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230226読んだ本

内容的価値を考慮せずキレイか汚いか新しいか古いかで値を決めるブックオフ的基準が日本をダメに(@_@;)

【読んだ本】

河添房江『唐物の文化史 舶来品からみた日本』(岩波新書,2014)所蔵本

藤原良経(九条兼実の子)は「漢詩文の造詣も深」いとされてて、例えば、村山修一『藤原定家』
(吉川弘文館人物叢書,1962→1989新装版)は「九条家の漢学熱と定家への影響」という見出しで、
次のように記している(同書58~59頁)(@_@;)

    ・・・和歌のみならず、九条家では漢学に対する関心も極めて高いものがあった。
    ・・・良経も文章博士藤原親経について漢詩文を修め、『詩十体』という書を
    あらわした。いま伝わらないので書物の内容は明らかでないが、漢詩について
    十体を考えた点が、定家の歌の十体論に何等かの影響を与えたであろうことは
    充分察せられる。・・・

小山順子『コレクション日本歌人選027 藤原良経』(笠間書院,2012)の巻末に「付録エッセイ」と
称して塚本邦雄「心底の秋」(同『日本詩人選23 藤原俊成・藤原良経』[筑摩書房,1981]所収)が
抄録されていて、「良経百首中の佳品」について「・・・一つには九条家ゆかりの漢学唐詩の造詣に
よるものもあろう。・・・」と評されてるし、小山順子も同書巻末の〈解説 「新古今和歌集を飾る
美玉 藤原良経」〉の「良経和歌の特徴」という見出しの節において藤原良経の「和歌表現の特徴」
として〈古代・古典世界への憧れ〉と〈漢詩文への関心〉の「二点」を挙げ、後者について次のよう
に記している(@_@;)

    /当時の貴族にとって、漢学は必須教養であり、『新古今和歌集』の表現にも
    漢詩文の影響は深く根ざしている。特に良経には、摂関家という環境に育った
    背景がある。巧みに漢詩文の教養を用い、しかもそれが和歌的な表現に自然に
    溶けこんだ和歌を詠んでいる。・・・

藤原良経の「漢詩文の教養」が「和歌的な表現に自然に溶けこんだ和歌」として、おそらく小山順子
の念頭にあるのが同書の九番目の和歌「夜のうちも寝られぬ奥山に心しをるる猿の三叫び」で、その
解説中に次の一文があったキタ━━━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━━━!!!!

    ・・・/しかし特に重要であるのは、この歌には白居易作の「長恨歌」の一節
    「夜ノ雨ニ猿ヲ聞ケバ腸ヲ断ツ声」が踏まえられているということである。・・・

同書を読む限り、本当に和歌の研究者なのか怪しく、書道に関する教養も無ければ引き算もできない
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-02-25 )小山順子は白居易(白楽天)の
「長恨歌」を読んでない疑惑まで浮上オホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ! 「長恨歌」には「夜ノ雨ニ猿ヲ聞ケバ
腸ヲ断ツ声」など無く、原文だと「夜雨聞鈴腸断声」となってるように「猿」じゃなく「鈴」(^_^;)
おそらく藤原良経は、当時の『白氏文集』所収の「長恨歌」ではなく、『和漢朗詠集』に入っていた
「長恨歌」の詩句「夜ノ雨ニ猿ヲ聞ケバ腸ヲ断ツ声」を踏まえた、と推定する方が合理的かと(^_^;)

『和漢朗詠集』には「長恨歌」から対句が四つ採用されてるが、現在のスタンダードな『白氏文集』
の「長恨歌」とは一部の語が異なっていて、松浦友久『中国詩選 三 唐詩』(現代教養文庫,1972)
から引く(傍点は省略)(⌒~⌒)

    ・・・/平安時代には『白氏文集』が愛読されたことはよく知られているが、
    藤原公任の撰になる『和漢朗詠集』(一〇一三年ごろ成立)には、これらの
    対句の幾つかが、少しずつ違った形で収められている。テキストとしての年代
    からいえば、あるいはそのほうが本来の形だったのかも知れない。「聞鈴」は
    「聞猿」に、「花開夜」は「花開日」に、「秋雨」は「秋露」に、「孤燈」は
    「秋燈」に、「鐘鼓」は「鐘漏」になるわけである。日本の古写本にこれと
    同じ系統のものが多いのは当然であろうが、中国宋初(九八七年)に成立した
    『文苑英華』(巻三四六)が、ほぼそれと同文の「長恨歌」を収めることは、
    『朗詠集』の本文が『白氏文集』のテキストとしてかなり有力なものである
    ことを傍証している。古典作品の本文批判[テキスト・クリティーク]という
    点で、興味ある事例といえよう。/・・・

「聞鈴」と「聞猿」について御存知ないのか小山順子は同書で注記すらしてないから、同書を読んで
「長恨歌」の全文を読もうとした真面目な読者は、「猿」ではなく「鈴」に頭を悩ますことに(^_^;)

『白氏文集』の「長恨歌」は藤原良経の時代には「猿」が「鈴」となっていたことは、藤原良経より
100年ほど前の時代の大江匡房の言談を藤原実兼が筆録した『江談抄』の記事からの推論(^_^;) この
大江匡房が『和漢朗詠集』に注釈を書き入れた『朗詠江注』に依拠したと思われる『江談抄』第六の
四九「仁和寺の五大堂の願文の事」を山根對助&後藤昭雄(校注)『江談抄』(後藤昭雄&池上洵一
&山根對助[校注]『新日本古典文学大系32 江談抄 中外抄 富家語』[岩波書店,1997]所収)から
引く(同書238頁)(⌒~⌒)

    ・・・「・・・「斜谷の鈴」は、玄宗の蜀に幸せし時、斜谷の鈴の声を聴きて貴妃を
    思へり。「夜の雨に猿を聴けば腸を断つ声」の「猿」の字、「鈴」の字に改むべし。
    件の事、昔披見せしところなり」と云々。僕問ひて云はく「しかれば文集は僻事か。
    また伝写の誤りか」と。詳らかには答へず。「見るところの書尋ね記すべし。忘却し
    畢んぬ」と。/・・・

さて、さて、さ~て!引用文中の「猿」に付された脚注9(同書238頁)を引くので要注目!(^o^)丿

    日本に伝存する古写本は「猿」、宋版本系は「鈴」。匡房は版本系の本を
    見ている(太田次男)。

本題に入ると、藤原道長は、寛弘7年(1010年)に摺本の『白氏文集』を一条天皇に献上後も曽令文
からの献上本あるいはその写本を所蔵してたと思われるが、その後も長和2年(1013年)には摺本の
『白氏文集』を贈られたにもかかわらず、なぜ長和4年(1015年)にリクエストして『白氏文集』を
入手したのかという謎(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-02-24 )だが、
この「・・・摺本とは写本ではなく宋で作られた版本、いわゆる宋版・・・」(河添房江)なので、
道長は摺本の「長恨歌」が『和漢朗詠集』or「日本に伝存する古写本」の『白氏文集』のとは異なる
ことに気付いたので摺本ではない『白氏文集』を「希望して贈ってもらった」のではないかと(^^)v

    ・・・道長は「漢詩文の造詣も深」いとの[河添房江による]評価が『白氏文集』の
    「収集に力を入れていた」ことを根拠としてるなら、興味深いけどC= (-。- ) フゥー
    ・・・

と記した(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-02-23 )所以ねv( ̄∇ ̄)ニヤッ
タグ:和歌 歴史
コメント(6) 
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コメント 6

df233285

藤原道長には、書籍を置く場所が事実上、全く困らない
ほど有るし、コピーしても11世紀には著作権法が無い
のでうらやましいですよね。ちなみに、目を凝らさなけ
れば何が書いてあるのか分からないほど、汚くコピーす
るスキャナーっていうのが、大昔にC社がスキャナー、
松下電器がドライバー・アプリケーション・ソフトウェアー
をwindows7にインストして売っていたのに、気が
付きました。これは本を、コピーしたのかどうかが謎なんで、
便利ですねぇ。書籍の文字活字の美しさを楽しむ効果が全く
無いので、コピーしたpdfに、商品価値ほぼゼロなので、
文句言われそうにないし。そもそも、C社スキャナーで、
スキャンするのが「速いだけが取り得スキャン(2倍位)」
なんで、捨てる書籍の内容の、もしもの内容確認のケースの
控えに持ってこいですよ。だいたいの本は、正しいスキャナー
コピーで2時間/1冊位。これは半分。おかげで私の家の方は、
物置き本。だいぶん処分できそうで、かたずけが楽になりま
したです。名称は75dpiグレースケールpdf作成とか。
win7時代の昔のスキャナー面白い機能が有るようですね。

by df233285 (2023-02-26 22:44) 

tai-yama

ブックオフの値付け基準に内容は無いようと言ってみる(笑)。
鈴が猿になったのはなんでなんだろう?サルお方の影響とか・・・
by tai-yama (2023-02-26 23:26) 

ナベちはる

中身より見た目…
改めて考えるみると、そういう意味では本も人間と同じですね(???)
by ナベちはる (2023-02-27 01:30) 

middrinn

昔、研究会で外国の論文をスキャナーで複製して
事前に配布してくれたのは有難かったですけど、
長さん様、蔵書を自炊する気はないです(^_^;)
by middrinn (2023-02-27 05:45) 

middrinn

藤原道長も「古い」写本の内容的価値に気付いたっぽいのに(^_^;)
ブックオフも最近はネット上の相場も考慮しているように見受けられ
るので間接的に内容的価値も反映した値付けもありそうです(^_^;)
tai-yama様、この「鈴」は「宿場から宿場に走る駅伝の馬の鈴。」
(松浦友久・前掲書)のことで、駒田信二『漢詩名句 はなしの話』
(文春文庫,1982)によると〈・・・玄宗は、霖雨の降りしきる山道
の霧の中からきこえてくる駅馬の鈴の音を耳にして哀れをもよおし、
楊貴妃を思いながら、「雨霖鈴」という曲を作ったということが、
張祜(七九二?-八五二?)の七言絶句「雨淋鈴」に詠まれており、
宋の楽史(九三〇-一〇〇七)の伝奇「楊大真外伝」にも語られて
いる。ここ[=「長恨歌」]ではその鈴の音を玄宗が成都へ行く途中
できいたことにしているのである。〉由、この影響ですかね(^_^;)
by middrinn (2023-02-27 07:30) 

middrinn

( ^o^)ノ◇ 山田く~ん 座布団1枚 ♪
ナベちはる様、たしかに、人間の評価でも
見た目重視でブックオフ的ですね(^_^;)
人物評価で内容的価値を判断することは、
本以上に難しいかもしれませんが(^_^;)
by middrinn (2023-02-27 07:54) 

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