220504読んだ本
「源氏は須磨、左伝は僖公」と言うように『源氏物語』を読み始めると「須磨」で挫折する理由は
最初は面白くても「須磨」でつまらなくなる? or 最初から退屈で「須磨」で我慢できなくなる?
【読んだ本】
阿部秋生&秋山虔&今井源衛&鈴木日出男(校注・訳)『新編日本古典文学全集21 源氏物語②』(小学館,1995)
『源氏物語』の「須磨」から本書による現代語訳で引くよ(本書175頁)〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・折しも月が西に沈み隠れる風情が、いつものように、源氏の君のお帰りの
ご様子についなぞられられて、しみじみと感に堪えぬ思いである。女君[花散里]
の色の濃いお着物に月影が映って、・・・
「月影」=月光ゆえ、花散里は月光を浴びてる(^_^;) 本書169頁の「・・・/[源氏の]君のお立ち
出でになるところを、女房たちがのぞいてお見送り申している。入り方の月がまことに明るいので、
いよいよしっとりと気高くお美しく、物思いに沈んでいらっしゃるお姿は、・・・」も、「月の光に
照し出された源氏のお姿」(今泉忠義『源氏物語 全現代語訳(四)―賢木 花散里 須磨―』(講談社
学術文庫,1978)であって、光源氏に月の光が当たっているということじゃんオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
『竹取物語』の「月の顔見るは忌むこと(月の顔を見るのは不吉なことですよ)」に対して上坂信男
(全訳注)『竹取物語』(講談社学術文庫,1978)は、「月の光を身に受けると不幸なことが起るとの
俗信があったらしい。『後撰集』恋二や『源氏物語』宿木巻にも見え、月光に当るのもよくないと
『更級日記』にある。」と説明するが、『更級日記』の誤読だし、「月光に当るのもよくない」など
というのはありえぬと指摘し(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-04-20 )、
『蜻蛉日記』でも「月夜のころ、月の光を浴びながら語り合うなど不吉なこと」と訳している一部の
注釈書に疑問を呈した(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-04-30 )(⌒~⌒)
上記の如く『源氏物語』に「月光に当る」、「月の光を浴び」てる描写があるのに、『源氏物語』の
大ファンだった菅原孝標女が『更級日記』で「月光に当るのもよくない」とするのかねv( ̄∇ ̄)ニヤッ
さて、さて、さ~て!同じ「須磨」から本書の現代語訳(本書202~203頁)で和歌を補って引く(^^)
・・・月がまことに美しくさし出てきたので、今宵は十五夜だったのだとお思い出し
になって、殿上の管弦のお遊びが恋しく、また、[都に残してきた源氏の愛人たちは]
あちらでもこちらでも、きっと月を眺めていらっしゃることだろうと都に思いをお馳せ
になるにつけても、月の面ばかりを見つめずにはいらっしゃれない。[白居易の]
「二千里の外故人の心」と朗誦なさるにも、いつものように人々は涙を禁じえない。
入道の宮が、「霧やへだつる」とお詠みになった折のことが言いようもなく恋しく、
あの時その時のことをお思い出しになるにつけても、はげしくお泣きにならずには
いらっしゃれない。供人が、「夜が更けてしまいました」と申しあげるけれど、
やはり奥にお入りにならない。
見るほどぞ しばしなぐさむ めぐりあはん 月の都は 遥かなれども
(この月の顔を見ている間だけはしばらくでも心が和んでくる。再び
月の都──京に帰れる日は遠くはるか先のことであるけれども)
・・・
光源氏が詠んだ歌もそうだけど、「同じ月を眺めているであろう女性たちを思い浮べ、その面ざしを
まど[=円]かな月に見ようとする。」と頭注9で解説されてるように光源氏は「月の顔のみまもられ
たまふ(月の面ばかりを見つめずにはいらっしゃれない)」(本書202頁)と、月の顔を見てる(^_^;)
最初は面白くても「須磨」でつまらなくなる? or 最初から退屈で「須磨」で我慢できなくなる?
【読んだ本】
阿部秋生&秋山虔&今井源衛&鈴木日出男(校注・訳)『新編日本古典文学全集21 源氏物語②』(小学館,1995)
『源氏物語』の「須磨」から本書による現代語訳で引くよ(本書175頁)〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・折しも月が西に沈み隠れる風情が、いつものように、源氏の君のお帰りの
ご様子についなぞられられて、しみじみと感に堪えぬ思いである。女君[花散里]
の色の濃いお着物に月影が映って、・・・
「月影」=月光ゆえ、花散里は月光を浴びてる(^_^;) 本書169頁の「・・・/[源氏の]君のお立ち
出でになるところを、女房たちがのぞいてお見送り申している。入り方の月がまことに明るいので、
いよいよしっとりと気高くお美しく、物思いに沈んでいらっしゃるお姿は、・・・」も、「月の光に
照し出された源氏のお姿」(今泉忠義『源氏物語 全現代語訳(四)―賢木 花散里 須磨―』(講談社
学術文庫,1978)であって、光源氏に月の光が当たっているということじゃんオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
『竹取物語』の「月の顔見るは忌むこと(月の顔を見るのは不吉なことですよ)」に対して上坂信男
(全訳注)『竹取物語』(講談社学術文庫,1978)は、「月の光を身に受けると不幸なことが起るとの
俗信があったらしい。『後撰集』恋二や『源氏物語』宿木巻にも見え、月光に当るのもよくないと
『更級日記』にある。」と説明するが、『更級日記』の誤読だし、「月光に当るのもよくない」など
というのはありえぬと指摘し(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-04-20 )、
『蜻蛉日記』でも「月夜のころ、月の光を浴びながら語り合うなど不吉なこと」と訳している一部の
注釈書に疑問を呈した(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-04-30 )(⌒~⌒)
上記の如く『源氏物語』に「月光に当る」、「月の光を浴び」てる描写があるのに、『源氏物語』の
大ファンだった菅原孝標女が『更級日記』で「月光に当るのもよくない」とするのかねv( ̄∇ ̄)ニヤッ
さて、さて、さ~て!同じ「須磨」から本書の現代語訳(本書202~203頁)で和歌を補って引く(^^)
・・・月がまことに美しくさし出てきたので、今宵は十五夜だったのだとお思い出し
になって、殿上の管弦のお遊びが恋しく、また、[都に残してきた源氏の愛人たちは]
あちらでもこちらでも、きっと月を眺めていらっしゃることだろうと都に思いをお馳せ
になるにつけても、月の面ばかりを見つめずにはいらっしゃれない。[白居易の]
「二千里の外故人の心」と朗誦なさるにも、いつものように人々は涙を禁じえない。
入道の宮が、「霧やへだつる」とお詠みになった折のことが言いようもなく恋しく、
あの時その時のことをお思い出しになるにつけても、はげしくお泣きにならずには
いらっしゃれない。供人が、「夜が更けてしまいました」と申しあげるけれど、
やはり奥にお入りにならない。
見るほどぞ しばしなぐさむ めぐりあはん 月の都は 遥かなれども
(この月の顔を見ている間だけはしばらくでも心が和んでくる。再び
月の都──京に帰れる日は遠くはるか先のことであるけれども)
・・・
光源氏が詠んだ歌もそうだけど、「同じ月を眺めているであろう女性たちを思い浮べ、その面ざしを
まど[=円]かな月に見ようとする。」と頭注9で解説されてるように光源氏は「月の顔のみまもられ
たまふ(月の面ばかりを見つめずにはいらっしゃれない)」(本書202頁)と、月の顔を見てる(^_^;)
タグ:古典
2022-05-04 20:58
コメント(4)
挫折する理由、どちらにしても須磨からしたら堪ったものではなさそうですね(^^;)
by ナベちはる (2022-05-05 01:26)
たしかに(^_^;) 「須磨」が可哀想になってきました(´;ω;`)ウッ…
by middrinn (2022-05-05 05:20)
月の後光を浴びる源氏の君は、まさに光GENJIな気がしたり。
これで禿げていたらさらに光が強調されるかも(笑)。
by tai-yama (2022-05-05 23:51)
「パラダイス銀河」が「女房たち」の頭の中で流れてたかも(^_^;)
by middrinn (2022-05-06 05:03)