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170830読んだ本

「お前が言うな」「自作自演」等の罵詈雑言を浴びせられて、今なら炎上・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;シャレ!?

【読んだ本】

杉本苑子『平家物語を歩く』(講談社文庫,1985)所蔵本

「反平家の陰謀」と「頼政の挙兵と福原遷都」の両章を読んだ(^^) 日吉神社、鹿ケ谷、双林寺(平
判官康頼が隠棲)、宇治橋、平等院、以仁王墓、三井寺、神戸の清盛塚が取り上げられ、「ガイド」
に交通案内あり(^^) 〈例の、酒の瓶子を引き倒して、/「平氏倒れ候いぬ」/と、猿楽もどきに
打ち興じたという古典・平家の記載からは、いかにも軽佻な、痴子の集りのような印象をうけるが、
現実に鹿ケ谷の静寂に佇ってみると、けっしてそんないいかげんな気持ちで、彼らがこの山中へ、
喘ぎ登ったのではないことが実感される。〉由、この辺が紀行文らしい「実感」で興味深いね(^^)
小生が気になったのは、源三位頼政の挙兵に三井寺の僧兵も加担したとして、平知盛を総大将とし、
平忠度を副将とする討伐軍が三井寺へと差し向けられ、その堂舎塔廟が兵火に包まれただけでなく、
「・・・山麓大津の民家一千八百余軒もまきぞえをうけて灰と化した。」とある件(@_@) その原文は
杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(四)』(講談社学術文庫,1982)の「三井寺炎上」には「焼くる
ところ、・・・大津の在家一千八百五十三宇、・・・忽ち煙となるこそかなしけれ。」とある(..)
何度も取り上げたが、撰者・藤原俊成に頼んで千載集に入れてもらったと平家物語にある平忠度の歌
「さざ波やしがの都はあれにしをむかしながらの山ざくらかな」について、忠度と「江州大津との
地縁は定かではない」と前に書いたけど、地縁(?)あったね^_^; でもさ、忠度は自ら大津の町を
焼き払っておきながら、知らぬ顏して、「志賀の大津の都は荒廃してしまったが、長等山の山桜は、
昔のままの美しさだ。」と詠んだのか(゚ロ゚;)マジ!? 芸術至上主義も極まれりだな(^。^;) ちなみに、
同書の〈解説〉によると、この平家による三井寺攻撃は物語では治承4年(1180年)5月27日のこと
としてるが、『玉葉』によると頼朝挙兵や富士川の戦い後の同年12月のことであり(その十数日後に
平重衡の南都焼討ちで東大寺・興福寺が炎上)、民家の被災・炎上に関しては、同書に引用されてる
『玉葉』や『山槐記』の記述を見る限り、その状況・程度は読み取れなかった(..) 調べないけど^_^;

昨夜22時前に消灯して今朝5時前に目が覚めて充分に眠ったつもりが昼食後に睡魔が襲ってきた(+_+)
コメント(2) 
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riverwalk

最近、会社で眠たいです(^-^;
季節の変わり目だからでしょうか。
by riverwalk (2017-08-30 20:41) 

middrinn

フィールドほど夢中になれないからかも^_^;
冗談はさておき、少しずつですが、
秋近しの感がありますね(^^)
by middrinn (2017-08-31 04:31) 

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