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200731読んだ本

漫画を探しにブックオフへ行きたいのだが、レジ袋はどうなってるのかな(@_@;) 前からスーパー等
では「袋は結構です」と申し出てたけど、ブックオフの漫画は流石にねぇ(-ω-、) マイバッグの中に
買った漫画を入れる袋を予め用意しとかないとマイバッグの中が雑菌だらけになりそうだし(´ヘ`;)

【読んだ本】

倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(上)』(講談社学術文庫,2009)所蔵本
倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(中)』(講談社学術文庫,2009)所蔵本

本書の上巻の寛弘4年(1007年)2月8日の条には藤原道長の五男と四男についての次の記述が(⌒~⌒)

    ・・・[藤原]教通と(藤原)能信が、舞を習い始めた。(尾張)兼時を師とした。
    疋絹を下賜した。

尾張兼時[おわりのかねとき]を本書の上巻&中巻の各巻末の「人物注」は次のように説明(@_@;)

    生没年未詳 左近衛府の将監で、人長[にんじょう=宮中の神楽の舞人の長]
    として舞で高名。『紫式部日記』や『御堂関白記』寛弘六年以後の記事では、
    兼時の舞について、老年にして衰えが見えると評している。

『御堂関白記』の当該「記事」は本書の中巻の寛弘6年(1009年)11月22日の条のことで、次のように
記している(-ω-、)

    ・・・賀茂臨時祭は、常と同じであった。一の舞は、忠経と(藤原)定頼であった。
    拍を打つ者がいなかったので、左近将監(尾張)兼時を召した。陪従の中に混じって
    拍を打った。見物[みもの]であった。私の宿所に食事を準備した。御神楽を待つ間、
    私の宿所において、殿上人と公卿に食物を振る舞った。子剋に、内裏に参って来た。
    御神遊の間、伺候していた舞人の内、兼時を召して、立てて舞わせた。昔のようには
    舞えなかった。人々には、哀憐の気が在った。以前は人長で名人であった。病が重く、
    年老いたことによって、舞を奉仕しなかったのである。

また本書の中巻の寛弘7年(1010年)4月24日の賀茂祭について記した条には次のようにある(@_@;)

    ・・・私は、舞の間に中座した。公卿が、舞人と陪従に盃を勧めた。(尾張)兼時に
    衣を下賜した。兼時は年老いて、様子が以前のようではなかった。・・・

だけど、この寛弘7年(1010年)4月24日に兼時が舞をして「衰えが見え」たと解せるのかな(@_@;)
寛弘6年(1009年)11月22日の時点で既に「病が重く、年老いたことによって、舞を奉仕しな」い予定
だったわけだし(しかも、にもかかわらず、強いられて舞うも「昔のようには舞えなかった」由)、
寛弘7年(1010年)4月24日の兼時の「様子」とは「舞を奉仕」した意とは小生には思えない(@_@;)

他方で、「人物注」の上記説明だと、「寛弘六年以後・・・兼時の舞に・・・[は]老年にして衰え
が見え」たように読み手に受け取られそうだけど、『紫式部日記』が「老年にして衰えが見えると
評し」たのは、「寛弘六年」(1009年)ではなく寛弘5年(1008年)の記事だからね( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

各注釈書が寛弘5年(1008年)11月28日の賀茂の臨時祭のこととする「臨時の祭の使は、殿の権中将の
君なり。」で始まる節に、その「評」は出てくるv( ̄∇ ̄)ニヤッ 萩谷朴『日本古典評釈・全注釈叢書
紫式部日記全注釈 下巻』(角川書店,1973)から当該件の口訳を引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/(この日は)御物忌なので(賀茂の)御社から(真夜中を過ごして)、
    午前二時に(勅使の一行は)帰参したものだから、(還立の)御神楽なんかも
    ほんの形式だけである。(人長の)兼時が、去年(の臨時の祭)まではいかにも
    ぴったりのはまり役であったのに、(今年は)ひどく元気のなくなった所作といったら、
    別にかかわり合いもなさそうな下人の身の上のことだが、ついホロリとして、
    わが身につまされることも多いのです。/

紫式部も既にビミョ~なお年頃だったのね(^_^;) とまれ、萩谷朴・前掲書は例によってメチャ長くて
詳しすぎる「兼時」の語釈の末尾で次のような鋭い指摘を行なっている(⌒~⌒)

    ・・・寛弘六年十一月の賀茂臨時祭に老病のために人長を奉仕しなかった兼時が、
    特に指名されて一さし舞う姿を見て、その衰えを憐れんでいるが(15[=上記の
    『御堂関白記』記事])、その二年前の寛弘四年二月の春日詣に神楽を奉仕した
    兼時の人長舞は、[藤原]行成がはなはだ神妙なりと書きとめているのであるから
    (14[=『権記』記事])、[『紫式部日記』に出てくる]寛弘五年十一月のこの度が、
    兼時の最後の人長舞であったと見てよいであろう。そしておそらく、その衰えの目立ち
    始めていたことを、紫式部の鋭い観察眼は既にとらえていたのであろうし、まして、
    寛弘六年末の[『紫式部日記』]執筆当時には、兼時の衰耄は確定的な事実となって
    いたことであろう。/

が、「紫式部の鋭い観察眼」とあるも、この寛弘5年の出来事を回想して執筆したのは寛弘6年なので、
寛弘6年における兼時の衰えぶりに関する世評に引き摺られた可能性も萩谷朴・前掲書は指摘(^_^;)
それゆえか、萩谷朴(校注)『新潮日本古典集成 枕草子 下』(新潮社,1977→2012年14刷)附録の
「枕草子現存人名一覧」の「尾張兼時」の項には「・・・寛弘六・七年には、既に老耄して舞の技も
衰えたと『紫式部日記』『道長公記』に惜しまれている。・・・」、また萩谷朴『枕草子解環 四』
(同朋舎出版,1983)の「をはりのかねとき」の「語釈」も「・・・寛弘六・七年には、既に老耄して
舞の技も衰えたと、『紫式部日記』寛弘五年十一月二十八日条や、『道長公記』同六年十一月二十二
日・同七年四月二十二日条に見える。・・・」と記しており、「鋭い観察眼」との指摘は無い(^_^;)

なお、wikiの「尾張兼時」の項には、「・・・しかし寛弘7年(1010年)頃になると老いによる体力の
衰えから、かつてのように舞えなくなったという。」とあり、そこに付された「脚注」に典拠として
「『御堂関白記』寛弘7年4月24日」( ̄◇ ̄;) 執筆者は寛弘6年11月22日の条を見落としてるね(^_^;)
コメント(8) 
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コメント 8

ニッキー

レジ袋、無料の店もあれば有料の店もあるので
とりあえずバッグの中に1つは入れてますが、
車で出かけると後部座席にエコバックを置いたまま
店内に入って「あっ(ー ー;)」となることが良くあります(*_*)
そしてかみさんに「私が持ってる( ̄▽ ̄)」とドヤ顔されますw
by ニッキー (2020-07-31 21:23) 

middrinn

ドヤ顔するため車から降りる時に奥様が隠し・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
新刊書店で何も言わずに紙袋に入れてくれたとこありました(^^)
by middrinn (2020-07-31 21:31) 

ナベちはる

ブックオフのレジ袋、さすがにあると思いますが「ない」と言われた時のための袋は持っていないといけないですね((+_+))
by ナベちはる (2020-08-01 01:39) 

middrinn

紙袋で無料とかならありがたいんですけどね(^_^;)
by middrinn (2020-08-01 06:17) 

tai-yama

寛弘7年まで、兼時は「認めたくないものだな。歳を取ったと言う
ことは」とシャアみたいなセリフを言っていたのかも(笑)。
今の時代なら、寛弘7年の舞でも、「衰えのない名人の舞でした」
みたいに言うんだろうな・・・・
by tai-yama (2020-08-01 18:59) 

middrinn

NHKのアナが中継で平然とそーゆーセリフを言いそう(^_^;)
by middrinn (2020-08-01 19:15) 

yokomi

某チェーンの書店では文庫本のカバーさえも有料化に。便乗値上げと同じ。後は行きません(>_<) 別なチェーンの書店では無料で紙袋に入れてくれたと我が奥様(^_^)v そういえば昔、本屋さんでは紙の袋に入れてくれましたよね。その袋は資料を入れて今も大切に保管しています(*^_^*)
by yokomi (2020-08-02 10:36) 

middrinn

文庫本カヴァーも有料化されましたか∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?
こないだ芸術新潮を買った書店は、紀伊國屋書店が運営してまして、
「袋は要らない」と申し出るのを失念してしまいましたが、店員は
何も言わずに大きい紙袋に入れてくれて、モチ無料でした\(^o^)/
レジ袋有料化に合わせて、昔のように紙袋に変わったようです(^^)
by middrinn (2020-08-02 10:56) 

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