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220909読んだ本

王位継承順位は決まっているので日本国民の関心は国葬費用がどのくらいなのか・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
それはともかく明日注文する予定の古本の値が下がってくれないかなぁ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

小和田哲男『戦国武将の手紙を読む 浮かびあがる人間模様』(中公新書,2010)

前章(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-09-06 )に続き、「9 長宗我部元親
書状──四国の戦後処理」「10 伊達政宗書状──家臣への報告書」「11 徳川家康起請文──
上杉謙信への接近」「12 明智光秀自筆書状──光秀の発言力」と読み進むも小生的には特記すべき
点が無く、「13 上杉謙信書状──少年への手紙」が興味深い(^^) 宛名の喜平次は長尾政景と上杉
謙信の姉との間に生まれた子(後の景勝)で、「(追而書[おってがき])付け加えます。何度もお
手紙をいただき、よろこんでいます。ますます字が上手になりましたね。字のお手本を送ります。」
(本書148頁)とほのぼの系(^_^;) 「・・・『越佐史料』の編者は永禄五年(一五六二)に比定して
いる。」(本書148頁)由、永禄7年(1564年)に長尾政景が宇佐美定満と舟遊びをしてて溺死した後
に喜平次は謙信の養子となるが、この書状はそれ以前のものとなり、小和田哲男は本書151~152頁で
次のように指摘する( ̄◇ ̄;)

    ・・・/戦国大名として、後継者となる子どもがいないことには家は存続しないわけで、
    謙信もそのことは考えていたはずである。姉と政景との間に生まれた喜平次は早くから
    その候補の一人にあがっていたと思われる。いつかは養子に迎えようと考え、早い段階
    から書状のやりとりをし、また、この書状にみえるように、字の上達をほめ、お手本を
    送ることを約束したりしていたのである。/『上杉家文書』の中に、「伊呂波尽手本」
    「上杉謙信署名消息手本」「上杉家家中名字尽」と題する三つの謙信自筆の手本が伝わ
    っているが、これらはいずれも喜平次に宛てた手本である。/この書状が出されたと
    推定される永禄五年は、喜平次八歳のときのことなので、このうちの「伊呂波尽[いろは
    づくし]手本」に該当するのではないかと思われる。・・・かな手本を渡しているところ
    をみると、謙信は字には相当自信があったものとみえる。たしかに残されたそれらを
    みると、いかにも近衛稙家から青蓮院流の書を学んだといわれるだけあって上手である。
    /・・・

興味深いのは、上杉家家臣団の主な部将の名前を書きあげたものとされる「上杉家家中名字尽」で、
喜平次が加冠して景勝を名乗ってから2年後の23歳の時(天正5年=1577年)に与えたらしく、謙信は
景勝に上杉家の家臣たちの名前を覚えさせようとしたわけで(本書153頁)、用意周到な後継者育成よ
と感心させられる( ̄◇ ̄;) だが、謙信没後に景勝は同じく謙信の養子だった景虎(北条氏康の子)
と上杉家家督の座を争って「御館の乱」が起きたわけで、「この書状および景勝に与えられた手本を
みるかぎり、謙信がかわいがり、後をつがせたいと思っていたのは景勝だったように思われるわけで
あるが、もしかしたら、景虎の方にもそのようなものが本来与えられていて、のちに、勝者の景勝の
手によって抹殺されてしまったことも考えられるので、実際のところはわからないというしかない。」
(本書155頁)とも小和田哲男は指摘しており、目配りがきいた結論に、まんぞく、まんぞく(⌒~⌒)

・小和田哲男『戦国大名と読書』(柏書房,2014)よ、この「古歌」は建仁元年(1201年)の作ゆえ、
 文治5年(1189年)に自害した源義経が「知らなかった」のは当然ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-11

・小和田哲男『戦国武将の実力 111人の通信簿』(中公新書,2015)の著者の「教養」は1点だな(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-04

コメント(8) 
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コメント 8

ナベちはる

国葬の費用は、ニュースだと約16億だという報道が出ていますが実際のところはどうなのかなと思います…σ(゜゜)
by ナベちはる (2022-09-10 01:17) 

middrinn

エリザベス女王の国葬の費用が安倍元首相の国葬のより
もしも安かったら、メチャ笑えるんですけどね(^_^;)
by middrinn (2022-09-10 06:14) 

df233285

戦国末の長尾の内紛のような事は、室町初の関東管領上杉
時代には無かったように思う。長尾景虎は、自分の後継者
を千葉県千葉市の小弓公方にでもたんので、神のご託宣で
決めれば良かったのではないか。同時期里美義頼が、実際
にそんな事したwiki記事有りますよ。くじ引きで将軍決めて、
足利義教のように暗殺で、失敗例した例は有るけどね。
 小弓公方は喜連川藩。長尾は米沢藩として近世存続した
事を考えると。お家騒動で消耗し、特にそれで命を落とした
戦国米沢家臣は結果的に、犬死のようにも私には見えますね。
by df233285 (2022-09-10 11:10) 

middrinn

弓削道鏡が宇佐神宮の神託によって天皇になれそうだったのに、
それを許さぬ神託によって失敗したように難しいのでは(^_^;)
by middrinn (2022-09-10 11:57) 

tai-yama

名前を書いて覚えた家臣の数(多寡)で「御館の乱」の勝敗が決まった
とかだったり(笑)。
by tai-yama (2022-09-10 19:10) 

middrinn

( ^o^)ノ◇ 山田く~ん書いて覚えた家臣の数(多寡)で御館の乱の勝敗が座布団1枚 ♪
名前を覚えてなかったり間違えられたりした家臣たちは怒って敵方に寝返ったかな(^_^;)
by middrinn (2022-09-10 19:22) 

ぽ村

チャールズ皇太子も随分老化しましたよねー
即位してチャールズ3世になるんですかより歴史の勉強になってる感があります
この数年間で色々と時代が変わりすぎな気もするんですが…
by ぽ村 (2022-09-11 01:46) 

middrinn

73歳ですからね(^_^;) チャールズ3世と聞いた時、
チャールズ1世は処刑されてるし、チャールズ2世は
女癖が悪いし、何だかなぁ~と思いました(^_^;)
by middrinn (2022-09-11 06:34) 

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