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200826読んだ本

トロロアオイ咲いた(^^) 偽クリローに始まり、ハナイカダ、ホタルブクロと今年は開花を見逃さず(^^)v

【読んだ本】

井上光貞&大曾根章介(校注)『日本思想体系7 往生伝 法華験記』(岩波書店,1974)

一条天皇の御代は百花繚乱、如何に多方面で多くの人材を輩出したか、として86人の名前を列挙する
大江匡衡『続本朝往生伝』の当該件を本書224頁から引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/時の人を得たること、またここに盛[さかり]となせり。 親王には
    後中書王[具平親王]。上宰には左相[藤原道長]・儀同三司[藤原伊周]。
    九卿[=三位以上を指す]には右将軍[藤原]実資・右金吾[藤原]斉信・
    左金吾[藤原]公任・源納言俊賢・拾遺納言[藤原]行成・左大丞[源]扶義・
    平納言惟仲・霜台相公[藤原]有国等の輩[ともがら]。朝[あした]には
    廊廟に抗議し、夕には風月に預参したり。雲客[=殿上人=四位五位の人で
    昇殿を許された者]には[藤原]実成・[源]頼定・[源]相方・[源]明理、
    管絃には[源]道方・[源]済政・[源]時中・[藤原]高遠・[源]信明・
    [源]信義、文士には[大江]匡衡・[大江]以言・[紀]斉名・[菅原]宣義・
    [高階]積善・[源]為憲・[藤原]為時・[源]孝道・[高丘]相如・[源]道済、
    和歌には[藤原]道信・[藤原]実方・[藤原]長能・[大中臣]輔親・[和泉]式部・
    [赤染]衛門・曾禰好忠、画工には巨勢弘高、舞人には大伴兼時・秦身高・多良茂・
    同[=多]政方、異能[=ここでは相撲の意]には則□宗平・三宅時弘・伊勢多世・
    越智経世・公侯恒則・参春時正・真上勝岡・大井光遠・秦経正、近衛[=随身で、
    名騎手を挙げてる]には下野重行・尾張兼時・播摩保信・物部武文・尾張兼国・
    下野公時、陰陽には賀茂光栄・安陪晴明、有験の僧には観修・勝算・深覚、真言には
    寛朝・慶円、能説の師には清範・静照・院源・覚縁、学徳には源信・覚運・実因・
    慶祚・安海・清仲、医方には丹波重雅・和気正世、明法には[惟宗]允亮・
    [惟宗]允正、明経には[清原]善澄・[清原]広澄、武士には[源]満仲・
    [源]満正・[平]維衡・[平]致頼・[源]頼光、皆これ天下の一物なり。/・・・

このリストを以て土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』(中公文庫,1973初版→2004改版)は「じつに
一条天皇の宮廷は日本の宮廷の代表であり、そこに花開いた幾多の学芸は、王朝文化の精粋であると
言える。」として、一条朝を高~く評価(@_@;) 気になったのは一条朝の同時代人が優れた「舞人」
と書いていた「尾張兼時」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-07-31 )が
「近衛」に入っていること(@_@;) そもそも大江匡房(1041~1111)は院政期の大学者であって、
『続本朝往生伝』は一条朝(986~1011)から既に約100年を経た著作だから、一条朝の同時代人評価
とはズレがあるのでは?と指摘(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-08
した(@_@;) モチ動画を撮影・録画など出来ない時代、「舞」は実際に観た人の評価を優先すべき
かと愚考(@_@;) このリストは、その各ジャンルで挙げられている人物のチョイスの適否を具体的に
検討した上で、その価値は決まるかと(@_@;) で、「和歌」だが、藤原道信、藤原実方、藤原長能、
大中臣輔親、和泉式部、赤染衛門、曾禰好忠が挙げられてるけど、真っ先に思ったのは、藤原公任の
名が無い点( ̄◇ ̄;) 公任は既に「九卿」で選んだからだろうけど、同様に、藤原高遠も「管絃」、
源道済も「文士」、具平親王も「親王」・・・等々、皆、選出済ゆえ、「和歌」に入らない(-ω-、)
ところで、具平親王の歌が藤原定家『八代抄』(樋口芳麻呂&後藤重郎[校注]『定家八代抄 続王朝
秀歌選』[岩波文庫,1996]上・下)に1首も入ってないのに気付いた∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?
定家が公任を評価してないことは知ってたけど(『八代抄』に僅か3首)、マジで驚いたぞ( ̄◇ ̄;)
話を戻すと、小町谷照彦(校注)『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』(岩波書店,1990)「解説」が
「『拾遺集』は、一条朝の産物であるが、・・・」と記すように、時代的に『拾遺和歌集』入集歌の
多い歌人が一条朝を代表する歌人の目安かと(^^) となると、一条朝は986年~1011年なので、991年没
の大中臣能宣、990年没の清原元輔、同じく990年没の平兼盛なども、選ばれる資格はあり(そもそも
藤原道信は994年没、藤原実方は998年没だしね)、選ばれて当然の大物歌人たちだけど、この3人は
『後撰和歌集』時代の代表的歌人ゆえ却下か(^_^;) んな感じで検討していくと、源重之と藤原道綱母
が『拾遺和歌集』入集歌数的に選ばれてないのは不自然か(@_@;) 源重之は長保(999~1004)頃に
没らしく、13首入集は7首の藤原実方・藤原長能、2首の藤原道信より多い(^^) 和泉式部と赤染衛門、
ともに選出は順当な一流女流歌人だけど、『拾遺和歌集』には1首ずつで、藤原道綱母は6首(@_@;)
ただ、道綱母も995年没で、藤原道信(享年23!)や藤原実方(奥州で客死)もそうだが、秀歌を残し
てるけど、一条朝とはその半分も関わりが無い点でしっくりこず(@_@;) 『拾遺和歌集』を親撰した
花山院(1008年没)は、歌人として実力はあるけど、このリストに入れるのは流石に変だよね(^_^;)
他方で、藤原長能(道綱母の兄弟)は名の知れた歌人だし、このリストに入っててもおかしくないが、
源道済と歌の出来を争って藤原公任にジャッジを依頼して負けた有名な説話が『古本説話集』などに
あって、その源道済が仕方がないとはいえ入ってないのに藤原長能が入っているのは違和感(@_@;)
曾禰好忠は歌人としての評価が定まってなく、時代によって評価が上下してて、大江匡房と同時代の
『後拾遺和歌集』なんかは高く評価してるけど、それでも生前(1003年頃没か)から高かったらしい
ので順当かな(@_@;) 最後に、大中臣輔親よりも娘の伊勢大輔タンの方が歌人としては上かと(^_^;)
以上はチト形式的で、個別に詠作活動の時期を検討するのが筋だけどね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

・中宮彰子が最終兵器の伊勢大輔タンに「アレを取れ!」と出撃命令キタ━━━━(゚д゚;)━━━━!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-01-10

・彰子からの出撃命令を受け、伊勢大輔タン、こっそり女院に侵入した女房たちを見事撃墜v( ̄∇ ̄)ニヤッ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-04-12

・伊勢大輔タンの父である大中臣輔親も道長に促され即興で秀歌を詠んだという血は争えない話(⌒~⌒)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-03-03

・優れた歌人輩出の大中臣家の末なので伊勢大輔タンの孫娘に御指名キタ━━━━(゚д゚;)━━━━!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-05-26

・伊勢大輔タン「いにしへの」の解釈で苑子タンを始め馬鹿が多すぎるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-01-16

・エガちゃんじゃないが、伊勢大輔タンは確実に伝説を創り、生ける伝説だったという話ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-05-19

・少なくとも70代前半にはなっていたはずも老いてなお歌を召されるほど活躍していた伊勢大輔タン(^^)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-06-07

・伊勢大輔タンの容貌を褒めつつ、その欠点を論うことも決して忘れない紫式部の性格の悪いこと(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-07-16

・そんな紫式部にも「気に入られるような、つつましく素直で、人なつこい人だった」伊勢大輔タン(^^)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-06-13

・降り積もった雪が若菜を摘んでるのかしら、だなんて、伊勢大輔タン、発想が可愛いよん(〃'∇'〃)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-10-02

・末次由紀『ちはやふる』(講談社BE LOVE,2019)42巻は伊勢大輔タンの歌が解ってないぞヾ(`◇´)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-09-08

[追記201010]

同時代評価の一つとして、倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(下)』(講談社学術
文庫,2009)の寛仁元年(1017年)8月24日条に次のような記述(^^)

     二十四日、己丑。 相撲使、死去

    帥(藤原隆家)の許から書状を送ってきた。開いて見た。書状に云ったことには、
    「相撲使(下毛野)公時が死去しました」と。この男は、私の随身であった。
    ただ今、左右近衛府の者の中で、第一の者である。この何日か、このことによって、
    あれこれ憐れむ者が、甚だ多かった。
タグ:歴史 和歌
コメント(14) 
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tai-yama

前にもコメントした気がするけど、清少納言と紫式部が居ない
と言う・・・やっぱり不思議だ。中宮定子と彰子も。
これを見ると、今の天皇は果たして部下に恵まれているのか?と。
by tai-yama (2020-08-26 23:42) 

ナベちはる

開花を見られる機会は意外とないので、開花を見られて良かったですね☆彡
by ナベちはる (2020-08-27 00:44) 

ネオ・アッキー

middrinnさんおはようございます。
ハナイカダ、弘前城が有名らしいのですが、まだ見たことがありません。
生きているうちに見えるかしら・・・
by ネオ・アッキー (2020-08-27 05:00) 

middrinn

土田直鎮も清少納言と紫式部のことを言ってましたね(^_^;)
tai-yama様、「皇后」というカテゴリーが必要ですね(^_^;)
by middrinn (2020-08-27 05:13) 

middrinn

開花の期間は長くはないのに、気付かずに、
ナベちはる様、見逃すことがあって(^_^;)
by middrinn (2020-08-27 05:14) 

middrinn

ハナイカダ、弘前城のは知りません( ̄◇ ̄;)
ネオ・アッキー様、結構あるらしいです^_^;
by middrinn (2020-08-27 05:17) 

そら

ホタルブクロ、まだ直に似た事ないんですよね
可愛いんだろうな!
by そら (2020-08-27 06:35) 

middrinn

メチャ可愛いですよ(^o^)丿
紙細工みたいで不思議(^^)
by middrinn (2020-08-27 06:45) 

ニッキー

今年は開花が全て見られたんですね♪( ´▽`)
ホタルブクロ、前はうちの近所の家の庭にたくさん咲いてましたが
塀を作っちゃったので、見ることができなくなってました(*_*)
でも今年、隅の方に一輪だけ咲いてるのを発見*\(^o^)/*
「強い花だなぁ」ってしみじみ鑑賞させていただきました^^
by ニッキー (2020-08-27 06:59) 

middrinn

向かいの家の石垣の隙間から沢山咲いてるド根性ホタルブクロ、
散歩の犬にオシッコかけられながらも健気に咲いてます(^_^;)
by middrinn (2020-08-27 07:36) 

たじまーる

平安時代の事とは言え、今も昔も人の評価は
難しく思えます。
とコメントしたのは昨日会社の研修で
評価に関することを取り扱ってましたので。
(※メインテーマは仕事での自分と周りのモチベーションアップ)。
by たじまーる (2020-08-27 09:43) 

middrinn

どうして、そのような評価になったのかを、
説明することが出来ないとダメかも(^_^;)
しかも、納得させられるような説明(@_@;)
by middrinn (2020-08-27 09:47) 

美美

トロロアオイ、あの花だったんだあって確認できました(^^)
一瞬オクラの花にも見えますよね。
by 美美 (2020-08-27 15:54) 

middrinn

似てると、よく言われてますね(^^)
今年は地植えではなく鉢植えで(^^)
by middrinn (2020-08-27 16:58) 

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