220911読んだ本
蘭姉ちゃんはコナン君の正体が工藤新一だと本当に気付いてないのかね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
【読んだ本】
小和田哲男『戦国武将の手紙を読む 浮かびあがる人間模様』(中公新書,2010)
前章(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-09-09 )に続いて、「14 山中幸盛
自筆書状──家臣への謝意」「15 吉川経家自筆遺言状──名誉の切腹」「16 豊臣秀吉自筆書状
──おねへの私信」「17 織田信長自筆書状──婿とはだれか」「18 直江兼続自筆書状──関ヶ原
前夜の情報戦」「19 松永久秀自筆書状──梟雄の素顔」「20 毛利元就自筆書状──わが半生を
語る」「おわりに」を読み、本書も読了(^o^)丿 本書は「・・・一通ずつ写真を掲載し、その活字化
(翻刻、釈文ともいう)、読み下し、それに現代語訳を添え、最後に、どういう背景でその書状が出
されたのか、また、その書状はどういう意味をもっていたのかを具体的に解説・・・」(本書ⅱ頁)、
右筆のから自筆のへといった具合に「・・・比較的読みやすい字のものから読みづらい字のものへと
段階的に進むよう配列しているので、読み方の練習に使ってもらえるのではないかと考えている。
・・・」(本書ⅰ頁)と「はじめに」にあったけど、小生は古文書学を学んでないので判らん(^_^;)
・・・/(12)一 私が十一歳のとき、土居(猿掛城)に住んでいたのですが、
井上古河内守のところに客僧がきて、念仏を唱えるときの秘事を伝えました。
そのとき、父弘元の側室だった大方殿も出てきて、十一歳の私も念仏を唱える
ようになり、毎朝お唱えしています。これは、朝日に向かって念仏を十篇ずつ
唱えるもので、こうすることによって、後生のことはいうまでもなく、祈禱した
ことになります。今生の願い事も太陽にお願いしています。これによって私は
守られてきたのだと思います。ですから、三人[=子の隆元・元春・隆景]も、
毎朝そのようにしてほしいと思っています。太陽でも月でも同じです。/・・・
本書の239~240頁から引いた毛利元就の書状の一部だけど、「太陽でも月でも同じです」ねぇ(^_^;)
そう言えば、谷知子『天皇たちの和歌』(角川選書,2008)には、「月もまたさまざまな信仰の対象で
あった」と書かれてたな(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-08-11 )(^_^;)
とまれ、毛利元就にとって月を見るのは忌むことではない様子(^_^;) 昨夜の月はきれいだったけど、
竹鼻績『拾遺抄注釈』(笠間書院,2014)から紀貫之の歌を訳とともに引く(^_^;)
小野宮のおほいまうちぎみの家の屏風に
思ふこと有りとはなしに久方の月夜となればねられざりけり
小野宮の大臣の家の屏風に
もの思いをすることがあるというわけではないのに、月夜となると寝ることが
できなかったことだ。
詞書から屛風歌と判るが、紀貫之の家集『貫之集』での当該歌の詞書は「家に、女月を見る」(木村
正中[校注]『新潮日本古典集成 土佐日記 貫之集』[新潮社,1988→2018新装版])等となっている
ことから、屏風の「画中の女性の心情」(小町谷照彦[校注]『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』
[岩波書店,1990])を詠んだ歌ということ(⌒~⌒) 月は人を物思いにふけらせるものとされてきた
から(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-05-02 )、毛利元就も月に向かって
念仏を唱えてたら嫡男の隆元は頼りないから将来が心配とか色々と物思いにふけっていたかも(^_^;)
・小和田哲男『戦国大名と読書』(柏書房,2014)よ、この「古歌」は建仁元年(1201年)の作ゆえ、
文治5年(1189年)に自害した源義経が「知らなかった」のは当然ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-11
・小和田哲男『戦国武将の実力 111人の通信簿』(中公新書,2015)の著者の「教養」は1点だな(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-04
・『源氏物語』の「須磨」では光源氏がフツーに月の顔を見てるじゃん〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-05-04
・『源氏物語』の「宿木」では匂宮と中の君が二人で月を見るのは良くて一人では忌むことかよ(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-05-05
・『竹取物語』の「月の顔見るは、忌むこと」の典拠とされる白居易の漢詩文を読み解いてみた(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-05-07
【読んだ本】
小和田哲男『戦国武将の手紙を読む 浮かびあがる人間模様』(中公新書,2010)
前章(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-09-09 )に続いて、「14 山中幸盛
自筆書状──家臣への謝意」「15 吉川経家自筆遺言状──名誉の切腹」「16 豊臣秀吉自筆書状
──おねへの私信」「17 織田信長自筆書状──婿とはだれか」「18 直江兼続自筆書状──関ヶ原
前夜の情報戦」「19 松永久秀自筆書状──梟雄の素顔」「20 毛利元就自筆書状──わが半生を
語る」「おわりに」を読み、本書も読了(^o^)丿 本書は「・・・一通ずつ写真を掲載し、その活字化
(翻刻、釈文ともいう)、読み下し、それに現代語訳を添え、最後に、どういう背景でその書状が出
されたのか、また、その書状はどういう意味をもっていたのかを具体的に解説・・・」(本書ⅱ頁)、
右筆のから自筆のへといった具合に「・・・比較的読みやすい字のものから読みづらい字のものへと
段階的に進むよう配列しているので、読み方の練習に使ってもらえるのではないかと考えている。
・・・」(本書ⅰ頁)と「はじめに」にあったけど、小生は古文書学を学んでないので判らん(^_^;)
・・・/(12)一 私が十一歳のとき、土居(猿掛城)に住んでいたのですが、
井上古河内守のところに客僧がきて、念仏を唱えるときの秘事を伝えました。
そのとき、父弘元の側室だった大方殿も出てきて、十一歳の私も念仏を唱える
ようになり、毎朝お唱えしています。これは、朝日に向かって念仏を十篇ずつ
唱えるもので、こうすることによって、後生のことはいうまでもなく、祈禱した
ことになります。今生の願い事も太陽にお願いしています。これによって私は
守られてきたのだと思います。ですから、三人[=子の隆元・元春・隆景]も、
毎朝そのようにしてほしいと思っています。太陽でも月でも同じです。/・・・
本書の239~240頁から引いた毛利元就の書状の一部だけど、「太陽でも月でも同じです」ねぇ(^_^;)
そう言えば、谷知子『天皇たちの和歌』(角川選書,2008)には、「月もまたさまざまな信仰の対象で
あった」と書かれてたな(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-08-11 )(^_^;)
とまれ、毛利元就にとって月を見るのは忌むことではない様子(^_^;) 昨夜の月はきれいだったけど、
竹鼻績『拾遺抄注釈』(笠間書院,2014)から紀貫之の歌を訳とともに引く(^_^;)
小野宮のおほいまうちぎみの家の屏風に
思ふこと有りとはなしに久方の月夜となればねられざりけり
小野宮の大臣の家の屏風に
もの思いをすることがあるというわけではないのに、月夜となると寝ることが
できなかったことだ。
詞書から屛風歌と判るが、紀貫之の家集『貫之集』での当該歌の詞書は「家に、女月を見る」(木村
正中[校注]『新潮日本古典集成 土佐日記 貫之集』[新潮社,1988→2018新装版])等となっている
ことから、屏風の「画中の女性の心情」(小町谷照彦[校注]『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』
[岩波書店,1990])を詠んだ歌ということ(⌒~⌒) 月は人を物思いにふけらせるものとされてきた
から(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-05-02 )、毛利元就も月に向かって
念仏を唱えてたら嫡男の隆元は頼りないから将来が心配とか色々と物思いにふけっていたかも(^_^;)
・小和田哲男『戦国大名と読書』(柏書房,2014)よ、この「古歌」は建仁元年(1201年)の作ゆえ、
文治5年(1189年)に自害した源義経が「知らなかった」のは当然ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-11
・小和田哲男『戦国武将の実力 111人の通信簿』(中公新書,2015)の著者の「教養」は1点だな(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-04
・『源氏物語』の「須磨」では光源氏がフツーに月の顔を見てるじゃん〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-05-04
・『源氏物語』の「宿木」では匂宮と中の君が二人で月を見るのは良くて一人では忌むことかよ(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-05-05
・『竹取物語』の「月の顔見るは、忌むこと」の典拠とされる白居易の漢詩文を読み解いてみた(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-05-07
夜に念仏を唱えろ!と言う訳でもなさそう・・・
朝方なら月もまだ空に見えるし。
「隆元よ、あの月に向かって打て」と言ってみたり(古い名言)(笑)。
by tai-yama (2022-09-11 23:34)
蘭姉ちゃんは、コナン君の正体に気が付いているはず…だと思いたいです(^^;)
by ナベちはる (2022-09-12 01:20)
「朝」し忘れても、夜に(月に向かって)、
tai-yama様、やりなさいの意では(^_^;)
by middrinn (2022-09-12 06:20)
wikiに「コナンが好きな相手は灰原だと思っている」と、
ナベちはる様、あるのが、ちょっと気になります(^_^;)
by middrinn (2022-09-12 06:39)
ホントは一日に6回だそうだが。時宗(戦国期:時衆)
では「十念」というらしいですね。漏刻(時計)を
使い、当番の公平を期すなら定時法。悪天まで考えるなら
月も太陽も天体は不可。水時計を大事にしなさいという
家訓は無いのか。有れば江戸幕府にもっと早く勝てたかも。
by df233285 (2022-09-12 08:16)
だから、「毎朝・・・朝日に向かって念仏を十篇ずつ唱える」
だけというのは「念仏を唱えるときの秘事」なのかも(^_^;)
by middrinn (2022-09-12 09:45)