子牛も売られてゆく時は悲しそうな瞳で見てるし心は通じ合うのさ(^^) ニュータイ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

【読んだ本】

戸板康二『新 ちょっといい話』(文春文庫,1984)所蔵本

『ちょっといい話』(文春文庫,1982)、『最後のちょっといい話 人物柱ごよみ』(文春文庫,1994)、
『新々ちょっといい話』(文春文庫,1987)と読了し、やっと手に入った本書をチンタラ読む(⌒~⌒)

    六代目尾上菊五郎は、親ゆずりで、円朝原作の塩原多助をたびたび演じた。/
    初役でその多助をした時、毎日、青という馬と別れる場面を演じていたので、
    馬と親しい気持ちになっていたが、道に、日射病で倒れている馬がいると聞いて、
    飛び出してゆくと、多助のセリフの上州沼田の方言で、「馬よ、わしは多助でがんす。
    起きてくだせいよ。しっかりしてくだせいよ」と馬方のいる前で、いった。/
    馬は動かず、馬方もぼんやりしている。菊五郎はじれったがって、/
    「芝居ごころのないやつらだなァ」

この逸話、そんなに面白くはないけど、前に『塩原多助』については「190112読んだ本&買った本」
https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-01-12 )に次のように書いたのでメモ^_^;

  ・・・『ちょっといい話』(文春文庫,1982)からは挙げてない理由は、小生がジーンと来る
  ような〈ちょっといい話〉が無いからにすぎない(-ω-、) 戸板康二と小生とは感性が違う
  からねぇ(´ヘ`;)紀田順一郎『にっぽん快人物烈伝』(旺文社文庫,1985)が紹介してた
  「近代落語の祖」の三遊亭円朝の次の逸話(180923読んだ本)は、戸板康二も同書で紹介
  してたけど、興味・関心が小生と違う(´・_・`)

    彼の『塩原多助』を五代目菊五郎が演ずることになったとき、初日を見に行った彼は
    黒馬[あお]の別れを見て、「いま一息だな」とつぶやいた。五代目がその理由を訊ねると、
    「私だったら『これ、あおよ』と顔を見たのち、動物だから話してもわかるまいと、
    馬の顔から目をはなして、あとのセリフを独りごとのようにいう。そのうち手綱を
    もった手に、温かいしずくが落ちるのに気がついて、両手で手綱をもってしっかりと
    馬と向きあい、『あおよ、われ泣いているだな』と、人間にものをいうようにする」/
    五代目は、翌日からそのように演技を改めた。

    三遊亭円朝が、五代目菊五郎の塩原多助を見ていると、馬の別れで、はじめから
    青という愛馬を見ながら、セリフをいっているので、「余計なことですが、
    馬に話しかけてもわからないというつもりで、正面を向いて、独り言のように、
    しゃべっているうち、ふと馬の涙に気がつき、それから、馬の顔を見たほうが、
    よくはありませんか」といった。/菊五郎が喜んで、助言通りにした。/
    菊五郎がその時、円朝にいった。「師匠は、みんな一人でできるからいいね」

以下は『最後のちょっといい話 人物柱ごよみ』(文春文庫,1994)からの〈真・ちょっといい話〉(^^)

    水木洋子がNHKのテレビドラマ脚本賞を受けた時、好きな時計をえらべといわれ、・・・

     ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-10-13

    ・・・新派の大矢市次郎は、大正三年から六年まで陸軍の輜重隊に入隊していた。/・・・

     ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-10-24

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    西條八十の「かなりや」が碑になって上野の不忍池のほとりにある。これは大正十二年・・・

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     ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-01-02

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     ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-01-12

以下は『新々ちょっといい話』から最終的に小生が選んだ〈真・ちょっといい話〉&名言なり(⌒~⌒)

    富崎春昇が、門弟富山清琴におびただしい数の曲を教えたが、いつもこういった。・・・

     ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-02-12

    鷗外は腎臓病が死因になったのだが、病気が進んでいるのに、検尿をいやがって・・・
 
     ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-03-23

    東海道線で、初代市川猿翁と偶然同乗した若いジャーナリストが、「どちらへ」と・・・

     ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-03-25

    昭和四十六年十二月十二日、七十九歳で病没した桂文楽は、近年の落語界の名人で、・・・

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    福井で育った彫刻家の高田博厚は、昭和九年から二十六年間パリに住み、日本人のために・・・

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    一平の子の岡本太郎氏が推奨したといわれるぬれ仏が下諏訪にある。石の阿弥陀仏・・・

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『新 ちょっといい話』からも〈真・ちょっといい話〉を選りすぐったよ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

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     ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-02

    京大教授で、英文学者の山本修二さんとは、京都にゆくと、酒席でよく一緒になったが・・・

     ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-31

    ・・・戦後に大阪で、舞台照明の仕事をしている人たちが、能舞台に色のライトを当てる・・・

     ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-12-03

    室生犀星が、堀辰雄夫人と話している時、突然こういった。「俳句を作るのをやめました・・・

     ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-12-14