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220718読んだ本【バカチン】

「新潮文庫の100冊」の小冊子を見て今年は読破できそうと思った(^_^;) 東西の文学史に名を連ねる
名作が小生の子供の頃に比べて激減し、読み易そうなエンタメ系っぽい作品が多く入った印象(^_^;)
教養人にとって日本の古典についても書いてた田辺聖子『文車日記』が消えて良・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

【読んだ本(バカチン)】

中村真一郎『日本古典にみる性と愛』(新潮選書,1975)所蔵本

本書の「23 白拍子==『平家物語』と『建礼門院右京大夫集』」の冒頭部分に驚愕ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

    /平安朝の貴族生活は、その末期、平家時代に至って、もうひとつの頂点に達した。/
    同時に、政権の実質は貴族よりも下の階級である武士に移ろうとしていた。/そうした
    新しく支配階級になろうとしていた武士は、より素朴で質実な道徳感覚の所有者であった。
    /そのような武士の性意識を、平家滅亡の叙事詩である『平家物語』のなかに、探って
    みよう。/まず「二代の后」という事件がある。ひとりの女性が、二人の帝の后に次々と
    なったのである。これを、武士の道徳の代弁者である作者は、「世の非難のまと」と
    なった事件だと述べている。しかし、この世間[←傍点]はむしろ、武士や庶民の世界で
    あっただろう。現にこの女性の父である貴族は、この事件を肯定して、「世に従わざるを
    もって狂人とす」と言っている。こちらの方の世[←傍点]は、貴族社会という意味である。
    そして貴族社会の世論は、この事件を肯定したわけである。/同じ事件が、貴族社会と、
    作者を代表とする武士社会とで、正反対の世論を作り上げたということは、この過渡期の
    道徳情況を見事に反映していて、興味深い。/・・・

藤原多子が近衛天皇と二条天皇の「二代の后」だが、『平家物語』の叙述では「この女性の父である
貴族」を除いて「貴族社会の世論は、この事件を肯定」してねーだろヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(一)』(講談社学術文庫,1979)から当該件の訳をC= (-。- ) フゥー

    ・・・[二条]天皇は[父の後白河]院の仰せに常に反対しておられたが、
    なかでもとくに人々を驚かせ、世間があげて非難申した事があった。/
    故近衛院の后で、そのころ太皇太后宮と申された方[藤原多子]は、大炊御門の
    右大臣[藤原]公能の御娘である。先帝、近衛天皇がなくなられた後は、宮廷を
    出て、近衛河原の御所に移り住んでおられた。・・・しかし、天下第一の美人
    という評判が高かったので、主上[=二条天皇]は色好みの御心で、ひそかに、
    ・・・側近を使者として宮廷の外に美人をたずねさせ、この大宮[=藤原多子]の
    ところへ艶書をお送りになった。大宮はまったく受け入れなさらない。そこで
    主上は、ただいちずにこの思いを公[おおやけ]のことにして、后としてご入内
    なさるようにと、右大臣家[藤原公能]に宣旨を下された。このことは天下に
    異例の重大事なので、公卿の会議で論議され、それぞれ意見が述べられた。/
    「まず、異国の先例を尋ねると、中国の則天武后は、唐の太宗の后で、高宗皇帝の
    継母にあたるが、太宗がなくなった後、高宗の后に立たれた事がある。これは
    異国の先例であるうえ、特別な事例である。しかし、わが国では、神武天皇以来、
    人皇七十余代に及ぶ今日まで、まだ二代の后にたたれた[ママ]という例を聞いた
    ことがない」/と、公卿たちは一同に申された。後白河上皇も、そのようなことは
    よろしくないと戒められたが、・・・

「公卿たち」は異口同音に先例が無いと「申」した、つまり、先例拘束主義の「貴族社会」は「二代
の后」に反対したわけであり、「貴族社会の世論は、この事件を肯定したわけである」は誤読(^_^;)
そもそも、「貴族社会」の「道徳感覚」「性意識」が「二代の后」を「肯定」=許容してたのなら、
藤原多子よりも前に「先例」があっていいはずだろ(^_^;) 要するに、自説・結論が先にあって、ソレ
に合うように古典作品を誤読・捏造する、という小説家の典型的な手口じゃんオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

坪内祐三「読書王ナンバー1は誰か」(ノーサイド1995年5月号「読書名人伝」特集)も「中村真一郎
といえば現代の作家の中でももっとも多読家の一人であるが、・・・」と高評してたし(でも、坪内
祐三が日本の古典について書いていた文章を小生は見たことないことに今気付いたよ)、その読書の
方法と対象範囲に圧倒されてしまい、中村真一郎は「古今東西の古典・作品に通暁」してると小生も
思い込んでたけど(⇒ https://yomunjanakatsuta-orz.blog.ss-blog.jp/2015-07-08 )、日本の古典
に関しては(丸谷才一と同様に)実は「虚名」だったことが判る記述が次々と見付かった(ノ_-;)ハア…
小説家が日本の古典について書いた本は誤読や捏造などデタラメばかりと改めて認識( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
タグ:評論 古典
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

モンゴルだったら肯定されたのに・・・
二条ハーンに改名すれば解決っ!
by tai-yama (2022-07-18 23:22) 

ナベちはる

100冊と聞くだけで、気が遠くなりそうです(^^;)
by ナベちはる (2022-07-19 01:14) 

middrinn

もしも匈奴だったら、改名して、
tai-yama様、二条単于(^_^;)
by middrinn (2022-07-19 07:14) 

middrinn

やはり、夏休みの課題でしょうね(^_^;)
ナベちはる様、今年のは可能かも(^_^;)
by middrinn (2022-07-19 07:23) 

df233285

そう言えば。コロナが日本に上陸してから、書籍の
通し読み。1冊も私はしてい無いような気がする。
by df233285 (2022-07-19 08:32) 

middrinn

図書館資料は予約数が増えたような印象があり、
予約が多くて読了できる本が減りました(^_^;)
by middrinn (2022-07-19 08:36) 

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