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211020読んだ本

読書の厄介なところは、吉野家をスルーして松屋やすき家で牛丼である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

源顕兼(編)伊東玉美(校訂・訳)『古事談 上』(ちくま学芸文庫,2021)所蔵本

注釈スカスカの本書で『古事談』を読むのも愚の骨頂だが、上には上があり(下には下があり?)、
先ずは本書の訳で巻第一「王道后宮」の九「坂上宝剣の事」をじっくり読んで頭に入れるべし(^o^)丿

    /醍醐天皇が鷹狩のために郊外に出られた時(延長六年(九二八)一二月五日の
    大原野行幸を指すか)、手輿に持ちこまれた御剣の石突(鞘の末端を包む金具)が
    とれて見えなくなった。珍事である。「古いものであったのに」と大変驚かれ、
    高い岡の上から御覧になると、天皇の犬が、例の石突をくわえてやって来たので、
    大変お喜びになった。/その剣を、敦実親王が伝領され、肌身離さずお持ちに
    なっていた。雷鳴があると自然と鞘から抜けたという。それを[藤原]師実公が
    伝領しお持ちになっていたのを、白河院がお聞きになりお召しになったので、
    献呈なさった。その後は自然と抜けることはなくなった。師実公は恐れなさって
    一度もこの剣をお抜きにならなかったが、忠実公[=師実の孫]は若い時分、
    不思議でたまらなくなり、ある者に命じて抜かせてごらんになったところ、
    剣の背に偏ったところに、金で坂上宝剣という銘を施してあった。/

本書のスカスカな「注」&「評」では『古事談』の読解・味読は出来ぬと指摘してきたが、他方で、
川端善明&荒木浩(校注)『新日本古典文学大系41 古事談 続古事談』(岩波書店,2005)を披けば、
「雷の時しばしば太刀を抜いてふるう(太刀のもつ霊力で雷を伏する)」『大鏡』の藤原時平の例に
言及したり、「敦実親王」については「宇多第八皇子。この剣は、朝廷の守り、皇位継承のしるしと
考えられていた・・・から、一時敦実はその可能性があったのか。」等々インスパイアされるような
指摘が多くて、伊東玉美が一言も説明してない「坂上宝剣」に関しても、『増鏡』に出てくるものと
同じと指摘した上で、次のように解説してくれるv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    ・・・坂上(坂家)宝剣については、中国から伝わって宮中にあったそれを
    坂上田村麻呂に賜わり、田村麻呂が銘を入れて、天皇を守るために護身剣と
    していたものを、その没後天皇家に献上されたのではないかとする説がある
    (水野正好・田島公)。とすると、嵯峨から醍醐まで天皇御物、醍醐と同母
    の敦実から六条源氏へ、雅信女の倫子から道長を経て摂関家へ、そして忠実
    (富家語。本話では師実)から白河へ再び御物に、という経路が考えられる。    

井上宗雄(全訳注)『増鏡(中)』(講談社学術文庫,1983)も「朝の御まぼりとて、田村の将軍より
伝はり参りける御はかし」を「朝廷の御守護として将軍坂上田村麻呂から伝来した御佩刀[みはかし]」
とし、〈・・・ここにみえる守護刀というのは「坂上宝剣」(延喜帝→敦実親王→関白師実→忠実→
白河院と伝わった名剣)であろうか(『富家語談』『古事談』一・『古今著聞集』二十)。〉と(^^)

さて、さて、さ~て! やっと本題に入るけど、この説話に付された注釈で、大爆笑させられたのが、
西尾光一&小林保治(校注)『新潮日本古典集成 古今著聞集 下』(新潮社,1983→2019新装版)の
「坂上宝剣」に付された頭注である∑( ̄ロ ̄|||)ニャンじゃそりゃ!?

    御犬が坂の上に石付を銜[くわ]えて来たといういわれをこめた刀銘か。・・・

・伊東玉美(校訂・訳)『古事談』は注釈がスカスカのカスなんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-27

・『新日本古典文学大系41 古事談 続古事談』は一見よく調べてるようで実は手落ちがある(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-29

・「ポルノグラフィティの要素」だと∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?日本のロックバンドの名称(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-07

・ちくま学芸か岩波、どちらかが誤読・誤訳をしていることになるわなぁ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-27

・万寿4=1028年没の道長が長久3=1042年生の師実を知るわけねーだろヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-28

・光孝天皇は親王時代にはビンボーだったんだ(;_;)と同情したのを後悔(ノ ̄皿 ̄)ノカネカエセー!┫:・

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-07-25
タグ:歴史 説話
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

坂上田村麻呂と言う犬の名前だったとか?
まぁ、天皇からしたら将軍なんて犬みたいなものですし・・・・
いつの間にか逆になったけど(笑)。
by tai-yama (2021-10-20 23:24) 

ナベちはる

吉野家の牛丼は美味しいですが、松屋やすき家の牛丼も負けないぐらいに美味しいですよね。
by ナベちはる (2021-10-21 01:30) 

middrinn

「犬公方」と呼ばれた将軍も、
tai-yama様、います(^_^;)
by middrinn (2021-10-21 09:42) 

middrinn

吉野家だと牛丼一択ですけど、松屋やすき家では、
ナベちはる様、メニュー見て目移りします(^_^;)
by middrinn (2021-10-21 09:43) 

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