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220930読んだ本

新日本、全日本、大日本といった冠が団体名に付いてると当該業界は分裂してるという先入観が(^_^;)
なお、「昭和55年2月1日 円楽一門が大日本落語すみれ会を設立。」と三遊亭円丈『師匠、御乱心!』
(小学館文庫,2018 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-12-14 ])にも(^_^;)

【読んだ本】

芸術新潮2022年10月号所蔵誌

本誌本号の特集「千利休生誕500年記念 闘う茶の湯」の田中仙堂(大日本茶道学会会長)「茶会記
が教えてくれること」は大変勉強になったし、インスパイアされたよ(⌒~⌒) 同特集の〈戦国茶の湯
事件簿 参 本能寺の変で消えた?家康のための「幻の茶会」〉で、その興味深い説を紹介されていた
田中仙堂(秀隆)(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-09-25 )(⌒~⌒)

    ・・・/「偽書」とか「第一級史料」という言い方をしますけれども、「その茶書から
    何を知りたいのか」という目的に応じて、それぞれの価値が決まってきます。・・・
    [茶会記『利休百会記』を]利休に関する歴史的研究書を私が執筆した際には、利休の
    茶会の記録としては扱いませんでした(『千利休 「天下一」の茶人』宮帯出版社)。
    ・・・[その]全部が利休の会として実際に行われたとは思えないと考えたからです。
    また、会は実際に行われていたとしても、記載された道具がそのまま使われたとも
    思えないと感じました。・・・しかし、・・・江戸時代の茶人が、『利休茶会記』に
    求めていたものは、典型的な利休の茶会の姿です。それならば、書き写すうちに、
    茶人たちが想像するより利休らしい客や道具名称に書き換わっていくのは致し方ない
    ことではないでしょうか。歴史学的には、「改竄」かもしれませんが、利休の茶会を
    自分たちの茶会の手本にしたいという茶人の欲求を前提にすれば、より利休らしい
    道具を登場させるのは「改良」という側面もあったという柔軟な見方が必要でしょう。
    /茶会記を筆写する人にしたら、茶入としか書いていないものでも、会の主催者と
    道具の所蔵者などから推量して、これは有名なあの道具だろうと判断したら、その名に
    書き換えるのは、記録としては改竄でも、勉強ノートとしては成果を反映させたことに
    なります。/茶会記は、自分の手控えとして成立して、その写本は勉強ノートとして
    伝えられてきました。成立事情を理解することで、茶会記はより多くのことを教えて
    くれます。/

茶会記の「写本」は「筆写する人」の「勉強ノート」であると理解し、「書き換え」を「改竄」とは
捉えないとこが面白い(^_^;) 「筆写する人」が何を「利休らしい」と考えていたのかを「知りたい」
場合に使えるのかな(^_^;) ただ、「・・・歌集などの古写本に後人が参考のために、似たような歌を
書き込んでおくということがよくあるが、それを転写した人が、間違えて、その注記した歌を本行の
本文に取り込んで写してしまうこともすくない例ではない。」として、萩谷朴『おもいっきり侃侃』
(河出書房新社,1990)が紹介してた、尾上柴舟博士が『校註古本古今和歌集』でミスしたエピソード
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-05-16 )もあるから扱いが難しい(^_^;)
タグ:歴史
コメント(6) 
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コメント 6

ナベちはる

新日本、全日本、大日本…どれか1つにしてすべて同じ書き方にすればいいのに、違う書き方がされているのは気になりますねσ(゜゜)
by ナベちはる (2022-10-01 01:11) 

middrinn

新、全、大とどれも他団体より上位を表わして
マウントをとろうとしてる感じですね(^_^;)
by middrinn (2022-10-01 06:05) 

df233285

やぁ6代目も亡くなるなんてね。謹んでお悔やみ申し上げます。
冒頭の円楽一門の解釈では、高架で現存しない東武スカイツリー
線の開かずの踏切を、6代目円楽にカバン持たせて待っていたと
噂される、星の王子の東京都足立区伊興の円楽を連想しなくて
はねぇ。史料解釈は現代人には、こういうところが、ホントに
難しいですね。
by df233285 (2022-10-01 07:50) 

middrinn

三遊亭圓生が亡くなった翌年のことですが、
昭和は遠くなりにけりですからね(^_^;)
どんなことでも調べて葉確認です(^o^)丿
by middrinn (2022-10-01 08:17) 

tai-yama

新日の猪木さんも遂に・・・・
一次資料、二次資料と区分けされますが、そもそも当時書いた人
が(事実である)との認識で書いていたのかは確かに分かりませんね。
模写の間違えもあるし、作り話を書きたかったと言うのもあるだろうし。
by tai-yama (2022-10-01 19:36) 

middrinn

たしかに、田中仙堂も「・・・江戸時代の茶人が、現代人のように
歴史学的検証にも堪えられる利休の伝記史料を残そうという意識を
持っていたかと立ち止まってください。・・・」と指摘してまして、
現代の歴史学の史料批判を意識して書いてたわけではないし(^_^;)
「なお」以下は訃報を聞いて加えたものでデスブログに非ず(^_^;)
by middrinn (2022-10-01 20:19) 

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