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211031読んだ本

読書の厄介なところは、インターテクステュアリティを考慮せぬ訳である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
雨が止んでいる時間帯に投票してきた小生も、この総選挙の勝者の一人といえよう・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

【読んだ本】

源顕兼(編)伊東玉美(校訂・訳)『古事談 上』(ちくま学芸文庫,2021)所蔵本

よく知られている花山天皇が藤原道兼に騙されて退位・出家する『大鏡』の場面を、石川徹(校注)
『新潮日本古典集成 大鏡』(新潮社,1989)で紹介すると、花山天皇が清涼殿から出ようとした時、
「在明の月のいみじく明かりければ[あかるかったので]」、花山天皇が「『顕証にこそありけれ
[〔これでは〕人目に立ち過ぎる]、いかがすべからむ[どうしたものか]』」と躊躇したところ、
藤原道兼が「『さりとて、とまらせたまふべきやう侍らず[中止あそばすわけにも参りますまい]。
神璽・宝剣渡りたまひぬるには[〔皇太子さまのお手許に〕お渡りになってしまいました以上]』」
と急き立てると、ちょうど「さやけき影をまばゆく[月光をまぶしく]おぼしめしつるほどに、月の
顔に村雲のかかりて、少し暗がりゆきければ、[花山天皇は]『我が出家は成就するなりけり[成功
するに違いない]』」と仰って外に出るも、亡くなった弘徽殿女御の手紙のことを思い出して取りに
戻ろうとしたので、「『いかにおぼしめしならせおはしましぬるぞ[どのようなお気持ちにおなりに
なったのか]。ただ今過ぎば[時刻が過ぎたら]、おのづから障りも出でまうで来なむ[自然と支障
も出てくるおそれがありましょう]』」と道兼が「空泣き[泣く真似]」までして急かしてる(^_^;)

「顕証」に付した同書頭注が「明らかな様子。明るいさま。顕[あらわ]なさま。」とするように、
有明の月の光で外が明るいものだから、誰かに発見されて出家を止められるかもと心配も、月に雲が
かかって少し暗くなったので、これぞ天佑とばかりに「我が出家は成功するに違いない」と確信する
花山天皇の内面描写や話の展開に不自然なところは無いv( ̄∇ ̄)ニヤッ この「ちょうど一ケ月」後に、
それは一条天皇が即位した日の夜でもあるけれど、花山院が播磨国で月の光の明るさに都を恋しがる
歌を詠んでいるのが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-28 )、意味深に
思えてしまうわな(^_^;) それはさておいて、この『大鏡』の印象的なシーンは、その後の説話集にも
採用されている(⌒~⌒) 『十訓抄』のは浅見和彦(校注・訳)『新編日本古典文学全集51 十訓抄』
(小学館,1997)の訳で当該部分を引く(^^)

    /・・・まさに内裏をお出になった夜は、寛和二年六月二十三日のことであった。
    有明の月の大変に明るい晩であったので、帝はさすがに顕証すぎる、どうしたもの
    だろうかと、お迷いの気持を持たれ、ためらわれていた時、ちょうど一群の雲が
    月にかかった。/「私の願いはかなったぞ」と、貞観殿の高妻戸より下りていかれた
    のだった。・・・

「有明の月」について「月明かりで天皇の外出があらわになるのはよくなかった。」と同書頭注(^^)
なお、『古今著聞集』のは『十訓抄』の同記事が抄入されてて、西尾光一&小林保治(校注)『新潮
日本古典集成 古今著聞集 下』(新潮社,1983→2019新装版)を見ると、その解釈も同様ゆえ省略(^^)
仏教説話集『沙石集』のは小島孝之(校注・訳)『新編日本古典文学集52 沙石集』(小学館,2001)
の当該部分の訳を引く(^^)

    ・・・まさに内裏をお出になられようとした夜は、寛和二年六月二十三日、
    有明の月が曇りなく澄み渡っており、さすがに名残惜しく思われたのだろうか、
    群雲が月にかかったので、「私の願いは今まさに叶えられようとしている」と
    おっしゃって、貞観殿の高妻戸より勢いよく外へお下りになられた。・・・

「我が願[ぐわん]既に満つ」に付された同書頭注に「月が雲に隠されてあたりが暗くなったので、
脱出する姿を人に見とがめられないから。」とあり、『大鏡』『十訓抄』『古今著聞集』と同じ(^^)

さて、さて、さ~て!『古事談』のを伊東玉美の訳で引くけど、皆の衆、驚かれるなよ(⌒~⌒)ニヤニヤ

    ・・・また、ついに内裏を後にされようとした時、有明の月の雲一つない光を、
    こんな時とはいえ感慨深く御覧になり、迷って歩みをとめていたところ、
    雲が月を覆って周囲が暗くなったので「わたしの出家の宿願は達成された」
    とおっしゃり、貞観殿の高妻戸から飛び下りられて、・・・

「こんな時とはいえ」とあるので、「感慨深く御覧になり」には、おそらく風流心を掻き立てられた
という意が込められており、和歌に堪能な花山天皇らしく、清涼殿から眺める月こそ素晴しいという
和歌(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-29 )を詠ん・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
冗談はさておき、この訳だと花山天皇の心の動きや話の流れが不自然(@_@;) ①月の光を「感慨深く
御覧にな」る → ②「雲が月を覆って周囲が暗くなった」→ ③「わたしの出家の宿願は達成された」
という展開を、どう合理的に説明するのかしら(@_@;) ①有明の月の光が素晴しいなぁ(〃'∇'〃)
和歌でも詠んじゃおうかなぁウキウキ♪o(^-^ o )(o ^-^)oワクワク♪ → ②あれれ!雲に覆われちゃった!
つまんないの(´ヘ`;) → ③そっか!歌詠むよりお経読めという天の啓示かo(-`д´- o)アタマソルゾ!!
とかモーソーしてみた(^_^;) ②「雲が月を覆って周囲が暗くなった」から③「わたしの出家の宿願は
達成された」という展開を導くには、やはり〈月明かりで人目につきそう〉という説明が前提として
必要であり、「有明の月の雲一つない光を、・・・感慨深く御覧にな」ってた人が「雲が月を覆って
周囲が暗くなった」途端に、これなら人目につかずに行ける!と急に思い付くとは考え難い(@_@;)
伊東玉美の本書は「有明の月くまなく影を、さすが見所におぼしめして」の「見所」に「みどころ」
とルビを付けてるが、川端善明&荒木浩(校注)『新日本古典文学大系41 古事談 続古事談』(岩波
書店,2005)は「けんぞ」とルビを付けており、その脚注で〈・・・「見所」は、あらわなさま。人目
につくさま。「顕證」の転。「在明の月のいみじうあかかりければ、顕證(けんしょう)にこそあり
けれ」(大鏡)。〉と説明して『大鏡』と解釈を同じくする(^^) 時系列的にも『大鏡』と『沙石集』
『十訓抄』『古今著聞集』の間に位置する『古事談』が異なった話になるとは考え難いかと(@_@;)

・伊東玉美(校訂・訳)『古事談』は注釈がスカスカのカスなんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-27

・『新日本古典文学大系41 古事談 続古事談』は一見よく調べてるようで実は手落ちがある(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-29

・「ポルノグラフィティの要素」だと∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?日本のロックバンドの名称(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-07

・ちくま学芸か岩波、どちらかが誤読・誤訳をしていることになるわなぁ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-27

・万寿4=1028年没の道長が長久3=1042年生の師実を知るわけねーだろヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-28

・光孝天皇は親王時代にはビンボーだったんだ(;_;)と同情したのを後悔(ノ ̄皿 ̄)ノカネカエセー!┫:・

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-07-25

・注釈スカスカの本書で『古事談』を読むのは愚の骨頂だが、上には上が(下には下が?)( ̄◇ ̄;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-20

・出典を調べれば「分憂」とは天子の憂いを分かつ意なのに民の憂いを分かつと解説してる( ̄◇ ̄;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-24
タグ:説話 歴史
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

晴れが曇りになればどうみても「先行き怪しい」になるのに・・・
「宿願かなったのは」花山天皇ではなく道兼っ!
by tai-yama (2021-10-31 23:14) 

ナベちはる

雨が止んでいるときの投票、間違いなく勝者ですね☆彡
by ナベちはる (2021-11-01 01:01) 

middrinn

たしかに、月に雲がかかって暗くなると、
tai-yama様、不吉なと思いそう(^_^;)
by middrinn (2021-11-01 07:24) 

middrinn

傘をさして行ってきて、その後、止んだりすると、
ナベちはる様、凄く損した気分になります(^_^;)
by middrinn (2021-11-01 07:25) 

yokomi

六月二十三日は旧暦だと思うので調べたら、京都では24時頃の月の出。なので、そこから更に経った辺りでの出家かと。でも女房共は未明の早くから起きるとか。夜半過ぎは気付かれる心配が有ったのでは....。
by yokomi (2022-05-23 16:00) 

middrinn

「在明の月」とありますし、石川徹・前掲書の頭注が「旧暦の二十日過ぎの月で、
深更から明け方にかけての月。」と解説してある通りの時間帯でしょう(^_^;)
by middrinn (2022-05-23 16:51) 

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