211112読んだ本
読書の厄介なところは、能力を疑われぬためか注釈の無い現代語訳である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
岡山にも梅の名所あるんですねというコメを春に目撃(^_^;) 強要罪で訴えられそうなコメも最近(^_^;)
【読んだ本】
倉本一宏編『現代語訳 小右記13 道長女の不幸』(吉川弘文館,2021)
藤原実資の日記『小右記』の万寿2年(1025年)7月6日条を本書206~207頁から引く_φ( ̄^ ̄ )メモメモ
六日、丙戌。 清涼寺施米/大般若経外題を行成に鑑定させる/弘法大師の手跡か
・・・/(平)維時が請い奉った大般若経を、今朝、右近将監(高階)為善を介して
権大納言([藤原]行成)に見せた。伝え送って云ったことには、「弘法大師(空海)
の手跡と称するのは、何とも申し難いです。但し、あの頃は、能書の人はいませんでした。
やはりあの大師の外題と称すべきでしょうか。まったく凡筆ではありません。深く感嘆
しました。謂うところの、脛無くして到るというのは、もしかしたらこのようなもの
でしょうか。尊重しなければいけません、随喜しなければなりません」ということだ。
「所謂」とあるから慣用句なんだろうけど、「脛無くして到る」の意味が小生には解らんぞ(@_@;)
「人の耳を飾る」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-07-06 )という表現も
『小右記』にあったな(^_^;) 藤原行成の日記『権記』に出てきた「月に乗じて」という表現の出典も
判ったし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-08-08 )、後日に期待か(^_^;)
「あの頃は、能書の人はいませんでした」というのもイミフ(@_@;) 「三筆」の生没年はwikiだと、
空海は774~835年、橘逸勢は782?~842年、嵯峨天皇は786~842年なので、空海だけ存命だったのは
774~782?年となり、空海は書の神童だったことに(^_^;) 「三蹟」も小野道風の代わりに兼明親王が
当時は入ってた可能性があるし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-18 )、
「三筆」も後世に創られたものだったり(^_^;) 注釈なしの「現代語訳」なんて楽な仕事っぽい(^_^;)
・好感をいだいてた人物の旧悪を『現代語訳 小右記13 道長女の不幸』で発見するとはヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-10
岡山にも梅の名所あるんですねというコメを春に目撃(^_^;) 強要罪で訴えられそうなコメも最近(^_^;)
【読んだ本】
倉本一宏編『現代語訳 小右記13 道長女の不幸』(吉川弘文館,2021)
藤原実資の日記『小右記』の万寿2年(1025年)7月6日条を本書206~207頁から引く_φ( ̄^ ̄ )メモメモ
六日、丙戌。 清涼寺施米/大般若経外題を行成に鑑定させる/弘法大師の手跡か
・・・/(平)維時が請い奉った大般若経を、今朝、右近将監(高階)為善を介して
権大納言([藤原]行成)に見せた。伝え送って云ったことには、「弘法大師(空海)
の手跡と称するのは、何とも申し難いです。但し、あの頃は、能書の人はいませんでした。
やはりあの大師の外題と称すべきでしょうか。まったく凡筆ではありません。深く感嘆
しました。謂うところの、脛無くして到るというのは、もしかしたらこのようなもの
でしょうか。尊重しなければいけません、随喜しなければなりません」ということだ。
「所謂」とあるから慣用句なんだろうけど、「脛無くして到る」の意味が小生には解らんぞ(@_@;)
「人の耳を飾る」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-07-06 )という表現も
『小右記』にあったな(^_^;) 藤原行成の日記『権記』に出てきた「月に乗じて」という表現の出典も
判ったし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-08-08 )、後日に期待か(^_^;)
「あの頃は、能書の人はいませんでした」というのもイミフ(@_@;) 「三筆」の生没年はwikiだと、
空海は774~835年、橘逸勢は782?~842年、嵯峨天皇は786~842年なので、空海だけ存命だったのは
774~782?年となり、空海は書の神童だったことに(^_^;) 「三蹟」も小野道風の代わりに兼明親王が
当時は入ってた可能性があるし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-18 )、
「三筆」も後世に創られたものだったり(^_^;) 注釈なしの「現代語訳」なんて楽な仕事っぽい(^_^;)
・好感をいだいてた人物の旧悪を『現代語訳 小右記13 道長女の不幸』で発見するとはヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-10
唐突に注釈の無い訳がされていると、それはそれで「なんで突然?」となって結局は能力を疑われるような気がしてきます…(^^;
by ナベちはる (2021-11-13 01:35)
たしかに、特に論点になっている語句に
注釈が無いと、首を傾げますね(^_^;)
by middrinn (2021-11-13 06:19)
たしかに。ちゃんと注釈してくれたら、「親のすねかじり」
という慣用句は、中国北宋期には成立していた事が
判ったのかもしれないのに残念。ひょっとすると、「
金銭的援助をパトロンから得て、高等教育を受けなくても、
天性の才能により、非凡な書が書ける」という意味だろうか。
web上では中国の諺類の検索、簡単じゃないですね。
by df233285 (2021-11-13 08:50)
日文研の「摂関期古記録データベース」の書き下し文も、
「所謂、脛無くして到るは、若しくは此くのごときか。」
で、この現代語訳はそのままという手抜きですね(^_^;)
脛齧りの「脛」の意だと、やはり若い頃ですかね(^_^;)
橘逸勢や嵯峨天皇がまだ10代で空海が20代半ばの頃も、
ありうるかと一瞬思ったのですが、空海は唐で書を学び、
806年に帰国したので、やはり若い頃は無い気が(^_^;)
by middrinn (2021-11-13 09:06)
空海さんは774~ですよ。即身成仏で生きている状態っ!
確かに文章的には英語の直訳みたいなものに見えたり。
そう考えると翻訳って訳者のアレンジが必要なので大変なのかも。
by tai-yama (2021-11-13 19:04)
( ^o^)ノ◇ 山田く~ん 空海さんは774~ですよ。即身成仏で生きている座布団1枚 ♪
注釈=訳注が無いんだから一読して内容を理解することが出来る現代語訳にせにゃ(^_^;)
by middrinn (2021-11-13 19:22)