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240202読んだ本

「永田町」や「霞ヶ関」が自分の故郷だと思ってる連中と同じ人種だったりしてエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

【読んだ本】

駒田信二『中国詩人伝』(芸術新聞社,1991)所蔵本

    ・・・唐代の詩人たちがその詩の中で「故郷」というとき、実際の郷里のほかに
    首都の長安、あるいは副都の洛陽をさすことが多いが、岑参の場合は、江陵あるいは
    南陽あるいは穎陽を「故郷」といったためしはなく、彼が「家」「故園」「故郷」と
    いうときは必ず長安をさす。実際の故郷を抹消してしまいたいものが彼にはあった
    のかもしれない。/・・・

本書の「岑参」の章からの引用だが、たしかに岑参の話も興味深いけど、気になるのは前段(@_@;)
「長安」「洛陽」は「唐代の詩人たち」にとっては現在の「首都」「副都」だから、である(@_@;)

    /本来の意は、(一)自分が昔から住んでいた里の意。少し転じて(二)昔から
    かかわりを持っていた里の意。さらにそれから(三)昔、都のあった所という
    ような意にもなったが、根源はいずれも同じで、昔かかわりがあったけれども、
    今は、もう過去のことになってしまった里という意に尽きるといってよい。・・・

日本の和歌に詠まれる「故郷」について片桐洋一『歌枕 歌ことば辞典 増訂版』(笠間書院,1999)
の「ふるさと【古里・故郷】」の項の冒頭を引いたが、現在ではなく「昔、都のあった所」(@_@;)

ただ、片桐洋一は〈・・・「ふるさとは見しごともあらず斧の柄[え]の朽ちし所ぞ恋しかりける」
(古今集・雑下・友則)は筑紫での生活において親しくなった碁の友に、都に帰ってから贈った歌で
ある。永らく地方に住んでいると京都もまた「ふるさと」になるのである。・・・〉と指摘(@_@;)
小町谷照彦(訳注)『古今和歌集』(ちくま学芸文庫,2010)から当該歌を訳とともに引いておくが、
紀友則が「昔から住んでい」て現在も家があるのが「京都」だったという(一)の意だと思うけど、
「唐代の詩人たち」が「首都の長安、あるいは副都の洛陽をさす」のと同じなのだろうか(@_@;)

      筑紫に侍りける時に、まかり通ひつつ碁うちける人のもとに、
      京に帰りまうで来て遣はしける

    故里は見しごともあらず斧の柄の朽ちし所ぞ恋しかりける

       九州におりました時に、いつも出かけていっては碁を打っていた
       友人のところへ、京に帰ってきてから贈った歌

     この都はすっかり変っていて、以前の面影はありません。時のたつのも
     忘れて碁にふけっていた筑紫の生活がなつかしくてたまりません。
コメント(4) 

コメント 4

df233285

良く判らんが。ようするに今の住まいは、犯罪を犯し牢屋なのか?
by df233285 (2024-02-02 20:18) 

middrinn

失脚・左遷とかではなく単なる異動で地方へ赴任したり、
安史の乱で長安から離れざるを得なかった詩人も(^_^;)
by middrinn (2024-02-03 05:28) 

tai-yama

「霞ヶ関」は川越にもあると言う(笑)。
宇都宮は「今の都」なので、ふるさとではないっ!と。
by tai-yama (2024-02-03 19:07) 

middrinn

デアルカC= (-。- ) フゥー
by middrinn (2024-02-04 04:37) 

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