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220607読んだ本

時代を異にする二人の思想と行動が瓜二つなのは、おそらく生まれ変わり・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 前夜 赤い彗星』がMXで今夜放送開始も就寝時間(´ヘ`;)

【読んだ本】

田中大喜『対決の東国史3 足利氏と新田氏』(吉川弘文館,2021)

先日の「プロローグ 足利氏と新田氏の格差」「一 格差のはじまり」「二 広がる格差」に続き、
「三 連携から対決へ」を読んだ(^^)

    三 連携から対決へ

     打倒、鎌倉幕府

      高氏[異母兄で嫡子の高義の早世で出家してた父の貞氏が当主に返り咲き、
      その死没まで足利本宗家を継承できず]と義貞の登場/幕府軍の一員として/
      高氏の決断[離叛を進言したのは伯父の上杉憲房で、高氏は三河国矢作宿で
      一門の有力者の吉良貞義に相談し同意を得た]/義貞の決断[高氏は最初に
      「足利一門」に挙兵を呼び掛け、義貞も〈高氏がもっとも頼りにする「足利
      一門」の一人〉]/呼応する東西の挙兵/

     建武政権での日々

      義貞の声望の高まり/鎌倉将軍府の発足/尊氏と義貞の軍功評価/
      建武政権下の尊氏と義貞/護良と尊氏の対立/[国司任官を契機に]
      国務経験を積む義貞[はその実務を担う人材をリクルートして新田
      本宗家の家政機関を整備]/

     死闘のはじまり

      中先代の乱/狙われた義貞/「足利一門」からの離脱/東海道と畿内の攻防/
      尊氏の逆襲/後醍醐と尊氏・義貞/

足利高氏は北条一門の赤橋久時の娘の登子と婚姻し、新田義貞は得宗家被官と目される安東重保の娘
と結婚、〈・・・婚姻関係にも両者の格差が如実に表れており、当時の新田本宗家は「足利一門」の
一員であったものの、実態としては被官に近い立場にあった・・・」(本書105頁)由(^_^;) 挙兵時
も関係性は変わらなかったけど、「鎌倉を攻め落としたことで、義貞は武家としての器量を持つこと
を証明し、その声望を高めた。このことが、やがて義貞が朝廷(建武政権)軍の総大将に抜擢され、
かつ足利氏から討伐の対象に名指しされる素地になったと考えられる。義貞は高氏の命令にしたがって
鎌倉を攻め落としたまでだったが、皮肉にもこの実績が義貞を高氏のライバルの座に押し上げていく
ことになるのである。」(本書119頁)とする(^_^;) 「狡兎死して走狗烹らる」とはチト違うから、
「出る杭は打たれる」かな(^_^;) 野心があったなら別だが、義貞に処世・保身術があれば生き残って
「足利一門」として守護大名ぐらいにはなれたのかな(^_^;) 建武政権は「高氏なし」と言われたけど
(『梅松論』)、「しかし、実際には、そうした[政権中枢機関の]ポストには就かなかったものの、
尊氏は鎮守府将軍に任官して軍事面から後醍醐を補佐していたことが明らかであり、政権の中枢から
排除されたという見方は成り立たない。」(本書125~126頁)とし、武者所は洛中警護と畿内近国の
反乱鎮圧を担う機関で後醍醐天皇の管轄下だが、政権の軍事部門の責任者となった尊氏の関与=支配
を受ける機関でもあったと考えられ、〈したがって、武者所を統轄した義貞は、尊氏とは建武政権の
官制上において、所管─被官関係にあったと理解できるのである。そしてここには、「足利一門」の
首長と被官に近い一員という、尊氏と義貞の関係が反映されているとみることもできるだろう。〉と
本書126頁は指摘しており、いつまでも「格差」は続くなぁ(^_^;) 建武元年(1334年)3月に護良親王
が尊氏に対し軍事行動を起こそうとして断念した件で『梅松論』は義貞も護良側だったとするけど、
「・・・『梅松論』の右の記述は、のちの尊氏と義貞との対立の伏線として故意に書かれたものと考え
られる。」し、6月にやはり未遂に終わった護良の軍事行動が後醍醐の意思に基づくものだったために
それを知った尊氏が後醍醐に猛抗議したと『梅松論』は伝えるが、「だが、後醍醐には、軍事面から
自身の補佐に忠実に励む尊氏を切り捨てるメリットが見当たらない。したがって、これものちの尊氏
の離叛の伏線として故意に挿入されたエピソードと考えるべきだろう。」と本書128頁は指摘(@_@;)
ただ、護良はともかく義貞のことも後に後醍醐はあっさりと「切り捨てる」ような人物だから(^_^;)
ウダダも道真を「切り捨て」たし、「この世は私のためにある」と考えてそうなとこも似てる(^_^;)
九州から再起して再入京した尊氏が比叡山に逃れた後醍醐に講和を申し入れると、その要請に応じて
後醍醐は京に戻ることになったが、「ところで、後醍醐の帰京は、義貞を見捨てる行為にほかならな
かった。『太平記』は、帰京しようとする後醍醐に対し、激怒した新田一族の堀口貞満が決死の勢い
で抗議する様子を描いている。」と本書149~150頁にある(^_^;) なお、本書巻頭掲載の新田氏系図に
「堀口貞満」が載ってなくて、本書154頁に「・・・堀口貞義(貞満の父)・・・」とあり得心(^_^;)
話を戻すと、本書150頁の次の件はチト驚いた( ̄◇ ̄;)

    ・・・/後醍醐の「裏切り」にあった義貞は、ここで「忠臣」であることを辞め
    行動に出た。すなわち、『太平記』には、貞満の抗議を受けて誤りを悟ったと
    陳弁した後醍醐は、義貞が朝敵になるのを防ぐべく皇太子恒良親王に譲位するので、
    恒良をともなって越前国へ向かうように説いたとみえる。しかしながら、この時点で
    尊氏との講和に応じた後醍醐が、義貞に対し越前国で抗戦を続けるように命じたとは
    理解しにくいため、このエピソードは事実とはみなしがたい。おそらく、義貞が
    後醍醐に対し、帰京を認める交換条件として、新天皇恒良のもと越前国で抗戦を
    続ける意思を示し、認めさせたというのが真相だろう。ここで義貞は、後醍醐と
    決別したとみられるのである。/・・・

あと、この章で小生が興味深く思ったのは、本書138~139頁と本書139頁~140頁の二つの件(@_@;)

    ・・・/それでは、直義[尊氏の弟]が義貞を討伐の対象に選んだのは、いったい
    どうしてなのだろうか。それはおそらく、義貞が鎌倉を攻め落としたことで、自らが
    武家としての器量を持つことを証明し、さらに後醍醐がその軍功を高く評価したこと
    も加わり、義貞の声望が飛躍的に高まったためと考えられる。また、後醍醐から軍功
    に相応する位階と所領を与えられたことで、義貞は声望の高まりに見合う政治的地位
    と経済基盤を築いた点も見逃せない。つまり、倒幕の戦争で挙げた軍功によって、
    義貞は建武政権のなかで足利氏(尊氏)に次ぐ武家の有力者に成長し、、足利氏を
    脅かしうる存在になっていたと考えられるのである。こうした事態を重くみた直義は、
    足利氏が主宰者となって武家政権を再建するためには義貞の排除が不可欠と判断し、
    義貞の討伐を前面に掲げて挙兵したのである。/・・・


    ・・・/尊氏との決別という義貞の決断は、これまでの足利本宗家との関係の清算、
    すなわち「足利一門」からの離脱を意味する。そもそも新田本宗家の「足利一門」
    意識(義国流清和源氏一門を、足利本宗家の当主を首長とする同族集団とみなす
    認識)は、足利本宗家との圧倒的な経済・政治的格差を背景に、足利本宗家の庇護下
    に置かれたことで醸成されたものだった。しかし、これまで述べてきたように、
    建武政権下で義貞は従四位上の位階と複数国にわたる相当数の所領を獲得し、尊氏に
    次ぐ武家の有力者に成長した。これにより、新田本宗家は足利本宗家との経済・政治
    的格差を著しく縮めることができたとみられ、足利本宗家の庇護を受ける必要性も
    なくなっていたと考えられる。こうして新田本宗家のなかでは、鎌倉末期の「氏」字
    使用の放棄を端緒とする「足利一門」意識の相対化が加速し、それが尊氏・直義から
    の「挑戦」を受けて、足利本宗家との関係の清算、すなわち「足利一門」からの離脱
    という形で実体化するに至ったと理解できよう。/・・・

征夷大将軍になることを欲していた尊氏は、持明院統(北朝)の擁立後はいつでもなれたはずなのに、
義貞を敗死させた後にやっと就任しており、征夷大将軍就任のためには「義貞を討伐の対象に選」ぶ
必要があったということはないのかな(@_@;) 秀吉は小牧・長久手の戦いで家康討伐に失敗したため
征夷大将軍になれなかったという説を前に読んだ記憶(@_@;) 義貞は一発屋が「俺はビッグだぜ!」
と勘違いしちゃった感じ(^_^;) 「後醍醐と決別した」とかマジか(@_@;) 続きを読まなきゃ(^_^;)

・田中大喜『対決の東国史3 足利氏と新田氏』(吉川弘文館,2021)

「プロローグ 足利氏と新田氏の格差」「一 格差のはじまり」

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-05-01

「二 広がる格差」

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-05-24

・植田真平『対決の東国史4 鎌倉公方と関東管領』(吉川弘文館,2022)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-02-27
タグ:列伝 歴史
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コメント 5

tai-yama

「忠臣」はやめたのに、後に尊氏討伐軍の大将として・・・・
京から鎌倉に攻める官軍はお約束の如く敗北(悲)。
by tai-yama (2022-06-07 23:38) 

ナベちはる

『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 前夜 赤い彗星』、見てみたら放送は午後10時29分からなのですね。
時間的には極端に遅すぎるわけではないですが、「この時間に寝る」という人も多いので録画が必須かもしれませんね(^^;)
by ナベちはる (2022-06-08 01:24) 

middrinn

「忠臣」をやめたのは、北陸に落ちる直前で、
tai-yama様、京から鎌倉を攻めた後(^_^;)
by middrinn (2022-06-08 04:29) 

middrinn

DVDレコーダーが壊れているために、
小生としては無理して視たのですが、
ナベちはる様、前に視た作品(^_^;)
by middrinn (2022-06-08 05:05) 

yokomi

丁度この辺りを、サラッと書いた別な本で見ていましたので、興味深く見ました(^_^)v
by yokomi (2022-06-09 22:33) 

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