210628読んだ本【バカチン】
読書の厄介なところは、生没年の確認すら怠る、いい加減な研究者の本である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)
【読んだ本(バカチン)】
源顕兼(編)伊東玉美(校訂・訳)『古事談 上』(ちくま学芸文庫,2021)所蔵本
本書の巻第二「臣節」から、一二「頼通父子と教通父子、摂関を争ふ事」の訳の一部と六一「頼通、
関白を教通に譲る事」の訳を順に引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
/[藤原]頼通公が養子である[源]師房公に命じて、関白職を教通公[=頼通の弟]に
譲らせた時〔道長公の遺言によるとのこと〕、教通公は一度は信じられず、二度目には、
涙を流して喜び申されたという。しかし、年老いた後、後三条天皇の延久(一〇六九~
七四)のころ、頼通公から教通公に「今に至っては、約束通り、摂関を師実[=頼通の子]
に譲るべきだ。わたくしが生きている間に、安心して見届けたい」と申された。教通公は
「このことは、わたくしの一存では何とも申し上げ難い。天皇のご意向をうかがわねば」
と言って、後三条天皇にお尋ねしたところ、摂関を辞することを許されなかった。これを
頼通公は恨みに思われたままお亡くなりになった。/・・・
/頼通公は、関白職を、直接嫡男の師実公に譲り申し上げようと思われ、姉の上東門院
[彰子]にもその旨申し上げなさった。女院は髪を梳いておやすみになっていたが、
この件をお聞きになると、納得できない御様子で、急に床からお出になって、御硯・紙
を持って来させ、すぐさまお便りをしたためて後冷泉天皇のもとにさし上げなさった。
そのお便りには「頼通公が申し上げなさることがございましても、お認めになっては
いけません。亡父道長公が、確かに申し置かれたことがございます」とあった。そのため、
頼通公が関白を師実公に譲ることに、天皇のお許しが出なかった。そして、後冷泉在位
のうちに、関白職は教通公に譲られた。/
前話(二─一二話)に対する本書の「評」から引くが、いい加減な研究者だなオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
頼通、教通、師実の順で摂関を相続させようとの道長の構想については、二─六一話
参照。・・・
万寿4=1028年没の道長が長久3=1042年生の師実を知るわけねーだろヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
川端善明&荒木浩(校注)『新日本古典文学大系41 古事談 続古事談』(岩波書店,2005)の前話の
脚注2(同書138頁)には「・・・[頼通から]教通に譲ることが道長の遺言であったとしても、結局
摂籙は頼通流に伝えられるようにというのが道長の方針であった(坂本賞三)。」とあり、師実の兄の
通房(万寿2=1025~長久5=1044)を教通の次の摂関と道長が考えた可能性はあるね( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
・伊東玉美(校訂・訳)『古事談』は注釈がスカスカのカスなんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-27
・『新日本古典文学大系41 古事談 続古事談』は一見よく調べてるようで実は手落ちがある(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-29
・「ポルノグラフィティの要素」だと∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?日本のロックバンドの名称(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-07
・ちくま学芸か岩波、どちらかが誤読・誤訳をしていることになるわなぁ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-27
【読んだ本(バカチン)】
源顕兼(編)伊東玉美(校訂・訳)『古事談 上』(ちくま学芸文庫,2021)所蔵本
本書の巻第二「臣節」から、一二「頼通父子と教通父子、摂関を争ふ事」の訳の一部と六一「頼通、
関白を教通に譲る事」の訳を順に引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
/[藤原]頼通公が養子である[源]師房公に命じて、関白職を教通公[=頼通の弟]に
譲らせた時〔道長公の遺言によるとのこと〕、教通公は一度は信じられず、二度目には、
涙を流して喜び申されたという。しかし、年老いた後、後三条天皇の延久(一〇六九~
七四)のころ、頼通公から教通公に「今に至っては、約束通り、摂関を師実[=頼通の子]
に譲るべきだ。わたくしが生きている間に、安心して見届けたい」と申された。教通公は
「このことは、わたくしの一存では何とも申し上げ難い。天皇のご意向をうかがわねば」
と言って、後三条天皇にお尋ねしたところ、摂関を辞することを許されなかった。これを
頼通公は恨みに思われたままお亡くなりになった。/・・・
/頼通公は、関白職を、直接嫡男の師実公に譲り申し上げようと思われ、姉の上東門院
[彰子]にもその旨申し上げなさった。女院は髪を梳いておやすみになっていたが、
この件をお聞きになると、納得できない御様子で、急に床からお出になって、御硯・紙
を持って来させ、すぐさまお便りをしたためて後冷泉天皇のもとにさし上げなさった。
そのお便りには「頼通公が申し上げなさることがございましても、お認めになっては
いけません。亡父道長公が、確かに申し置かれたことがございます」とあった。そのため、
頼通公が関白を師実公に譲ることに、天皇のお許しが出なかった。そして、後冷泉在位
のうちに、関白職は教通公に譲られた。/
前話(二─一二話)に対する本書の「評」から引くが、いい加減な研究者だなオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
頼通、教通、師実の順で摂関を相続させようとの道長の構想については、二─六一話
参照。・・・
万寿4=1028年没の道長が長久3=1042年生の師実を知るわけねーだろヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
川端善明&荒木浩(校注)『新日本古典文学大系41 古事談 続古事談』(岩波書店,2005)の前話の
脚注2(同書138頁)には「・・・[頼通から]教通に譲ることが道長の遺言であったとしても、結局
摂籙は頼通流に伝えられるようにというのが道長の方針であった(坂本賞三)。」とあり、師実の兄の
通房(万寿2=1025~長久5=1044)を教通の次の摂関と道長が考えた可能性はあるね( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
・伊東玉美(校訂・訳)『古事談』は注釈がスカスカのカスなんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
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・『新日本古典文学大系41 古事談 続古事談』は一見よく調べてるようで実は手落ちがある(@_@;)
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・「ポルノグラフィティの要素」だと∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?日本のロックバンドの名称(^_^;)
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・ちくま学芸か岩波、どちらかが誤読・誤訳をしていることになるわなぁ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
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二─六一話に道長公の申しおかれた内容が書いてあったり(笑)。
もしくは道長公の中では頼通の子の名前は師実と決めていたり。
by tai-yama (2021-06-28 22:40)
生没年は、歴史においては重要な項目ですよね。
それの確認が出来る人物であれば、「確認を怠る」とは信じられないです…
by ナベちはる (2021-06-29 01:09)
「二─六一話」の訳の全文を御覧の通り引用しておきましたが、
tai-yama様には「教通、師実の順で摂関を相続させようとの
道長の構想」とやらが「書いてあ」るように見えると(^_^;)
by middrinn (2021-06-29 05:24)
おそらく、歴史の研究者にとって生没年の確認は、
ナベちはる様、基本中の基本ではないかと(^_^;)
by middrinn (2021-06-29 05:25)
ん〜、ちょっといい加減な話しですね
私でも違和感を感じます(^^;
by そら (2021-06-29 06:45)
仕事が雑ですよねぇ(^_^;)
担当編集者とかが原稿段階で
気付かないのもねぇ(^_^;)
by middrinn (2021-06-29 07:04)