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211116読んだ本

読書の厄介なところは、にわかとミーハー、どう違うのかである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

倉本一宏編『現代語訳 小右記13 道長女の不幸』(吉川弘文館,2021)

今日も藤原実資の日記『小右記』の万寿2年(1025年)の5月16日条、同23日条、6月1日条、同4日条を
(全て逸文だけど)本書202~203頁から引く_φ( ̄^ ̄ )メモ

     十六日。(『三条西家重書古文書』一・関寺牛事による)頼通、関寺に参詣し霊牛を見る

    関白(藤原頼通)は関寺に参られた。近日、上下の者が参詣している。その由緒を
    尋ねると、「あの寺の材木を引く牛は、大津に住む者の夢に、『この牛は迦葉仏
    [かしょうぶつ]である』と云うことだ」と。

     二十三日。(『三条西家重書古文書』一・関寺牛事による)実資、関寺に参詣し霊牛を見る

    関寺に参り、諷誦[ふじゅ]を修した。次いで牛の許に向かった。繋がれずに、
    閑[しず]かに立っていた。様子は柔弱であった。心底[しんてい]に祈念して、
    退帰した。

     一日。(『三条西家重書古文書』一・関寺牛事による)霊牛、病悩

    関寺の牛は、その病がはなはだ重い。入滅の時期は近いのではないか。その在所から
    出て、漸く御堂[みどう]の前に歩んで登った。御堂を廻ったことは、二匝[めぐり]。
    道俗の者は涕泣した。その後、仏前に臥した。僧たちが念仏を行なった。また、更に
    牛を扶持して、また一匝し、元の所に帰った。誠に化身と申すべきである。「入滅は、
    もしかしたら今夜か」と云うことだ。

     四日。(『三条西家重書古文書』一・関寺牛事による)霊牛、埋葬

    或いは云ったことには、「関寺の牛は、すぐに掘って埋めた。また、その像を画いて、
    堂中に懸けた。この牛を見ていない上達部は、大納言(藤原)行成・参議(藤原)広業
    〈病後、灸治している。〉・(源)朝任〈妻の産穢[さんえ]。〉」と。

「この牛を見ていない上達部」には暗数もありそうだし、ここで名前を挙げられた中でも藤原行成は
不信心と思われたら気の毒(^_^;) 他方で、藤原実資は(上記のように)実際には見に行ってるのに、
説話上においては見に行かなかったことになってて、『古本説話集』では「その後、この[迦葉仏の
化身である牛が現われた]ことが世間に知れわたって、都中の人々は皆、だれも彼も参詣しない者は
いない。入道藤原道長公をはじめとして、男君方や上達部の方々が皆お参りしたが、右大臣小野の宮
藤原実資様だけはお参りにならなかった。」と高橋貢(全訳注)『古本説話集(下)』(講談社学術
文庫,2001)は訳した上で「実資は剛直の人で、道長の批判者であった。ここの一文はそのことを象徴
する。」と注釈してる(^_^;) 「賢人右府」として一目置かれる一方で、好色と思われていたらしいし
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-16 )、たしかに朝廷の儀式や行事で
の他の公卿の失儀や違例を厳しく批判している記述が『小右記』には溢れていて「剛直の人」という
イメージなんだけど、他方で藤原実資は孔雀が独りで産卵したことに深い関心を寄せたりもするから
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-18 )、霊牛にも信心以上に好奇心で
興味津々だったのかも(^_^;) 「上達部」以外では、菅原孝標女が同時期に距離が近い東山へと移住し
近隣の霊山寺は参詣するも逢坂の関には赴いてないので霊牛は見てない(^_^;) 彼女は上京時に関寺の
未完成の弥勒仏を目撃して「人里離れて所在なさそうにして立っていらっしゃる」(秋山虔[校注]
『新潮日本古典集成 更級日記』[新潮社,1980])と例によって萌えるようなことを記していたし、
これだけ大評判なので、みいちゃんはあちゃんっぽい彼女は見に行きそうなのに、意外だった(^_^;)
この話を説話化したのが『古本説話集』には二つ入ってて、片方に和泉式部の「聞きしより牛に心を
かけながらまだこそ越えぬ逢坂の関」(「牛仏が現われたということを聞いて以来、参詣しに行こう
と気にはかけながら、逢坂の関所を越えて参詣しに行くという思いをまだはたさないでおります。」
と高橋貢[全訳注]『古本説話集(下)』[講談社学術文庫,2001]は訳)が引かれてて、彼女もまた
見に行かなかった一人っぽいね(^_^;) 霊牛が関寺の僧の夢に現われて入滅を予告し、当日には多数の
人々が参集も、〈次第に夕方が近づいたが、牛は少しも弱る様子がない。「牛はこのまま死なないで
しまうかもしれないよ。」と人々は笑ったりする。そのように言いあう人々もいる。〉という描写を
挿んだ上で、霊牛が最期を迎える場面(昨日引用部分)へと進む、『古本説話集』作者の巧みな展開
には改めて感心するけど、小生は次の場面も好き(〃'∇'〃)

    ・・・閑院の太政大臣藤原公季公がお参りになったが、身分の低い人達が
    どうにもならないほど大勢いたので、車から下りて歩くのがかるがるしい
    振舞にお思いになったので、寺の境内に車に乗ったままお入りになったのを、
    牛は罪深いこととお思いになったのか、つないである縄を引きちぎって、
    山の方に逃げて行った。公季公は車から下りて、「車に乗ったままで入ったのを、
    牛は『無礼だ』と思われて逃げてしまったのだろう。」と思い、大変後悔し、
    悲しまれた。牛はその時、公季公がこのように懺悔なさったのに感じなさった
    のであろうか、そっと山から下りて、牛小屋の中に伏せた。その時、公季公は
    草を取って牛に食べさせなさる。牛は、ほかの草は食べる様子ではないのに、
    この草を口の中に含むので、公季公は直衣の袖を顔に覆ってお泣きになる。
    見る人々も尊んで泣いた。・・・

こーゆーのを読むと、にわか公季ファンになっちゃう(^_^;) 歴史の上では藤原公季は印象が薄いし、
どうして藤原公季にこのような役回りが宛がわれたのかもチト気になる〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

・好感をいだいてた人物の旧悪を『現代語訳 小右記13 道長女の不幸』で発見するとはヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-10

・『現代語訳 小右記13 道長女の不幸』に注釈を付けぬ現代語訳が如何にお気楽な仕事かと実感(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-12

・藤原行成が藤原斉信の失錯を扇に記したのを斉信が怨んだ話を誤読ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-13

・『小右記』の関寺霊牛から武澤秀一『法隆寺の謎を解く』(ちくま新書,2006)への疑問に(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-15
タグ:歴史 和歌 説話
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

公季公は牛に優しい姿を見せて人々への好感度UP。
「うっしっし」と思ったり(笑)。
by tai-yama (2021-11-16 22:17) 

ナベちはる

「にわか」と「ミーハー」、違いはあるはずですがなかなか分からないですよね…(^^;)
by ナベちはる (2021-11-17 01:18) 

middrinn

( ^o^)ノ◇ 山田く~ん 特製「うっしっし」と思ったり座布団1枚 ♪
tai-yama様、霊牛が逃げたのは自分の所為ゆえ好感度どころでは(^_^;)
by middrinn (2021-11-17 07:22) 

middrinn

ミーハー=にわかファンと説明されてたりもしますが、にわかは、
なべちはる様、流行とは関係がない場合にも該当かと愚考(^_^;)
by middrinn (2021-11-17 07:25) 

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