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240208読んだ本

作家は処女作を超えられないならデーブ・スペクターの駄洒落は「住めば都はるみ」以下かな(^_^;)

【読んだ本】

杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(七)』(講談社学術文庫,1985)所蔵本

「故郷」は、かつて住んでた里に限らず、和歌では昔の都(平城京等)を、唐詩では今の都(長安)
を指すことが多い(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2024-02-02 )(@_@;)
都を指すのは同じでも、和歌=日本では昔、唐詩=中国では今、対称的な点が興味深いかと(@_@;)

    ・・・/平家都を落ち行くに、六波羅、池殿、小松殿、八条、西八条以下、一門の
    卿相雲客の家々廿余ケ所、付々の輩の宿所宿所、京白河に四五万軒の在家、一度に
    火をかけて皆焼き払ふ。/

     ・・・/平家は都を落ちて行くにあたって、六波羅、池殿、小松殿、八条、西八条
     以下、一門の公卿殿上人の家々二十余ヵ所、その従者の宿所宿所や、京、白河の
     四、五万軒の民家に一度に火を放ってみな焼き払った。/

本書の「維盛都落」の末尾の件を訳とともに引いたけど、〈・・・/都を退去するにあたって、その
屋敷を焼き払ったことは『玉葉』『吉記』七月二十五日条にみえるが、「四五万軒の在家」まで火を
かけたというのは誇張があろう。〉と本書は解説してる(@_@;) んで、「一門都落」に「・・・/
それぞれ、後ろをふりかえって見られると、空もかすんで、煙ばかりが心細くたちのぼっている。/
・・・」として詠んだ「平中納言教盛」の歌に続けて、「修理大夫経盛」の歌(字句に相違あるも、
延慶本は行盛、南都本や源平盛衰記は忠度の作とすると本書の解説)が載っているので、本書から訳
とともに引く(@_@;)

    ふるさとをやけ野の原にかへりみてすゑもけぶりのなみぢをぞゆく

     ふりかえりみる故郷は、焼野の原となり、これから先も煙霞にかすむ
     波路を行くことだ

この「ふるさと」は平安京で、今の都(福原へは行幸で、遷都したわけではないから)かと(@_@;)

水原一(校注)『新潮日本古典集成 平家物語 中』(新潮社,1980)は本書とは底本が異なるため、
「平家都を落ちゆくに、六波羅、池殿、小松殿、西八条に火をかけたれば、黒煙天に満ちて、日の光
も見えざりけり。」の一文で「第七十句 平家一門都落ち」は始まっており、その続きには「余炎の
およぶところ[=「延焼の範囲は」と傍注訳]、在々所々数十町なり。」なる一文もあるが、これは
平家の「郎従の蓬蓽[=「草のいおり。」と頭注]」・「雑人の屋舎」のことであって、「在家」=
民家ではない(@_@;) 従って、「修理大夫経盛」(延慶本・南部本は行盛、盛衰記・南都本は忠度
の作とすると同書の頭注)が詠んだ歌も歌意・訳が異なってくるかと(@_@;)

    ふるさとを焼け野の原とかへり見て 末もけぶりの波路をぞゆく

     永年住みなれた都の館を焼野の原として、その煙をふり返り見つつ、
     前途もやはり雲煙に閉された海の旅路を行くのであるか。

この「ふるさと」は今の都=平安京というよりも住んでた里の意で、紀友則の「故里は見しごともあ
らず斧の柄の朽ちし所ぞ恋しかりける」と同様に住んでた里が都だったというだけかと愚考(@_@;)

・平忠度のは「お前が言うな」「自作自演」と罵詈雑言を浴びせられ炎上必至・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;シャレ?

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-08-30
コメント(2) 
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コメント 2

tai-yama

「波路」なんてあると、福原ですね・・・・
もしかしたら、和歌の年代によって故郷の定義も変わったり。
私が、今、故郷を焼き払うとしたら宇都宮っ!
by tai-yama (2024-02-08 23:38) 

middrinn

修理大夫経盛は唐代の詩人の生まれ変わりというのが本書(覚一本)の設定
かも(^_^;)「平経盛」という名前も中国の人っぽいし・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
by middrinn (2024-02-09 05:15) 

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