SSブログ

230726読んだ本【バカチン絵巻③双六篇】 [バカチン絵巻]

頭がマジ悪いのか、どうせ読者には判るまいと思ってテキトーなことを書いたか、どっちだ(@_@;)
はたまた実は最後まで見てなかったとしたら木を見て森を見ず的な愚説僻論オホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

【読んだ本(バカチン絵巻③双六篇)】

五味文彦『中世のことばと絵 絵巻は訴える』(中公新書,1990)所蔵本

『長谷雄草紙』は物語の舞台が平安前期ゆえ「・・・この当時、男子成人が冠(貴族正装)や烏帽子
(貴族略装、一般の常装)を忘れたり落したり、ましてや着けぬままでいることは、最大の無作法で
あり不恰好であった。・・・」(阪倉篤義&本田義憲&川端善明[校注]『新潮日本古典集成 今昔
物語集 本朝世俗部四』[新潮社,1984])のに「烏帽子を着けてない」人々が描かれてる謎があり、
また『長谷雄草紙』は絵と詞書(絵の前後にあるストーリーを説明する文章)から成る絵巻物だが、
「烏帽子を着けてない」人々が描かれてる絵は相当する詞書が無くて、『長谷雄草紙』のストーリー
展開に関係があるとも思えぬ絵の内容ゆえ、どのような意味があるのか解らないという謎も(@_@;)

五味文彦は、絵巻『絵師草紙』の読み解きが主題の本書で、『長谷雄草紙』にも少々言及しており、
上記二つの謎も解き明かしたつもりのようだけれど、第一の謎である「烏帽子を着けてない」理由に
ついての五味文彦の説明(下記引用におけるAの最初の発言)に関しては【バカチン絵巻①団扇篇】
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-05-01 )と【バカチン絵巻②檳榔篇】
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-06-04 )で、この「団扇を持ってる」
「でっぷりした、おなか丸出しの男」が、五味文彦の主張するような「庶民のなかでも、下層の人」
であるとは考え難い所以を古記録の記述など根拠も示した上で論説ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

今回の【バカチン絵巻③双六篇】においては第二の謎についての五味文彦の読み解きが成り立たない
愚説僻論であることを論証するが、先ずは本書から当該件を引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・

    B ・・・あれ! この荷車のある家の人たち、皆、烏帽子を着けてないぞ。近くに
      ぼんやり立っている油売りの行商人みたいな人は、ちゃんと着けているのに。

    A いいところに気がついたね。これは庶民のなかでも、下層の人たちを示しているんだ。
      でっぷりした、おなか丸出しの男は団扇を持ってるね。扇と団扇の違いもあると思うよ。

    B おもしろいなあ。社会史が気にいったよ。でも、どうしてこんな風景を描く必要が
      あるの?話には全然出てこないんじゃあない。主人公の長谷雄は、男に連れ出されて
      ここを通るんだけど「おとこにしたがひてゆくに、朱雀門のもとにいたりぬ」としか
      詞書には書かれていないよ。

    A そう、肝心なところがそこなんだよ。絵と詞書との関係をしっかりとつかむ。
      絵の領域と詞書の領域があるとすれば、それぞれがどう交わるか、考えてみるんだ。
      ここは絵の領域だね。その前後を見ると、長谷雄の邸宅と朱雀門だろう。その中間に
      位置している。なにかその間に変化はない?

    B えー、どれどれ、うーん、そうか。朱雀門で双六をしている男が鬼の姿をしているぞ。
      前後で男が鬼に変わっている。

    A そうなんだ。朱雀門は鬼の住む他界、それに対して長谷雄の邸宅はというと。

    B この世。だからあの場所は、この世とあの世を結ぶ境界の地となる。

    A そう。長谷雄が家を出て朱雀門にいく。絵は自然の流れによって、いつしか他界に
      向かっていることをあの境界の地は示しているんだ。

    ・・・

朱雀門は「鬼の住む他界」=「あの世」ゆえ「男が鬼の姿をしている」と尤もらしく説明してるが、
『長谷雄草紙』の物語のラスト近くには、内裏から長谷雄邸への大路で男が長谷雄の牛車の前に立ち
はだかり約束を守らなかった長谷雄を非難しながら筋骨隆々たる赤鬼の姿で迫ってくる場面があり、
『長谷雄草紙』では朱雀門でなくても「男が鬼の姿をしているぞ」ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

その場面は、本書の刊行時とは異なってインターネットが普及した現在ではネットで画像検索すれば
容易に見ることも可能だが、小松茂美編『日本の絵巻11 長谷雄草紙 絵師草紙』(中央公論社,1988)
から当該場面の詞書釈文の第五段(同書94頁)と小松茂美による絵の説明(同書32頁、35頁)を順に
引用しておく( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    /かくて三月許りありて、夜更けて中納言/内より出でられける道に、
    ありし男来合ひ/て、車の前の方より来て、・・・この男は朱雀門の鬼/
    なりけり。・・・

    ・・・/とこうするうちに、三か月の月日が去った。/とある夜更け、
    内裏を退出した長谷雄の牛車の前に、あの男が立ちはだかった。/・・・

    ・・・/路上に鬼と出会う長谷雄/白丁二人の松火[たいまつ]に
    照らされながら、一輛の八葉車が、夜更けの京大路を、乾いた音を
    きしませながら、輪をとどろかせる。/・・・

そもそも「朱雀門で双六をしている男が鬼の姿をしている」のは、五味文彦が言うように「朱雀門は
鬼の住む他界」だからではなく、紀長谷雄との双六で「・・・負けがつのって、瞋恚[しんに]の焔
[ほむら]を燃やし、いつしか化けの正体を現わしたのである。・・・」と小松茂美も前掲書20頁で
読み解いたように(朱雀門の楼上の絵で鬼が烏帽子を着け服を着てることから推定して双六を始めた
時には人間の姿だったけど)長谷雄に双六で負け続けたため過度の興奮のあまり人間の姿を保てなく
なってしまったからであり、五味文彦がこの場面の面白さを解らぬとは笑止オホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
『長谷雄草紙』の物語全体(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-03-31
から言えるのは、鬼は場所を問わず人間に化ける力があるも、力を発揮するには冷静さが必要(^_^;)

『長谷雄草紙』に描かれた「蒲葵扇」を「団扇を持ってるね。扇と団扇の違いもあると思うよ」と単
なる「団扇」としか認識できないくせに「社会史的な手法」を名乗るなんて烏滸がましいが、そんな
バカチン五味文彦がまだマシに見えるバカチン研究者のことは【バカチン絵巻④論外篇】で(ノ゚ο゚)ノ

・五味文彦『源実朝 歌と身体からの歴史学』(角川選書,2015)

「渚」を「大海」とする東大名誉教授の読解力ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 「大海にもまれる小舟」とは笑止で、
「渚」=波打ち際(水と陸の境界)を綱で曳航されてる小舟の意だよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-04
コメント(4) 
共通テーマ:

コメント 4

tai-yama

現実でも会社の敷地内から先は鬼の住む世界・・・・
もしかしたら、会社の門は朱雀門だったのかー(驚)。
by tai-yama (2023-07-27 00:02) 

middrinn

女性社員が安達原の鬼女みたいだと言うのかよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
朱雀門は「鬼の住む他界」に非ずと言ってんのヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
by middrinn (2023-07-27 05:59) 

df233285

五味文彦編集本で、増川宏一パートで増川が、将棋纂図部類抄
の大阪府島本町パンフを紹介している、「戦国大名の秘宝」本が
有るが。増川宏一の解説よりも、島本パンフに有る、島本町担当
解説者文に注視した記憶が有る。五味文彦本の部分執筆をするとき
増川宏一も、自分の文面には読者が行間読みし無いように、なる
べく薄く書く工夫/配慮をしていたようだ。そういう本なのでは。
by df233285 (2023-07-27 07:18) 

middrinn

院政期の男色を強調とか『枕草子』の人物認定で愚説僻論を提示とか、
奇を衒ったり通説に異論を述べることで注目されたいだけかも(^_^;)
https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-04-10
by middrinn (2023-07-27 07:46) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。