210318読んだ本
読書の厄介なところは、何でも怨霊・生霊で説明したくなることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
【読んだ本】
犬養廉&平野由紀子&いさら会『笠間注釈叢刊19 後拾遺和歌集新釈 下巻』(笠間書院,1997)所蔵本
「三蹟」として小野道風、藤原佐理、藤原行成が一般に挙げられるが、平安時代後期(院政期)には
小野道風ではなく兼明親王が、藤原佐理と藤原行成の3人のセットで語られていたことを先日書いた
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-08 )〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
しかし、山中裕&秋山虔&池田尚隆&福長進(校注・訳)『新編日本古典文学全集31 栄花物語①』
(小学館,1995)74頁(巻第一 月の宴)には次の件があって、同時代評価だった可能性が( ̄◇ ̄;)
・・・/左大臣には源氏の兼明と申しあげるお方がおなりになった。このお方も
醍醐の帝の皇子でいらっしゃって、源姓を賜って臣下になられたのであった。
御筆跡を何ともいわれず上手にお書きになる。道風などといった人の筆跡を、
世間ではみごとな書としてもてはやすようだが、この殿は実際いかにもみずみずしく
優雅にお書きになった。・・・
源兼明=兼明親王は貞元2年(977年)4月に皇籍復帰させられ左大臣を辞めさせられてる(^_^;) 関白
藤原兼通が、弟の兼家とはメチャ仲が悪かったから、兼家の地位はそのままにして従兄弟で右大臣の
頼忠(実頼の子)を引き上げるべく、左大臣ポストを空けるために兼明を勅によって親王に復して、
二品中務卿に祭り上げたとか(^_^;) 土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』(中公文庫,1973初版→
2004改版)は次のように叙述(^_^;) なお、原文だと「諛」は右下が「又」だが、見付からない(+_+)
・・・/[安和の変で左遷された源]高明と同様の経歴・才能を持つ兼明は、
眼前に兄[高明]の悲劇を見、さらに親王にもどされて活動を封ぜられ、
その不満をおさえがたかったのであろう。世をなげいた兎裘賦[ときゅうのふ]
という詩を作り、「君昏くして臣諛ふ(君は暗君、臣はへつらい)」という
痛烈な批判を加えている。こののち、兼明親王は嵯峨の亀山に隠居して一生を
終えた。/・・・
同じ年の10月に、兼通は病が重くなって頼忠に関白を譲った後に亡くなるが、もしかして兼明親王の
生霊(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-10 )の所為かも((;゚Д゚)ヒィィィ!
『古今和歌六帖』の撰者について色々な説があるが、兼明親王という説も有力なのが不思議(@_@;)
兼明親王は八代集に1首しか入ってないから(^_^;) その『後拾遺和歌集』の1首はメチャ有名だけど
(語句が一部異なる)、太田道灌の逸話で知られてて、兼明親王の名前を知る者は少ないかと(^_^;)
その歌を本書の訳(上山真由美)で引いておく〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
をぐらのいへにすみはべりけるころあめのふりけるひ、みのかる人のはべりければ
山ぶきのえだををりてとらせて侍けり、心もえでまかりすぎて又の日山ぶきの心
えざりしよしいひにおこせて侍けるかへりにいひつかはしける
ななへやへはなはさけどもやまぶきのみのひとつだになきぞあやしき
小倉の山荘に住んでいました頃、雨が降った日、蓑を借りる人がいましたので、
山吹の枝を折って取らせました。その人はわけもわからずに通り過ぎまして翌日、
(蓑を借りようとしたのに)山吹を渡された意味がわからなかったということを
言って寄こしてきましたので、返事として詠んで送った歌
七重八重に(あでやかに)花は咲くけれども、山吹には実の一つさえもないのが
ふしぎなことです。わが家には、お貸しできる蓑一つさえないのです。
太田道灌が非業の死を遂げたというのも、やはり兼明親王の怨霊の・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;オマエモノロワレルゾ!
【読んだ本】
犬養廉&平野由紀子&いさら会『笠間注釈叢刊19 後拾遺和歌集新釈 下巻』(笠間書院,1997)所蔵本
「三蹟」として小野道風、藤原佐理、藤原行成が一般に挙げられるが、平安時代後期(院政期)には
小野道風ではなく兼明親王が、藤原佐理と藤原行成の3人のセットで語られていたことを先日書いた
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-08 )〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
しかし、山中裕&秋山虔&池田尚隆&福長進(校注・訳)『新編日本古典文学全集31 栄花物語①』
(小学館,1995)74頁(巻第一 月の宴)には次の件があって、同時代評価だった可能性が( ̄◇ ̄;)
・・・/左大臣には源氏の兼明と申しあげるお方がおなりになった。このお方も
醍醐の帝の皇子でいらっしゃって、源姓を賜って臣下になられたのであった。
御筆跡を何ともいわれず上手にお書きになる。道風などといった人の筆跡を、
世間ではみごとな書としてもてはやすようだが、この殿は実際いかにもみずみずしく
優雅にお書きになった。・・・
源兼明=兼明親王は貞元2年(977年)4月に皇籍復帰させられ左大臣を辞めさせられてる(^_^;) 関白
藤原兼通が、弟の兼家とはメチャ仲が悪かったから、兼家の地位はそのままにして従兄弟で右大臣の
頼忠(実頼の子)を引き上げるべく、左大臣ポストを空けるために兼明を勅によって親王に復して、
二品中務卿に祭り上げたとか(^_^;) 土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』(中公文庫,1973初版→
2004改版)は次のように叙述(^_^;) なお、原文だと「諛」は右下が「又」だが、見付からない(+_+)
・・・/[安和の変で左遷された源]高明と同様の経歴・才能を持つ兼明は、
眼前に兄[高明]の悲劇を見、さらに親王にもどされて活動を封ぜられ、
その不満をおさえがたかったのであろう。世をなげいた兎裘賦[ときゅうのふ]
という詩を作り、「君昏くして臣諛ふ(君は暗君、臣はへつらい)」という
痛烈な批判を加えている。こののち、兼明親王は嵯峨の亀山に隠居して一生を
終えた。/・・・
同じ年の10月に、兼通は病が重くなって頼忠に関白を譲った後に亡くなるが、もしかして兼明親王の
生霊(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-10 )の所為かも((;゚Д゚)ヒィィィ!
『古今和歌六帖』の撰者について色々な説があるが、兼明親王という説も有力なのが不思議(@_@;)
兼明親王は八代集に1首しか入ってないから(^_^;) その『後拾遺和歌集』の1首はメチャ有名だけど
(語句が一部異なる)、太田道灌の逸話で知られてて、兼明親王の名前を知る者は少ないかと(^_^;)
その歌を本書の訳(上山真由美)で引いておく〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
をぐらのいへにすみはべりけるころあめのふりけるひ、みのかる人のはべりければ
山ぶきのえだををりてとらせて侍けり、心もえでまかりすぎて又の日山ぶきの心
えざりしよしいひにおこせて侍けるかへりにいひつかはしける
ななへやへはなはさけどもやまぶきのみのひとつだになきぞあやしき
小倉の山荘に住んでいました頃、雨が降った日、蓑を借りる人がいましたので、
山吹の枝を折って取らせました。その人はわけもわからずに通り過ぎまして翌日、
(蓑を借りようとしたのに)山吹を渡された意味がわからなかったということを
言って寄こしてきましたので、返事として詠んで送った歌
七重八重に(あでやかに)花は咲くけれども、山吹には実の一つさえもないのが
ふしぎなことです。わが家には、お貸しできる蓑一つさえないのです。
太田道灌が非業の死を遂げたというのも、やはり兼明親王の怨霊の・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;オマエモノロワレルゾ!
兼明親王な駅員さんが居たら、駅の貸し傘の入れに山吹の枝が
ささっているかも(笑)。風流だ・・・・
by tai-yama (2021-03-18 22:55)
怨霊・生霊のせい…非業・不可解な最期を迎えるのは、霊たちのかもしれませんね(;`・_・´)
by ナベちはる (2021-03-19 00:56)
( ^o^)ノ◇ 山田く~ん 特製兼明親王な駅員さんが居たら座布団1枚 ♪
tai-yama様が重複記事を出したのも、怨霊の所為オホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
by middrinn (2021-03-19 06:02)
そうなんですよね(^_^;) 不可解な出来事さえも、
ナベちはる様、全て説明が出来ちゃいます(^_^;)
by middrinn (2021-03-19 06:03)
霊ってホントに存在するんでしょうか?
でもなぁ、なんだか変なの見とこともあるし・・・
化学って万能じゃないですよね、だからこそ霊の仕業という事に
しちゃいたくなりますね!
by そら (2021-03-19 06:41)
実在するか分かりませんけど、お彼岸ですから、
お墓はキレイにしてきたいと思います(^o^)丿
科学的な説明にも限界がある時、何とか説明を
したいんでしょうけど、霊を持ち出しちゃうと
そこで科学的解明がストップしそうです(^_^;)
by middrinn (2021-03-19 06:47)
怨霊は、その霊が死人に口無しであり、言いたいことが生きている
人間に伝わらないという弱点があります。その為、その霊に代わって
言いたい事を代理で言ったことのある生きた人間は、した事がさほど
大きくなくても、健康を怨霊から願われて、長寿祝いさえ、それとなく
していただけるという”ありがたい事”も、ときとして起こり得ると認識
します。特に平安時代などとはちがって近世は、文字通り、近代・現代
に近い時代です。ので霊の力はまだまだ強く、江戸時代の有力人物
の機嫌を損ねないよう、常日頃くれぐれも注意したいものだと考えます。
by df233285 (2021-03-19 08:14)
ナルホド!( ̄◇ ̄;) 代弁すると感謝されるわけですね(〃'∇'〃)
近世で怨霊になってそうな人物は気を付けないとヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
by middrinn (2021-03-19 08:33)
怨霊、生霊ですか
私は影響を受けやすいのであまり考えないようにしています。
夢の中でうなされてしまいますから(-_-;)
by 美美 (2021-03-19 18:04)
もしうなされてたら、可愛いミミ様が助けに来てくれますよ(^o^)丿
by middrinn (2021-03-19 18:51)