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210529読んだ本【バカチン?】

読書の厄介なところは、一見よく調べてるようで手落ちがあることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
ちょっとネット検索しただけで「調べた!」とドヤ顔で言われるのもねぇ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本(バカチン?)】

川端善明&荒木浩(校注)『新日本古典文学大系41 古事談 続古事談』(岩波書店,2005)

源顕兼(編)伊東玉美(校訂・訳)『古事談 上』(ちくま学芸文庫,2021)の巻第一「王道后宮」の
四七「顕基出家の事」の訳の前半を引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    /顕基中納言は後一条天皇の寵臣だった。天皇がお亡くなりになった後、
    「忠臣は二君に仕えない」と言って、四十九日の後、比叡山首楞厳院に登って
    剃髪入道した。発心した発端は、天皇がお亡くなりになった後、棺に燈が
    供えられていないのを見て、理由を聞くと、「照明などを担当する主殿司が、
    みな新天皇のお世話で出払っているので」とのことだった。これを聞いて、
    すぐさま発心したという。平生、常に白楽天の詩「古墓何れの世の人ぞ、
    姓と名とを知らず。化して道の傍[ほと]り土と為り、年々春草生ず」
    (古い墓はいつの時代の人のものだろう、姓も名も分からない。風化して
    路傍の土となり、毎年春の草が生える)の句を吟詠していた。また「ああ、
    無実の罪で配流され、その地で月を見たい」と言っていた。比叡山の麓、
    大原山に住み、疑いなく往生したであろう人だ。法名は円昭。まず横川に
    登って剃髪し、後に大原に移住したという。/・・・

風雅な源顕基の「罪なくて配所の月を見ばや」は過去に何度も取り上げたけど、今回気になったのは
「白楽天の詩」として引かれている「古墓何世人 不知姓与名 化為道傍土 年々春草生」(@_@;)

同書は注釈がスカスカなので(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-27 )、
「白楽天」に付した注4に「七七二-八四六。中唐の詩人。詩文集に『白氏文集』。」(←こんな注が
役に立つか?)とあるだけだし、浅見和彦&伊東玉美(責任編集)内田澪子&木下資一&高津希和子
&蔦尾和宏&土屋有里子&松本麻子&山部和喜『新注 古事談』(笠間書院,2010)42頁の頭注1は当該
詩句について〈白氏長慶集二・続古詩十首の第二「掩涙別郷里、飄颻将遠行……」の一節。〉と記す
のみなのに対して、流石、岩波の新体系と言うべきか、本書65頁の脚注17は次の通り(@_@;)

    白氏文集二・諷喩「続古詩十首」のうち。「古き墓何れの世の人ぞ、姓と名を知らず、
    化して道傍の土と為り、年々若草生ゆ」。第三句「道傍」は、十訓抄、発心集「路傍」。
    [古今]著聞集「路辺」。

他の説話集の同話・類話との異同の指摘は流石も、訓読文が『白氏文集』の原詩句のなら変(@_@;)
藤岡忠美(校注)『新日本古典文学大系29 袋草紙』(岩波書店,1995)の脚注を引く( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    白氏文集二・続古詩十首の中の詩の一節。「道傍」は文集では「路傍」とある。
    旅中の感慨として人生の空しさをうたう詩。

藤岡忠美によると『白氏文集』の原詩句では「路傍」なのに、上記訓読文は「道傍」のまま(@_@;)
もし仮に上記訓読文が単に『古事談』に記されている詩句のだったとしても、他の説話集との異同に
言及しながら、『白氏文集』の原詩句と異なっていることに全く触れてないのは不審である(@_@;)
どちらにしても、川端善明と荒木浩は『白氏文集』を確認してないのではないかという疑惑(@_@;)

西尾光一&小林保治(校注)『新潮日本古典集成 古今著聞集 上』(新潮社,1983→2019新装版)は、
〈・・・この詩は後に『徒然草』にも引かれ、人間の無常を説く詩句として有名なもの。・・・〉と
頭注で指摘してたので、木藤才蔵(校注)『新潮日本古典集成 徒然草』(新潮社,1977)を披くと、
(前に取り上げた)「・・・/顕基中納言の・・・配所の月、罪なくて見ん事、・・・」が出てくる
第五段ではなく、第三十段の「・・・いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、・・・」
がソレで、同書の頭注四にも次のようにあるC= (-。- ) フゥー 「世」が「代」なのもあるのか(@_@;)

    『白氏文集』「続古詩十首」の第二、「古墓いづれの代の人ぞ 姓と名とを
    知らず 化して路傍の土となり 年年春草生ず」。
タグ:説話
コメント(10) 
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そら

ネット上で囁かれていることは全てが正解じゃありませんものね
ウチの妻もネット上の情報を鵜呑みにしやすいので困っています(^^;
by そら (2021-05-29 21:52) 

ナベちはる

ネットを少し見ただけで言われても…ですよね。
他のメディアなども見たうえで言うなら良いのですが…((+_+))
by ナベちはる (2021-05-30 01:31) 

middrinn

誰もが情報を発信することが出来る時代になりましたが、
そら様、無責任なのもありますからねぇ(^_^;) 奥様は、
ネット上の情報を活用しお金を貯められたのかも(^_^;)
by middrinn (2021-05-30 04:26) 

middrinn

しかも、ネット検索した結果をコピペ・印刷して、
ナベちはる様、簡単にレポートもどきが(^_^;)
by middrinn (2021-05-30 04:28) 

df233285

古事談読んでない、不勉強者な者なので。下記御紹介感謝。
後一条天皇が亡くなったとき夜、燈がともされなかった話
ありがとうございます。照明邪魔で、後一条天皇が生前関心を
寄せていたのが明らかな、しし座流星群が観察しにくい
のですね。元々本人の御希望だった疑いも有ると思います。
勘違いで、源顕兼が出家したとしたら気の毒。ちなみに11月
ではなく5月(現暦)の話と聞いてますが。確か、当時は今と違い、
こと座流星群が亡くなる少し前に毎年よく飛んでいたと聞いてます。

by df233285 (2021-05-30 07:42) 

middrinn

竹鼻績(全訳注)『今鏡(上)』(講談社学術文庫,1984)が注記してますが、
『続本朝往生伝』『古事談』は「梓宮」すなわち、棺に燈火が供えてなかった
とするのに対し、『今鏡』は「宮のうち」、すなわち、宮中に燈火がなかった
としてて、『十訓抄』やその抄入の『古今著聞集』も同じニュアンス(^_^;)
天体観測のために暗くしておくように、と言い遺してるのも風雅ですね(^^)
by middrinn (2021-05-30 08:53) 

ネオ・アッキー

middrinnさんこんにちは。
今は、学生も、図書館で調べなくても、ネットで検索すれば、調べたいものが出てくるので、便利ですが、レポート提出時に、コピペしたもので、提出して、青文字の注釈がそのまま、青文字のままカラーコピペされたレポートだったら、講師や教授等はどう対処しているのでしょうね・・・
by ネオ・アッキー (2021-05-30 15:38) 

middrinn

モチ低評価です(^_^;)
by middrinn (2021-05-30 15:51) 

tai-yama

人間死んだら皆白紙と・・・と言うことで白紙文集。
ちょっと強引。
by tai-yama (2021-05-30 23:04) 

middrinn

ジョーのように燃え尽きて白い灰に・・・繋がらないなぁ(^_^;)
by middrinn (2021-05-31 05:30) 

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