡くなってしまったので、・・・」
と訳した上で、次のように指摘するv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    ・・・/(一)寂照の発心の要因が愛する女性の死にあることは、諸書一致しているが、
    この女性については、『今昔物語集』に

     ・・・

    と詳しくみえ、都から三河に同道したことになっている。これに対して、『源平盛衰記』
    七、『三国伝記』十一などでは、赤坂の宿の遊女力寿ということになっている。しかし、
    『道済集』には、

     ・・・

    とあって、三河で亡くなったのは都から同道した女性であることがわかる。/・・・

桑原博史『私家集全釈叢書2 源道済集全釈』(風間書房,1987)から引くよオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

     三河入道の三河なりしほど、女のなくなりにけるに京に上りて、
     しうとめのもとにありて、また下るに、あはれなる歌詠みかはしたりけるを、
     書き置いたりし草子を見て、

    あはれ知る涙はさらにおほかたの人のためとも分かずぞありける

      三河入道寂照が(三河守として)三河にいた頃、妻である女がなくなったので
      上京して、姑のもとにしばらくいて再び三河に下る時に、しみじみと悲しい歌を
      (姑と)詠み交わしたのを、書き置いた草子を見て(私が詠んだ歌)、

     人の死の悲しみを知って流す涙の多さといったら、亡くなった多くの人のためとも、
     入道の妻のためとも、まったく区別することができないことです。

なお、詞書の「三河入道」を増田繁夫『和歌文学大系 拾遺和歌集』(明治書院,2003)は寂照の兄の
大江為基と解したそうだが、竹鼻績『拾遺抄注釈』(笠間書院,2014)によって論破されてる(^_^;)

・三木紀人『日本周遊古典の旅』(新潮選書,1990)

①「外の浜」は「日本の極北を示す地」ではなく日本の極東を示す地だヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
 「外の浜─御伽草子集(明石物語)」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-18

②『伊勢物語』第12段で同歌を詠んだのは「男」ではなく「女」の方だヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
 「野火止─伊勢物語」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-19

③細かいミスあるも「西行の無智ゆえというより、実方が忘れられかけていたことの現れ」に感心(゚o゚;)
 「笠島─新古今和歌集」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-29

④『大鏡』に出ている歌であって、『拾遺和歌集』のは初句等が異なるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
 「朗詠谷─和漢朗詠集」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-10-28

⑤藤原高光の『新古今和歌集』入集歌の「紅葉」は「多武峰が紅葉の名所」だなんて関係ないよ(^_^;)
 「多武峰─大鏡」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-06-03

⑥『今昔物語集』が「一部の人以外に[は]知られ」ていなかったとは、チト意外だったね( ̄◇ ̄;)
 「陸奥、そして胡国──今昔物語集」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-06-17
タグ:歴史 説話 和歌
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

『方丈記』のミーハー人気で、もしかしたら方丈記研究が進むかも。
新刊がたくさん出たらいろいろな見方から方丈記ネタも書き易いと。
by tai-yama (2023-06-25 22:31) 

middrinn

ゴミばかりで読むのも時間の無駄でしょう(^_^;)
by middrinn (2023-06-26 05:19) 

df233285

大江定基。西暦1020年代の後半あたりに、日本に帰って来てたら、
北宋の文化情報が、今より潤沢に残って、良かったのにと悔やみます。
by df233285 (2023-06-26 06:24) 

middrinn

弟子の念救が一時帰国した際に、寂照(大江定基)は皇帝たちの前で
鉢を飛ばしたなどと吹きまくったから、帰国できないでしょう(^_^;)
by middrinn (2023-06-26 06:40) 

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