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220823読んだ本【バカチン】

アニメ化されたから人気なのか、人気だからアニメ化されたのか、どっちだ?という漫画が(@_@;)

【読んだ本(バカチン)】

倉本一宏編『現代語訳 小右記9 「この世をば」』(吉川弘文館,2019)

本書の「凡例」には「一、底本の誤字については、原則として文字を訂正して現代語訳を行なった。
・・・」(本書5頁)とあるのに、藤原実資の日記『小右記』の寛仁3年(1019年)正月7日条において
藤原公信のことを記した箇所が本書の現代語訳訳だと次のようになっている(本書191頁)(@_@;)

    ・・・右衛門督公信〈「右の兵舎人[つわものとねり]の府[つかさ]の藤原朝臣」
    と。〉・・・

国際日本文化研究センター「摂関期古記録データベース」の書き下し文も「右衛門督公信〈右兵舎人
府藤原朝臣。〉」となってて、記主(藤原実資)の誤記か写本を作る過程での誤写か判らないけど、
正しくは「右兵衛督公信〈右兵舎人司藤原朝臣。〉」で、現代語訳も「右兵衛督公信〈「右の兵舎人
[つわものとねり]の司[つかさ]の藤原朝臣」と。〉」とすべきヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

第一に藤原公信はこの時には「右衛門督」ではなく「右兵衛督」だヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

直後の寛仁3年(1019年)正月21日条にも「・・・そこで右兵衛督[藤原]公信に読ませたのである。
・・・そこで武衛(公信)に読ませた。・・・」(本書208頁)とあり(「武衛」は「兵衛」の唐名)、
倉本一宏編『現代語訳 小右記8 摂政頼通』(吉川弘文館,2019)の寛仁元年(1017年)9月2日条にも
「右兵衛督[藤原]公信」(同書146頁)とある( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚ ちなみに、wikiの「藤原公信」の項
も「寛仁元年(1017年)・・・8月30日:兼右兵衛督。・・・寛仁5年(1021年) 8月29日:左兵衛督
・・・」となっており、藤原公信は「右衛門督」にはなったことがない〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

第二に「つはもののとねりのつかさ」は兵衛府のことで衛門府に非ずヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

石村貞吉(嵐義人校訂)『有職故実(上)』(講談社学術文庫,1987)は「左右兵衛府」の項において
〈「つはもののとねりのつかさ[ツワモノノトネリノツカサ]」という。・・・〉、和田英松(所功
校訂)『新訂 官職要解』(講談社学術文庫,1983)は「兵衛府 ヒヤウヱ[ひょうえ]とよむ。『小
右記』などに「兵乃舎人司」などとかいて、ツハモノノトネリノツカサ[つわもののとねりのつかさ]
とよんでいる。・・・」と説明していることからも、「右兵衛督」が正しいオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

倉本一宏も「つはもののとねりのつかさ」をモチ御存知ゆえ「府」に「つかさ」とルビを付けたのだ
ろうが、摂関期古記録データベースで『小右記』を「兵舎人司」で検索すると以下の4件がヒットする
のに「兵舎人府」だと件の寛仁3年(1019年)正月7日条だけなので、「府」を「司」と「訂正」して
「右の兵舎人の府の藤原朝臣」は「右の兵舎人の司の藤原朝臣」と訳すべきかと( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

  治安元年(1021年)11月21日条

   ・・・右兵衛督経通を召し〈「右の兵舎人司藤原朝臣」と。〉、宣命を給ふ。・・・

  治安3年(1023年)正月7日条

   ・・・右兵衛督経通〈「右の兵舎人司の藤原朝臣」と。〉を召し、宣命を給ふ。・・・

  万寿元年(1024年)正月7日条

   ・・・参上し、右兵衛督経通を召し〈「右の兵舎人司の藤原朝臣」と。〉、宣命を
   給ふ。・・・

  万寿元年(1024年)11月20日条

   ・・・右兵衛督藤原朝臣を召し〈召詞に云はく、「右の兵舎人司の藤原朝臣」と。〉、
   宣命を給ふ。・・・

余談だけど、藤原公信は『大鏡』でも類似の誤りが(^_^;) 兼通伝の「ただ今[万寿2年=1025年]の
左兵衛督の北の方。」の「左兵衛督」は藤原公信のこととされているが、直後の為光伝には「また、
左衛門督公信卿・・・」となってて、石川徹(校注)『新潮日本古典集成 大鏡』(新潮社,1989)は
〈・・・万寿三年没。・・・但し、「左衛門督」は「左兵衛督」の誤写らしい。〉と頭注、保坂弘司
『大鏡全評釈 上巻』(學燈社,1979)の語釈も〈・・・左衛門督に任じられたことは見えないので、
「左兵衛督」の誤りである。〉と(^_^;) 返信コメ書いてて気付いたけど、昨日のも誤訳だな(^_^;)

・記主実資?書写した人?校訂者?誰かが六位相当の「少進」を「少童」と誤記オホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-19

・『小右記3 長徳の変』よ、「(紀)正方」ではなく「(多)正方」だヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-03
タグ:歴史 古典
コメント(8) 
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コメント 8

tai-yama

「右兵衛督」「右衛門督」と並ぶと確かに分かりにくくなるかも。
律令制が詳しくない一般の人には分からないかも・・・・
右衛門と言うと名前っぽいので間違えて記載してしまう可能性もありそう。
by tai-yama (2022-08-23 23:21) 

ぽ村

マンガ原作のアニメもアニメ原作のマンガも存在するので一概に言えないのでは…同時スタートっぽいのも結構ありますね

どちらにしても始めて触れた方に肩入れしてしまうんですけどw
by ぽ村 (2022-08-24 00:24) 

ナベちはる

「人気だからアニメ化になった」というのが一般的だと思うのですが、「アニメになったから人気が出た」というものもあるのでどちらがどうだというのを断定するのは難しいなと思います((+_+))
by ナベちはる (2022-08-24 01:27) 

middrinn

右衛門と言うと名前っぽいというのは、
tai-yama様、お茶の印象強し(^_^;)
兵衛は一字加えた名が多いです(^_^;)
by middrinn (2022-08-24 05:56) 

middrinn

始めて触れた方に肩入れしてしまうのは、
ぽムたん、たいていそうですよね(^_^;)
by middrinn (2022-08-24 06:09) 

middrinn

TV等で全国放送されることの影響力は、
ナベちはる様、大きいですよね(^_^;)
by middrinn (2022-08-24 06:19) 

df233285

なるほど。藤原実資の時代に、さほど必要でもない
とみられる「衛門府」関連役職の単語が出てきたら、
注意する感覚が必要だったのですね。現代人感覚では、
警護する守備範囲が、内外逆のイメージが有りますが。
≪新参文化≫の将棋の影響で、「兵」が外に居る雰囲気
が有るせいですね(笑)。「兵」内「門」外でしたか。
by df233285 (2022-08-24 08:14) 

middrinn

和田英松(所功校訂)『新訂 官職要解』(講談社学術文庫,1983)の
兵衛府の項に、近衛府、兵衛府、衛門府が、内、中、外とそれぞれが
守衛した区域を解り易く示した図が掲載されてて便利でした(^o^)丿
by middrinn (2022-08-24 08:32) 

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