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231022読んだ本

親は一流の学者なのに「少年」の内から「茶屋遊び」してるから京都の少年非行は・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

【読んだ本】

森銑三『偉人暦(下)』(中公文庫,1996)所蔵本

伊藤仁斎の第三子である伊藤介亭を取り上げた本書の「十月二十四日 伊藤介亭」に次の件が(^_^;)

    ・・・介亭の次弟がまだ少年で、時々茶屋遊びしては帰って来る。兄さんの介亭が
    いるとはいりにくいものだから、ある時、門を潜るなり、「火事です」と叫んだ。
    介亭すぐに屋の上に登って見る。その間に部屋に入[ママ]って紛らしてしまった。
    /これに味をしめて、之からは度々、「火事です」を遣る。介亭はその都度屋根に
    上るのだ。[仁斎の第一子の]東涯の門人奥田三角が、「あまりばかばかしい」と、
    介亭に注意したら、「それは知らぬではないが、もしまことの出火の時に、例の偽りぞ
    と思って油断してはならぬから、とにかく出て見るのだ」と答えた。『イソップ喩談』の、
    「狼来れり」の少年も、村人の中に介亭先生があったなら、命を助かったかも知れない。
    /・・・

典拠を示すまでもない話だが、例えば、手元にある吉田小五郎『東西ものがたり』(中公文庫,1983
https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-01-31 )の「三百年前のイソップ物語」
に〈・・・太閤様の時代に、既に日本に「イソップ物語」の本ができ・・・〉てたとあり、伊藤介亭
はイソップ寓話を実は知っていたのかも(^_^;) なお、「童話『王様の耳は驢馬の耳』と同様の伝説
が当時[=院政期]の日本に伝えられていたらしい」と石川徹(校注)『新潮日本古典集成 大鏡』
(新潮社,1989)にも(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-01-25 )(^_^;)
タグ:歴史 列伝
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

「梶です」(梶さんと思う)と間違えてしまう可能性もあったり(笑)。
狼じゃなく、「熊来れり」だったら現実味ががりそう・・・
by tai-yama (2023-10-22 23:26) 

middrinn

熊で屋根に上るか(@_@;) 褒姒と周の幽王の『史記』の故事が
伊藤介亭の念頭にあったと考えた方が自然な気もします(^_^;)
by middrinn (2023-10-23 06:10) 

df233285

蒸し返しになりますが。渋川春海の時代に近い芭蕉の時代には。
踏み絵として使用されていた、和年紀~グレゴリオ/ユリウス
換算表などは西暦が輸入されて、とっくに換算も行われ、対応
表をコピーして松尾芭蕉も、浮世絵束にでも挟んで持っており、
南光坊天海の如くに、百年区切りの時代を辿れるように、町人
であっても、可能なようになっていたのではないでしょうか?
by df233285 (2023-10-23 12:01) 

middrinn

勉強になるので、こういった興味深い御指摘は大歓迎です(^o^)丿
たしかに、渋川春海の貞享暦は「貞享2年1月1日(1685年2月4日)
に宣明暦から改暦され」たとありますから(wikiの同項)、元禄2年
(1689年)に芭蕉もたしかに知ってた可能性はありますね(^_^;)
ただ、もしそうなら、芭蕉以外にも西行ファンはいたわけですから、
〈西行五百年忌追善和歌〉を詠む人がいてもいいのに、それが無い
ということは六百年忌になるまで知られてなかった可能性も(^_^;)
by middrinn (2023-10-23 15:54) 

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