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220822読んだ本

翻訳書の厄介なところは、原文に無い語句が補われた訳文とは判らぬことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)

【読んだ本】

倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(下)』(講談社学術文庫,2009)所蔵本

藤原道長の日記『御堂関白記』を本書の現代語訳で読んでいて目が留まったのは、長和4年(1015年)
閏6月9日条と同10日条である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

     九日、丁亥。

    夕立があった。内裏から退出した。

     十日、戊子。 祈年穀奉幣宣命/虹の吉兆を勘申

    ・・・晩方、夕立があった。「昨日の夕立の際に、土御門第の仏堂の南の山の下に、
    虹が立った」ということだ。そこで(安倍)吉平を召して、このことの吉兆を問うた。
    申して云ったことには、「大した事はございません。自然にある事です」ということだ。

虹だと!もしかしたら吉兆かも!とウキウキワクワクしながら問い合わせた藤原道長、この勘申には
がっかりしたかも、とニヤニヤしながら読んだんだけど、国際日本文化研究センター「摂関期古記録
データベース」の書き下し文に「吉兆」という文字は無い(@_@;) 「殊」から深読みしたか(@_@;)

    ・・・晩頭、夕立あり。「昨日の夕立の間、堂の南の山の下に虹立つ」と云々。仍りて
    吉平を召し、之を問ふ。申して云はく、「殊なる事無し。自然の事なり」と云々。

また本書の長和4年(1015年)12月29日条の見出しには「怪異」、吉凶を問わなかったのかな(@_@;)

     二十九日、乙巳。 小鳥群飛の怪異

    この月の中旬、小鳥が群がって北に飛んでいったことが、数日あった。
    午の後剋から晩方に及んだ。
タグ:歴史
コメント(8) 
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コメント 8

爛漫亭

 吉平は虹が虫偏で書かれるような生き物では
ないと知っていたのでしょうかね。
by 爛漫亭 (2022-08-22 22:36) 

tai-yama

"吉平"を"吉兆"と勘違いしていたり(笑)。
虹は秋から冬にかけてよく見ますよ・・・・バイクのくせに(悲)。
by tai-yama (2022-08-23 00:02) 

ナベちはる

「(なんとなく読むだけで)原文を調べない」ということがありそうですが、それに加えて「見る人が分かりやすいように」という翻訳者の配慮が入っていそうですね(^^;)
by ナベちはる (2022-08-23 01:01) 

middrinn

まるで科学者のよう(^_^;) 古代中国では虹は不吉だったという説もあるようですから、
爛漫亭様、(吉兆と喜ぶどころか)不安になった道長を安心させたかったのかも(^_^;)
by middrinn (2022-08-23 05:57) 

middrinn

その可能性は小生も一瞬思いました(^_^;) おそらく、虹に対する、
tai-yama様、現代人の感覚を古代人に押しつけたものかと(^_^;)
by middrinn (2022-08-23 06:08) 

middrinn

たしかに翻訳者の善意に発した意訳による補筆もありますね(^_^;) ただ、
ナベちはる様、翻訳者が原文を誤読していると曲筆になる危険性が(^_^;)
by middrinn (2022-08-23 06:20) 

df233285

前者安倍晴明の息子を呼び出して、意見を聞いた一件からは、
土御門第の仏堂が、山のようにそびえていた事が判ると私見。
太陽暦の8月頭ですから方角としての山は夕方虹なら東少し南。
仏堂小さくば、そもそも基準点として書かない。
by df233285 (2022-08-23 07:53) 

middrinn

山本利達(校注)『新潮日本古典集成 紫式部日記 紫式部集』(新潮社,1980)
巻末の付録の「土御門殿想定図」が本書の巻末にも転載されてて御堂(持仏堂)
が池に面してることは判りますが、萩谷朴『日本古典評釈・全注釈叢書 紫式部
日記全注釈 上巻』(角川書店,1971)巻末の「土御門殿(第一期)想定復元図」
だと、その「南池」の中には「南山の垺頭[ふとう]」があって、御堂から東南
の方向に位置してます(^_^;) 『紫式部日記』の「山のさきの道を廻ふほど」の
「山のさき」とはこの「南山の垺頭」のことと萩谷朴は解しております(^_^;)
by middrinn (2022-08-23 10:02) 

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