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211115読んだ本

読書の厄介なところは、右回りのダンディーの方が正しい気がすることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)
wikiの「末松正博」の項に「初期の絵柄は、江口寿史の作品から直接トレースしたような表現を用いる
ことがあった。江口本人に名指しで批判されたことがある。菓子折りを持って仕事場に謝罪に来たと
江口は後に述べている。」とあったヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ たしかに、当時、似てるなぁと思った記憶(^_^;)

【読んだ本】

倉本一宏編『現代語訳 小右記13 道長女の不幸』(吉川弘文館,2021)

藤原実資の日記『小右記』の万寿2年(1025年)の5月16日条、同23日条、6月1日条、同4日条を(全て
逸文だけど)本書202~203頁から引く_φ( ̄^ ̄ )メモ

     十六日。(『三条西家重書古文書』一・関寺牛事による)頼通、関寺に参詣し霊牛を見る

    関白(藤原頼通)は関寺に参られた。近日、上下の者が参詣している。その由緒を
    尋ねると、「あの寺の材木を引く牛は、大津に住む者の夢に、『この牛は迦葉仏
    [かしょうぶつ]である』と云うことだ」と。

     二十三日。(『三条西家重書古文書』一・関寺牛事による)実資、関寺に参詣し霊牛を見る

    関寺に参り、諷誦[ふじゅ]を修した。次いで牛の許に向かった。繋がれずに、
    閑[しず]かに立っていた。様子は柔弱であった。心底[しんてい]に祈念して、
    退帰した。

     一日。(『三条西家重書古文書』一・関寺牛事による)霊牛、病悩

    関寺の牛は、その病がはなはだ重い。入滅の時期は近いのではないか。その在所から
    出て、漸く御堂[みどう]の前に歩んで登った。御堂を廻ったことは、二匝[めぐり]。
    道俗の者は涕泣した。その後、仏前に臥した。僧たちが念仏を行なった。また、更に
    牛を扶持して、また一匝し、元の所に帰った。誠に化身と申すべきである。「入滅は、
    もしかしたら今夜か」と云うことだ。

     四日。(『三条西家重書古文書』一・関寺牛事による)霊牛、埋葬

    或いは云ったことには、「関寺の牛は、すぐに掘って埋めた。また、その像を画いて、
    堂中に懸けた。この牛を見ていない上達部は、大納言(藤原)行成・参議(藤原)広業
    〈病後、灸治している。〉・(源)朝任〈妻の産穢[さんえ]。〉」と。

関寺の霊牛(牛仏)の話を取り上げたものは多いが、手元には『古事談』『古本説話集』のみ(^_^;)
高橋貢(全訳注)『古本説話集(下)』(講談社学術文庫,2001)の訳で引くと、「・・・伏せていた
牛が立ち上がって走り、お堂の方に行って、三回まわる。苦しがって、伏せては起き、伏せては起きし、
汗まみれになって、三回まわり終った。」(;_;) 『小右記』逸文の上記記述と同様に、『古事談』は
源顕兼(編)伊東玉美(校訂・訳)『古事談 下』(ちくま学芸文庫,2021)の訳だと、「そんな中、
その牛は牛小屋から出てゆっくり歩み、御堂の正面側に登り、御堂を二周した。それを見て、出家者
も俗人も皆感涙した。その後、仏前でうずくまった。寺の僧たちは念仏を唱えた。その後、もう一度
起き上がり、人に助けられてもう一周し、元の場所に戻ってうずくまった。」とあり、ともに死期が
迫っての出来事ゆえ涙涙であるが(直後死亡)、何故「三」(「二」+「一」)周したのか(@_@;)
川端善明&荒木浩(校注)『新日本古典文学大系41 古事談 続古事談』(岩波書店,2005)に答え(^^)

    左経記、縁起、今昔など「三匝」。小右記には二匝で仏前に倒れ、倒れた牛を僧たちが
    扶けて更に一匝させる。右回りに三周すること(右遶三回)は仏を礼拝する作法。

法隆寺の中門の真ん中の柱が謎(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-05-27
とされてきて、武澤秀一『法隆寺の謎を解く』(ちくま新書,2006)が解いたと話題になったので当時
読んだけど、ネットで検索した限りでは、
                              ・・・武澤秀一・前掲書が
    インドの例から右側から入ってぐるっと廻って左側から出るとか書いてたような気も
    するのですが、何しろ手元に無いので、間違っていたら、ごめんなさいですm(__)m
    by middrinn (2019-05-28 20:54)

という小生の返信コメは記憶違いで、武澤秀一は「右遶三回」ではなく左回りとしてるとか(@_@;)

・好感をいだいてた人物の旧悪を『現代語訳 小右記13 道長女の不幸』で発見するとはヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-10

・『現代語訳 小右記13 道長女の不幸』に注釈を付けぬ現代語訳が如何にお気楽な仕事かと実感(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-12

・藤原行成が藤原斉信の失錯を扇に記したのを斉信が怨んだ話を誤読ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-13
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

現代だったら、その牛はステーキ、牛タン、すき焼き、牛丼に(笑)。
余計な一匝でさらに寿命が・・・・
by tai-yama (2021-11-15 23:07) 

yokomi

家から出発した葬儀の行列が寺の門を潜り、前庭で右回りに3周してから本堂に入ります。「3周」とはその辺りから来ていたのでしょうね。
by yokomi (2021-11-16 00:42) 

ナベちはる

苦しがってまで3周する姿、今だったら感動せずに「可哀そう」と思う人が多そうな気もします…(^^;
by ナベちはる (2021-11-16 00:57) 

middrinn

「関寺の牛は、その病がはなはだ重い。入滅の時期は近いのではないか。」と、
tai-yama様、『小右記』ではなってますが、説話化された『古本説話集』では、
霊牛は自らの入滅を予告しているので、そーゆー疑問は出ないんですよ(^_^;)
by middrinn (2021-11-16 05:08) 

middrinn

上に書いた通りでして、「右遶三回」をネット検索すれば解りますけど、
yokomi様、お挙げになった例も「右遶三回」からきたものかと(^_^;)
by middrinn (2021-11-16 05:17) 

middrinn

となると、苦行をしている宗教家に対しても「可哀そう」となりそう(^_^;) でも、
ナベちはる様、学校教育で小動物飼育による生命尊重教育は効果あるのかも(^_^;)
by middrinn (2021-11-16 05:25) 

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