220207読んだ本
贋作のような気がしてきたので、真作として論じてた今までの自分がアホらしく思えるC= (-。- ) フゥー
【読んだ本】
杉本苑子『歴史エッセイ 人間紀行』(文春文庫,1989)所蔵本
プロフィールに名前を挙げているように苑子タンのファンだが、和歌に関しては調べずにデタラメな
ことを書き散らすもんだから、何度もバカチンを進呈してきた(-ω-、) ところが、そんな苑子タンを
チト見直したのは、本書所収の「辞世が語る人間群像」の次の件であるヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪
・・・/源実朝が鶴ヶ岡社頭の雪を血に染めてたおれた日、館を出る直前に、
出でて去なば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな
と詠んだ歌も、『吾妻鏡』に載せられて名高い。/「不吉な予感がした、はからずも
辞世になった」/と言いはやされているけれど、この日、建保七年(承久元、一二一九)
正月二十七日に起こったかずかずの変異と同じく、これもあるいは、没後、北条氏に
よって意識的に作られた〝お話〟かもしれないのである。もし真実、実朝の口から出た
一首としても、式子内親王の、
ながめつる今日は昔になりぬとも軒端の梅よ我を忘るな
の本歌取りとあっては興が醒める。/・・・
実朝の和歌の師である藤原定家によるルールにも違反しているから本歌取りとは認められないけど、
五味文彦&本郷和人(編)『現代語訳 吾妻鏡8 承久の乱』(吉川弘文館,2010)の注や中西進『辞世
のことば』(中公新書,1986)は菅原道真の「東風吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」
を「本歌」「似ている」とし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-11-05 )、
坂井孝一『源実朝 「東国王権」を夢見た将軍』(講談社選書メチエ,2014)は式子内親王のは「梅の
花に語りかけてい」ないなどと『新古今集』各注釈書とは真逆の珍解釈を披露して道真の歌が「より
近似している」と評してたし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-23 )、
これらの人々に比べたら、苑子タンの方が和歌のセンスがあ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;エラソー! 不勉強ゆえ、
この実朝の辞世とされる歌が実は在原業平、藤原清正、式子内親王、菅原道真の4首のコラージュ和歌
に過ぎなかったこと(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-22 )に小生は
全く気が付かなかったけどね(^_^;) 前に実朝の家集『金槐和歌集』の各注釈書を少しだけ読んだら、
ルール違反な本歌取りがメチャ多かった印象で(寺山修司が「模倣小僧」と呼ばれてたなら、実朝は
盗作将軍だろ)、そんな実朝の詠み癖を知っている人物による贋作の辞世が眼識の無い人々によって
真作とされてしまった感じで、「永仁の壺」事件ならぬ「建保の歌」事件・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;ツマラン!
・平兼盛の歌は若い「女性」を「鬼」と詠んでからかった歌なんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-11-02
・『おくのほそ道』の遊行柳の件の西行の歌について苑子タン、また調べずに書いてるよ(ノ_-;)トホホ…
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-07-11
・白河の関でトンチンカンな解釈をする杉本苑子『おくのほそ道 人物紀行』(文春新書,2005)(-"-)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-17
・伊勢大輔タン「いにしへの」の解釈で苑子タンを始め馬鹿が多すぎるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-01-16
【読んだ本】
杉本苑子『歴史エッセイ 人間紀行』(文春文庫,1989)所蔵本
プロフィールに名前を挙げているように苑子タンのファンだが、和歌に関しては調べずにデタラメな
ことを書き散らすもんだから、何度もバカチンを進呈してきた(-ω-、) ところが、そんな苑子タンを
チト見直したのは、本書所収の「辞世が語る人間群像」の次の件であるヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪
・・・/源実朝が鶴ヶ岡社頭の雪を血に染めてたおれた日、館を出る直前に、
出でて去なば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな
と詠んだ歌も、『吾妻鏡』に載せられて名高い。/「不吉な予感がした、はからずも
辞世になった」/と言いはやされているけれど、この日、建保七年(承久元、一二一九)
正月二十七日に起こったかずかずの変異と同じく、これもあるいは、没後、北条氏に
よって意識的に作られた〝お話〟かもしれないのである。もし真実、実朝の口から出た
一首としても、式子内親王の、
ながめつる今日は昔になりぬとも軒端の梅よ我を忘るな
の本歌取りとあっては興が醒める。/・・・
実朝の和歌の師である藤原定家によるルールにも違反しているから本歌取りとは認められないけど、
五味文彦&本郷和人(編)『現代語訳 吾妻鏡8 承久の乱』(吉川弘文館,2010)の注や中西進『辞世
のことば』(中公新書,1986)は菅原道真の「東風吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」
を「本歌」「似ている」とし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-11-05 )、
坂井孝一『源実朝 「東国王権」を夢見た将軍』(講談社選書メチエ,2014)は式子内親王のは「梅の
花に語りかけてい」ないなどと『新古今集』各注釈書とは真逆の珍解釈を披露して道真の歌が「より
近似している」と評してたし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-23 )、
これらの人々に比べたら、苑子タンの方が和歌のセンスがあ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;エラソー! 不勉強ゆえ、
この実朝の辞世とされる歌が実は在原業平、藤原清正、式子内親王、菅原道真の4首のコラージュ和歌
に過ぎなかったこと(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-22 )に小生は
全く気が付かなかったけどね(^_^;) 前に実朝の家集『金槐和歌集』の各注釈書を少しだけ読んだら、
ルール違反な本歌取りがメチャ多かった印象で(寺山修司が「模倣小僧」と呼ばれてたなら、実朝は
盗作将軍だろ)、そんな実朝の詠み癖を知っている人物による贋作の辞世が眼識の無い人々によって
真作とされてしまった感じで、「永仁の壺」事件ならぬ「建保の歌」事件・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;ツマラン!
・平兼盛の歌は若い「女性」を「鬼」と詠んでからかった歌なんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-11-02
・『おくのほそ道』の遊行柳の件の西行の歌について苑子タン、また調べずに書いてるよ(ノ_-;)トホホ…
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-07-11
・白河の関でトンチンカンな解釈をする杉本苑子『おくのほそ道 人物紀行』(文春新書,2005)(-"-)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-17
・伊勢大輔タン「いにしへの」の解釈で苑子タンを始め馬鹿が多すぎるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
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銭形警部曰く「実朝は式子内親王の心を盗んだのです」
とカリオストロの城な展開になったり(笑)。
by tai-yama (2022-02-07 23:43)
一度「贋作のよう」と思ってしまうと、以降はそれにしか見えなくなってしまいますね(^^;A
by ナベちはる (2022-02-08 01:08)
銭形警部がTVカメラに向かって棒読みする台詞で、
tai-yama様、「実朝の辞世を追ってて、とんでも
ない物を見つけてしまった!どうしよう?」(^^)
by middrinn (2022-02-08 05:29)
ホントそうなんですよね(^_^;) あらゆることが、
ナベちはる様、贋作を裏付けるような気に(^_^;)
by middrinn (2022-02-08 05:49)
うちの蝋梅は、冬を忘れて今年は咲かないようだ。蝋梅。
梅とは被子植物であるという以外、共通性無さそうですね。
by df233285 (2022-02-08 07:42)
重苦しい世相に合わせて、今年は遠慮
しているのかもしれませんよ(^_^;)
by middrinn (2022-02-08 07:50)