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220719買った本&読んだ本【バカチン】

祝ってもらって贈られたものに苦言を呈するなんて、よっぽど腹に据えかねることだったのか(^_^;)
とまれ、明日注文する予定の古本はもっとマシなものでありますよーに〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【買った本&読んだ本(バカチン)】

河北騰『歴史物語入門』(武蔵野書院,2003)

「もったいない本舗 楽天市場店」で「良い」358円(送料無料)を15日に注文して19日に追跡不可能
ゆうメールで届く(^_^;) とりあえず書き込み等は見当たらないので状態は問題ナシオン主権(^o^)丿

    第一章 栄花物語

     1 村上朝のみやび
     2 「安和の変」とは何だったか
     3 花山帝、突然の退位
     4 中の関白家の人々
     5 躍進を遂げる藤原道長
     6 自滅する伊周・隆家
     7 彰子入内から皇子生誕まで
     8 道長の栄光と栄華
     付 栄花物語の特色

    第二章 大鏡

     1 菅公と時平・忠平
     2 師輔の人柄と政治力
     3 すご腕の政治家、兼家
     4 一条朝文化と受領の娘(付)源氏物語
     5 顕信出家の事件
     6 三条帝と道長の対立
     7 道長の四人の娘たち
     8 大鏡研究の問題点

    第三章 今鏡

     1 衰退する摂関家
     2 後三条帝と近臣たちのこと
     3 輔仁親王と子の源有仁
     4 異能異才の人々
     5 和歌や歌人への関心
     6 今鏡の特色をめぐって

    第四章 水鏡

     まえがき
     1 四劫という観念について
     2 「昔は良かった」は誤った考え方
     3 仏はいつ出現するのか
     4 迷える妹の心や、あわれ
     5 素朴ながら潔い人々
     6 すぐれた達成──光仁・桓武・平城帝紀
     付、水鏡をどう評価するか

    第五章 増鏡

     はじめに
     1 後鳥羽院のこと・新古今集のこと
     2 源氏物語との関連
     3 宮廷貴族社会の退廃ぶり
     4 「とはずがたり」と増鏡
     5 動乱の中に消えた人々
     6 人の心の美しさ
     7 後醍醐帝からの長い戦乱
     8 日本の歴史物語とは──まとめ

    あとがき

例えば、山中裕編『平安時代の歴史と文学 文学編』(吉川弘文館,1981)所収の河北騰の〈藤原行成
の「権記」と栄花物語〉という論文が藤原実資の日記『小右記』を誤読してることを指摘したように
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-13 )、河北騰に対する小生の評価は
低い(^_^;) そもそも同書は山中裕の退官記念論文集で、収録論文は山中裕に献呈されたものである
はずなのに、同書の「序──平安朝文学研究の諸問題によせて──」で「このように古記録を文学風
にとらえ、人物像を見て行くことも意義あることとおもう。しかし、古記録をすべてこのように読ん
で行くことには、なお、問題もあろう。」と山中裕から苦言を呈されていた(^_^;) とはいえ、本書
を披くと、「付、水鏡をどう評価するか」(←変な節見出し)に次の件〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・この水鏡は前述したように、昭和十年ごろ、史学者によって、本文は扶桑略記
    の抄訳に過ぎず、それ以外の文献には全く依拠していない作品であると、武断的に
    評定された。それが、水鏡は価値の乏しい作品であるかのように受け止められて、
    それ以降の学者たちは、水鏡の評価を逡巡するような傾向を生んだように思われる。
    これは甚だ以て残念な趨勢であったと言えよう。/しかし、現在の学界では、水鏡の
    本文校訂も、「専修寺本」「蓬左文庫本」とも、それぞれ先ごろ完成を見たのであり、
    その本文に基づいて、安心してこの作品を読む事ができるようになった。虚心にこの
    作品を通読して見ると、意外に様々な点で、すぐれた記述や表現が数多く見出せるのが
    実感である。この際、水鏡の評価を、考え直してもよいのでは、と思う。その根拠や
    実例を挙げて、水鏡の再評価を提唱したいのが、実は本章の目的なのであった。/・・・
    
河北騰は歴史学者ではなく国文学者なので、この「現在の学界」が国史なのか国文なのか不明だし、
かつて歴史学の研究者から「・・・『水鏡』という著作は平安末期の社会を覆った偽悪趣味の産物で
あり、人間の悪魔性をもてあそぶことに異常の関心を示しつつ物された書・・・」と評されたことは
「220124読んだ本【18禁】」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-01-24 )に
書いた(^_^;) とまれ、河北騰の著作とはいえ、本書もまた「虚心に・・・通読して見ると、意外に
様々な点で、すぐれた記述・・・が数多く見出せる」かもしれないと思って購入してみた次第(^_^;)
だけど、届いた本書をパラパラ眺めてて、偶々「3 花山帝、突然の退位」の次の件に目が留まった
途端、「虚心に・・・通読」するなんて、やはり無理だと判った(ノ_-;)トホホ…

   ・・・/他方、この間にも、当時の政界は若い[花山]帝の与り知らぬ所で複雑怪奇な渦
   を巻きつつ流動を続けていた。即ち、[藤原]伊尹亡き後、関白となった[藤原]頼忠
   (実頼の子)は、娘を早く円融へ入れたが、帝寵は篤いながら皇子は生まれず、世間では
   「素腹の后」と蔭口をささやかれ、本人は勿論、頼忠の落胆は大きかった。それでも頼忠は、
   初めの内は一心に政治に力入れをしたのだが、むしろ政局は、かなり年下の[藤原]兼家の
   方に移り、動いて行く状態であった。それというのも兼家は早くから右の両統迭立の行方を
   先取りし、冷泉には娘超子を、円融には娘詮子を入内させ、幸いにもそれぞれに皇孫を得て、
   この両統の何れの場合にも安泰なように布陣をして、これら皇孫の即位の日を待ち続ける
   という方策を採っていたのである。/他には、有力な重臣として左大臣源兼明がいたが、
   藤原氏はこれを巧妙な方法で、再び親王に復し申して、政界から体よく遠ざけた。又、
   左大臣に昇った[藤原]兼通は、仲の悪い弟兼家を圧迫したが、女御にするような娘がなく、
   不満を喞ちながら病気で死去した。この頃も、頼忠は太政大臣であったが、政治に殆ど意欲
   がなく、名目だけの存在であった。・・・

「伊尹亡き後、関白となった」のは兼通で、頼忠は兼通「亡き後」ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
加えてそもそも兼通は「左大臣」になったことなんか一度もねーよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
兼通は天延2年(974年)に関白内大臣から(「左大臣」を飛び越えて)関白太政大臣になってるし、
貞元2年(977年)4月に源兼明が左大臣を辞めさせられた後、左大臣になったのは右大臣の藤原頼忠、
てゆーか、兼通は頼忠を左大臣のポストに据えるために源兼明を皇籍復帰させたと言われてるんだよ
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-18 )ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
また兼通は関白となった翌年に娘の媓子を入内させ「女御」にしてるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
タグ:歴史 古典
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

巨人(虚心)は4試合連続満塁ホームランをくらうと言う(笑)。
「コノ! バカチンガァ!!」4点なのでまさに満塁ホームラン。
by tai-yama (2022-07-19 23:25) 

ナベちはる

祝ってもらって贈られたものに苦言だなんて、よほどないと起きないですよね(◎_◎;A)
by ナベちはる (2022-07-20 01:05) 

middrinn

河北騰はバカチンのホームラン王です、と、
tai-yama様、CMが出来るかも(^_^;)
by middrinn (2022-07-20 06:29) 

middrinn

学問的良心から、黙っていられなくて、
ナベちはる様、一言したのかも(^_^;)
by middrinn (2022-07-20 06:42) 

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