SSブログ

221028読んだ本【バカチン】

人を見る目が無いと言われればそれまでだが、ジャケ買いと違って著者買いにはハズレもある(-ω-、)

【読んだ本(バカチン)】

三木紀人『日本周遊古典の旅』(新潮選書,1990)所蔵本

三木紀人(全訳注)『今物語』(講談社学術文庫,1998)の注釈がメチャ詳しく、梶原正昭&山下宏明
(校注)『平家物語(一)』(岩波文庫,1999)が専門家のくせに見落としてた『平家物語』の重要な
論文にも目配りしてたので(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-12 )、
三木紀人『鴨長明』(1995年⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-04-09 )や
三木紀人(全訳注)『徒然草』(1979-1982年)全四巻等の講談社学術文庫も著者買いした次第だが、
本書は出来の悪い院生か何かに書かせたのか、チョー頭の悪いことを述べてたり、国文学が専門とは
思えない間違いまであったりして、小生には人を見る目が無かったのか!?と自己嫌悪に(ノ_-;)トホホ…
今回は「朗詠谷─和漢朗詠集」の章を読んだ(-ω-、)

    ・・・/『朗詠集』との関係ははっきりしないにせよ、[藤原]公任は長谷で安定かつ
    充実した日々を手に入れたものらしく、ここで十五年間の余生を送り、七十六歳の長命
    を保った。その間の都人との交信がいくつか伝わるが、中でも特筆すべきは長子の定頼
    とかわしたものであろう。

      思ひやる心だにゆく紅葉ばを見せて散らすな峯のこがらし   (定頼)
      名に高き峯のあらしはさむからじ紅葉の錦身にし着たれば   (公任)
      ふるさとの板間の風に寝覚して谷の嵐を思ひこそやれ     (定頼)
      谷風の身にしむごとにふるさとの木のもとをこそ思ひやりつれ (公任)

    などの類である。前の贈答は、詞書によると、長谷にある岡の紅葉についてのもので
    ある。秋に木々が色付くことにちなんで紅[くれない]の岡と呼ばれていたが、公任が
    その見事さをめでて「八塩[やしお]の岡」(「やしお」は八回染めること)と命名、
    以後歌枕とされるようになった。これをとりあげたやりとりは定頼の歌集[ママ]の、
    谷の風を歌いあった後の贈答は公任の歌集[ママ]のそれぞれの掉尾を飾っている。
    これらと語彙、歌材が共通する公任の有名な前作、

      小倉山あらしの風のさむければ紅葉の錦きぬ人ぞなき   (『拾遺集』巻三・秋)

    を思い出して重ねるとき、父子の思いが奥行深くせまってくることであろう。/この歌
    は[藤原]道長主催の大井川逍遥、公任が三舟の才をうたわれることになった折の詠で
    ある。作文・管弦・和歌と、各道にたけた人々を道長が三つの船に分乗させたのに対し、
    どの船にも乗る資格を持つ公任は、特に和歌の船を選んで乗る際にこのように歌った
    (『大鏡』第二巻その他)。・・・

藤原定頼の家集(←この場合は「歌集」とは言わない)は未確認で、伊井春樹&津本信博&新藤協三
『私家集全釈叢書7 公任集全釈』(風間書房,1989)や後藤祥子(校注)『公任集』(犬養廉&後藤
祥子&平野由紀子[校注]『新日本古典文学大系28 平安私家集』[岩波書店,1994]所収)を見る限り
藤原公任の家集には「後の贈答」(「ふるさとの」&「谷風の」)だけでなく「前の贈答」(「思い
やる」&「名に高き」)も収録されているけど、それはさておき、「小倉山あらしの風のさむければ
紅葉の錦きぬ人ぞなき」を「『拾遺集』」入集歌とするが、その歌は『大鏡』に出てる歌で、『拾遺
和歌集』では「朝まだき嵐の山の寒ければ紅葉の錦きぬ人ぞなき」だヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

なお、『拾遺和歌集』堀河具世筆本では「朝まだき嵐の山の寒ければ散る紅葉ばをきぬ人ぞなき」、
公任の家集では「あさぼらけ嵐の山のさむければ散る紅葉ばをきぬ人ぞなき」で、異なってる(^_^;)

また「小倉山」の歌は「名に高き」の歌と「紅葉の錦」という「語彙・・・が共通」しているけど、
後藤祥子・前掲書が「名に高き」の歌の脚注で〈「紅葉の錦」は常套的な歌語であるが、一三九[=
「あさぼらけ」の歌]に関して公任があえてこの語を忌避したことは有名(袋草紙)。ここでは別な
規準がはたらいていると見るべきか。〉と指摘している点の方が興味深いけど、本書はスルー(^_^;)
「この語を忌避した」とは「朝まだき嵐の山の寒ければ散る紅葉ばをきぬ人ぞなき」と公任が詠んだ
のを花山院が『拾遺和歌集』を撰する時に「散る紅葉ばを」を「紅葉の錦」と直そうとしたら公任が
拒否したとされるエピソードを指し、『十訓抄』『古今著聞集』にも入っていて、有名な話(⌒~⌒)

にしても、本書は新潮社創立八十年記念出版の「新潮日本古典集成」の完結に際して刊行されたもの
なのに、週刊新潮2016年10月20日号が次の如く自画自賛した新潮社校閲部の目は節穴かよヾ(`◇´)ノ

    ・・・手前味噌で恐縮だが、新潮社の校閲部と言えば、出版業界では“超一流”
    として知られた存在。・・・

・三木紀人『日本周遊古典の旅』(新潮選書,1990)

①「外の浜」は「日本の極北を示す地」ではなく日本の極東を示す地だヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
 「外の浜─御伽草子集(明石物語)」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-18

②『伊勢物語』第12段で同歌を詠んだのは「男」ではなく「女」の方だヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
 「野火止─伊勢物語」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-19

③細かいミスあるも「西行の無智ゆえというより、実方が忘れられかけていたことの現れ」に感心(゚o゚;)
 「笠島─新古今和歌集」⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-29

・もし公任も関白になり子の定頼まで関白になってたら定頼は殺生関白と呼・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;コロサレルゾ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-28

・もし藤原公任だったら、和歌、漢詩、管弦に造人を加えて、三船ならぬ四船の才にヒィィィィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-03-08
タグ:随筆 和歌 古典
コメント(6) 
共通テーマ:

コメント 6

ナベちはる

ジャケットは一種のアートなので「好みかどうか」が目に見えて分かるのですが、本は表紙やタイトルだけだと作品のジャンルが断定しきれないので、著者が「書く作品のジャンル」を1つに絞っていない限りは中を見るまでは分からないですよね(^^;)

追伸:寒さ対策のご教示、ありがとうございます<(_ _)>
by ナベちはる (2022-10-29 01:27) 

middrinn

ジャケットは一見して好みかどうか判断できますからね(^_^;)
たしかに、著者が新たなジャンルに挑戦して手を広げた場合が
困りますね(^_^;) 著者の専門外の分野だと危ないかも(^_^;)
by middrinn (2022-10-29 07:15) 

df233285

このブログの内容は、最近の秋空の如くに益々冴えわたって
いますね。

by df233285 (2022-10-29 07:32) 

middrinn

ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!を使うほどのミスではない気も(^_^;)
ただ、『公任集』『拾遺集』『拾遺抄』『大鏡』等で異同が多い上に
上述のエピソードも有名なので、専門家らしからぬ間違いかと(^_^;)
by middrinn (2022-10-29 08:44) 

tai-yama

ジャケットの見栄えは重要っ!。私も騙された・・・(泣)。
三木紀人さんは公任が拒否した方(若干違うけど)を載せたと。
夢枕で、公任に怒られていたり。
by tai-yama (2022-10-29 18:45) 

middrinn

ジャケットで騙されたのはエロDVDでしょ(^_^;)
本のジャケット買いは別に騙されませんよ(^_^;)
新日本古典文学大系『拾遺和歌集』も定家本に基づ
いて「紅葉の錦」なので、公任は不満かも(^_^;)
by middrinn (2022-10-29 20:55) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。