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230223読んだ本

小説の知識と小説を書く才能は別物だけど、村上龍の「小説を読んだからといって小説を書けるもの
じゃない」という発言に対して、金井美恵子が「映画だって、観てなくても撮れるわけだけど、でも、
あんなものしか撮れないでしょう。/それは確かにそうで、読まなくても小説は書けるわけですよね、
もちろん。だからお前みたいな小説になるだろうって言いたい(笑)。」と評したのには爆笑(^_^;)
金井美恵子『本を書く人読まぬ人 とかくこの世はままならぬ』(日本文芸社,1989)の付録みたいな
栞に掲載されていた武藤康史によるインタヴューでの発言から再び引用(^_^;)「あんなもの」と一蹴
されてる村上龍を始め素人なのに映画監督をや(りたが)る人が多いね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

河添房江『唐物の文化史 舶来品からみた日本』(岩波新書,2014)所蔵本

先月にはバカチンを進呈した(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-01-25
本書、読んでて面白く勉強になる件がある一方で、首を傾げたくなる件も結構あるので、今日もまた
取り上げることにする( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    ・・・/道長が書籍の収集で力を入れていたのは、ほかならぬ『文選』と
    『白氏文集』で、曽令文が献上した『五臣注文選』『白氏文集』は、道長
    の趣味にぴたりとかなうものでもあった。道長といえば、とかくやり手の
    政治家というイメージがつきまとうが、彼はおしなべて書籍の収集に熱心で、
    漢詩文の造詣も深く、みずからの作文会(詩文の会)をしばしば主催する
    文化人でもあった。・・・

藤原道長は「漢詩文の造詣も深」いとの評価は、道長作の漢詩文を吟味した上でのものかな(@_@;)
もしそうなら、河添房江は漢詩文の良し悪しが判るということなのかな(@_@;) でも、本書巻末の
「参考文献」に挙げられてる倉本一宏『藤原道長の日常生活』(講談社現代新書,2013)は〈・・・
/ただ、道長自身はあまり作詩は得意ではなかったようで、現在残されている道長製の漢詩(『本朝
麗藻』の「宇治別業の即事」「林花、落ちて舟に灑ぐ」、『逍遥公答問』の「藤花、紫綬を作る」)
も、それほど優れたものとは思えないのであるが、・・・」と道長の作った漢詩文を酷評してるけど
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-02-12 )(@_@;) 小生が思うに、
「漢詩文の造詣も深」いことと「作詩は得意ではなかった」ことは矛盾しないから問題ないか(^_^;)
今考えると、盗作将軍こと源実朝も、その辞世とされているコラージュ和歌なんか実に象徴的だけど
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-22 )、その歌は本歌取りのルール
に違反したパクリばかりゆえ小生的には「それほど優れたものとは思えない」けど、源実朝は古歌の
「造詣も深」いと評価できるかも(^_^;) 冗談はさておき、道長は「漢詩文の造詣も深」いとの評価
が『白氏文集』の「収集に力を入れていた」ことを根拠としてるなら、興味深いけどC= (-。- ) フゥー
何のこっちゃ?と思われた方は(本書も紹介してるように)道長が『白氏文集』を実は何冊もゲット
している事実に着目よオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*) なお、『白氏文集』等が一条天皇への賄賂としても
用いられていたことは本書にも「・・・舶来の漢籍を一条天皇に贈ることで、学問に関心の深い天皇
の心をつなぎ止めようとしたのであろう。/・・・唐物の漢籍が、道長と一条天皇をつなぐ贈与財と
して有効に機能していたことがうかがわれる。」と指摘されてたけど、一条天皇に献上しても道長の
手許にはまだ複数冊の『白氏文集』が存在している事実を不審に思うセンスがないと( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
チャールズ・ライト・ミルズ『社会学的想像力』ならぬ歴史学的妄想力による謎解きは後日として、
本書の次の記述も気になった(@_@;)

    ・・・/唐物への愛好について、実資と道長を比べてみると、道長が舶来の書籍の収集
    を重視したのに対して、実資に関してはそうした記事がみられない。・・・二人の価値観
    なり文化的能力の差異に由来するのか。・・・

藤原公任のような藤原氏の「本家筋の名門」ではないため道長は「家に伝来の書物がないのである」
(清水好子)が故に「舶来の書籍の収集を重視」せざるを得ないけど、小野宮家の嫡流の藤原実資は
公任以上に「伝来の書物」があっただろうから「舶来の書籍の収集」は必要が無いだけかと(@_@;)

・同じ趣味だと思っていたのに実は賄賂のためだったなんて(ノ;ω;)ノ ~┻┻ (/o\) ミドリン ナカナイデー!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-09-08
タグ:歴史
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

「漫画を読んだからと言って漫画が描ける」わけではないですね(笑)。
一条天皇に献上した白氏文集は劣化コピー品の可能性もあったり・・・
by tai-yama (2023-02-23 23:41) 

middrinn

漫画を多く読んだ方が(優れた)漫画が描ける可能性が高くなるとは言えそう(^_^;)
倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(中)』(講談社学術文庫,2009)
を見ると、寛弘7年(1010年)11月28日条に「摺本の『白氏文集』」を献上とあり、
河添房江・前掲書に「・・・摺本とは写本ではなく宋で作られた版本、いわゆる宋版で、
日本ではまだ稀少で珍重されたのである。」とありますから、大丈夫でしょう(^_^;)
by middrinn (2023-02-24 06:27) 

df233285

「藤原道長の蔵書目録」、「藤原実資の蔵書目録」とか、
残ってたとしたら、目が飛び出るほど貴重でしょうねぇ。
特に「太平広記」とか、書いてあったら私も興味津々ですが。
太平広記は北宋から、日本の陰陽寮の蔵書の書庫施設位へは、
送られてたのではと、個人的に空想はしていますが。
太平御覧の方は、多数残っていたという状況から見て、
日本の皇室にも当時の版が、多分ですが有ったんでしょうね。
by df233285 (2023-02-24 08:33) 

middrinn

「藤原道長の蔵書目録」「藤原実資の蔵書目録」、ぜひ拝見したいですねぇ(〃'∇'〃)
倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(中)』(講談社学術文庫,2009)
の寛弘7年(1010年)8月29日条に「・・・棚の厨子二双を作った。傍らに立てて、
文書を置いた。三史・八代史・『文選』・『白氏文集』『修文殿御覧』、それに様々な
道の書、『日本紀』の具書、令・律・式を具えた。合わせて二千余巻になった。」と
あり、『御堂関白記』の記述から補っても「二千余巻」は把握不可能でしょう(^_^;)
藤原行成『権記』は用いられている表現から読んでる漢詩文の推定が可能かも(^_^;)
by middrinn (2023-02-24 09:08) 

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