190711読んだ本
ネット掲示板「5ちゃんねる」(旧・2ちゃんねる)で、欠かすことなく毎朝チェックしているスレッド
があるんだけど(「【孔丘】宮城谷昌光を語ろう【劉邦】十巻」)、丸2週間も書き込みが無い(@_@;)
書き込んだことの無い小生だが、もし現実の世界だったら、沈黙に耐えられず、発言しちゃいそう(^_^;)
7日に行方不明になったことに気付いたケータイのアクセサリー(緑色の象さん)が見付かる(〃'∇'〃)
【読んだ本】
杉本苑子『おくのほそ道 人物紀行』(文春新書,2005)所蔵本
苑子タン、また調べずに書いてるよ(ノ_-;)トホホ… ま、別に苑子タンに限らないけどねC= (-。- ) フゥー
・・・芭蕉はこの[殺生石の]文章につづけて、かつて西行が歌を詠じ、のちに謡曲にも
作られた柳の説明に筆を移している。一句添えたりもして、字数は殺生石のくだりよりも、
やや多い。
又、清水ながるるの柳は、蘆野の里にありて、田の畔[くろ]に残る。此所の郡守
戸部[こほう]某の、「この柳みせばや」など、折々にの給ひ聞こえ給ふを、
いづくのほどにやと思ひしを、今日この柳のかげにこそ立ちより侍つれ。
田一枚植て立去る柳かな
・・・
「清水ながるるの柳」というのも、むかし西行が、鳥羽院の襖に描かれていた柳の絵に、
道のべに清水流るる柳かげしばしとてこそ立ち止まりつれ
と書き添えた故事にちなんだ名で、西行が実際に、みちのくの蘆野の地を訪れて詠んだ
わけではない。/・・・
久保田淳『旅と草庵の歌人 西行の世界』(日本放送出版協会新コンパクト・シリーズ,1988)を引く(^^)
・・・/また、同じく『新古今集』巻第三夏歌に載っている。
道のべに清水ながるる柳陰しばしとてこそ立ち止まりつれ
という歌は、同集では「題しらず」、すなわち作歌事情未詳という扱いであるが、
中世後期の能の作者は、この柳を陸奥の白河の関付近の柳の古木であるとして
「遊行柳」という曲を作り、芭蕉もまた『おくのほそ道』の旅で
その柳と伝えられるものを尋ねて、一句を吟じた。
・・・
この柳も西行の和歌のゆえに歌枕となっていることが知られる。/けれども、
この歌については、『西行物語』は、大治二年(一一二七)鳥羽殿に御幸した鳥羽院が
御障子絵(宮中の襖の絵)の歌として歌人達に詠歌させた際、出家以前の西行
(佐藤義清)が「清水流るる柳の陰に旅人の休む絵を描きたるところに」(久保家本
『西行物語絵巻』)、または「清水の流れたる柳の陰に水をむすぶ女房を描きたりければ」
(文明本『西行物語』)、詠んだ歌である、すなわち題詠の一種である障子歌として
詠まれたものであると語る。大治二年に西行は十歳である。一緒に詠んだという歌人の中には
既に故人となっていた人の名も見られる。『西行物語』の記述内容に信を置きがたいことは
このあたりの記述からも明らかであるが、・・・
桑原博史(全訳注)『西行物語』(講談社学術文庫,1981)も同様の指摘〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
ただ、「西行が実際に、みちのくの蘆野の地を訪れて[この柳の下で]詠んだ」という話も、「・・・
事実としては疑う余地は多分にあります。」と井本農一『芭蕉入門』(講談社学術文庫,1977)は評し、
久保田淳も「・・・『金色夜叉』のお宮の松が熱海の海岸に存在するのにも似・・・」ると否定的(^_^;)
があるんだけど(「【孔丘】宮城谷昌光を語ろう【劉邦】十巻」)、丸2週間も書き込みが無い(@_@;)
書き込んだことの無い小生だが、もし現実の世界だったら、沈黙に耐えられず、発言しちゃいそう(^_^;)
7日に行方不明になったことに気付いたケータイのアクセサリー(緑色の象さん)が見付かる(〃'∇'〃)
【読んだ本】
杉本苑子『おくのほそ道 人物紀行』(文春新書,2005)所蔵本
苑子タン、また調べずに書いてるよ(ノ_-;)トホホ… ま、別に苑子タンに限らないけどねC= (-。- ) フゥー
・・・芭蕉はこの[殺生石の]文章につづけて、かつて西行が歌を詠じ、のちに謡曲にも
作られた柳の説明に筆を移している。一句添えたりもして、字数は殺生石のくだりよりも、
やや多い。
又、清水ながるるの柳は、蘆野の里にありて、田の畔[くろ]に残る。此所の郡守
戸部[こほう]某の、「この柳みせばや」など、折々にの給ひ聞こえ給ふを、
いづくのほどにやと思ひしを、今日この柳のかげにこそ立ちより侍つれ。
田一枚植て立去る柳かな
・・・
「清水ながるるの柳」というのも、むかし西行が、鳥羽院の襖に描かれていた柳の絵に、
道のべに清水流るる柳かげしばしとてこそ立ち止まりつれ
と書き添えた故事にちなんだ名で、西行が実際に、みちのくの蘆野の地を訪れて詠んだ
わけではない。/・・・
久保田淳『旅と草庵の歌人 西行の世界』(日本放送出版協会新コンパクト・シリーズ,1988)を引く(^^)
・・・/また、同じく『新古今集』巻第三夏歌に載っている。
道のべに清水ながるる柳陰しばしとてこそ立ち止まりつれ
という歌は、同集では「題しらず」、すなわち作歌事情未詳という扱いであるが、
中世後期の能の作者は、この柳を陸奥の白河の関付近の柳の古木であるとして
「遊行柳」という曲を作り、芭蕉もまた『おくのほそ道』の旅で
その柳と伝えられるものを尋ねて、一句を吟じた。
・・・
この柳も西行の和歌のゆえに歌枕となっていることが知られる。/けれども、
この歌については、『西行物語』は、大治二年(一一二七)鳥羽殿に御幸した鳥羽院が
御障子絵(宮中の襖の絵)の歌として歌人達に詠歌させた際、出家以前の西行
(佐藤義清)が「清水流るる柳の陰に旅人の休む絵を描きたるところに」(久保家本
『西行物語絵巻』)、または「清水の流れたる柳の陰に水をむすぶ女房を描きたりければ」
(文明本『西行物語』)、詠んだ歌である、すなわち題詠の一種である障子歌として
詠まれたものであると語る。大治二年に西行は十歳である。一緒に詠んだという歌人の中には
既に故人となっていた人の名も見られる。『西行物語』の記述内容に信を置きがたいことは
このあたりの記述からも明らかであるが、・・・
桑原博史(全訳注)『西行物語』(講談社学術文庫,1981)も同様の指摘〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
ただ、「西行が実際に、みちのくの蘆野の地を訪れて[この柳の下で]詠んだ」という話も、「・・・
事実としては疑う余地は多分にあります。」と井本農一『芭蕉入門』(講談社学術文庫,1977)は評し、
久保田淳も「・・・『金色夜叉』のお宮の松が熱海の海岸に存在するのにも似・・・」ると否定的(^_^;)
「殺生石」も「遊行柳」も東北ではなく那須(栃木)ですね・・・
みちのくの範囲をどこまで解釈するのかと言う部分もあったり(笑)。
by tai-yama (2019-07-11 23:46)
丸2週間も書き込みがないと、心配になってきますね。
ケータイのアクセサリ、見つかって良かったですね!!
by ナベちはる (2019-07-12 00:37)
( ^o^)ノ◇ 山田く~ん 特製みちのく座布団1枚 ♪
tai-yama様のおっしゃる通り、白河以南ですね(^_^;)
by middrinn (2019-07-12 06:01)
皆さん、宮城谷昌光作品を読まなくなったのかと心配(´ヘ`;)
ナベちはる様も、願い事をすれば、きっと叶いますよ(^o^)丿
by middrinn (2019-07-12 06:06)
そう言えば柳の木ってあまり見かけなくなりました
子供の頃はあちこちで見られましたけど。
by そら (2019-07-12 06:25)
そーなんですよ、川崎さん(^o^)丿 「青柳」とか詠まれている
和歌を読む度に最近は柳の木を見ないなぁ~と思ってました(..)
by middrinn (2019-07-12 06:39)
今は「5ちゃんねる」というんですね。
いろいろ紆余曲折あったらしいということは知っていましたが・・・
見出すと止まらないんですよね・・・
何のスレッド見てたか忘れちゃいましたが、どれだけ時間をつかっちゃたのか、今思うともったいない気も(^^;)
by enokorogusa (2019-07-12 18:42)
その「紆余曲折」で、他にも「旧・2ちゃんねる」があったような気も(^_^;)
スレッドを新規開拓することなく上記の如き長寿スレのみ閲覧してます(^_^;)
by middrinn (2019-07-12 18:52)