220501読んだ本
ヘンリー何世とかルイ何世とか数字だけだと憶えられぬ(-ω-、) 山田ルイ53世なら・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
【読んだ本】
田中大喜『対決の東国史3 足利氏と新田氏』(吉川弘文館,2021)
本書の「プロローグ 足利氏と新田氏の格差」と「一 格差のはじまり」を読んだけど、歴史認識を
色々と改めなければ(^_^;)
足利氏系図
新田氏系図
プロローグ 足利氏と新田氏の格差
圧倒的な経済格差/所領規模の格差/鎌倉幕府の政治的地位の格差/本巻の主題/
一 格差のはじまり
1 頼朝挙兵の明暗
源頼朝の挙兵/足利義兼の帰順/新田義重の野望/義重の挫折/
2 義兼と義重の思惑
義兼と[異母兄]義清/義清と義仲/義清との[足利荘の権益をめぐる]競合
[+頼朝との血縁関係の近さ⇒義兼の頼朝への帰順]/義康と義重/
義重と藤原忠雅/
3 御家人としての歩み
足利義兼の活躍/義重の隠退[頼朝が義平後室の娘を要求も拒否して事実上失脚]
/[義重の嫡子]新田義兼の戦略/北条氏とともに/足利氏と三河国/
新田尼[義兼後室]の焦燥/
源義国(源義家の子)の正嫡は新田義重ではなく足利義康と思ってたけど、「・・・当初より義康が
義国の後継者の立場にあったとみることもできるが、このような見方は妥当ではない。というのも、
両者の母方の一族はともに京の中級貴族であり、外戚の優劣はないからである。」(本書28頁)由、
義康が在京活動で次第に周囲から後継者と見られ保元の乱での貢献で後継者の地位確立も、早世して
しまい子の義清・義兼は幼少だったために、義重が京に戻って大和源氏の源親弘の娘を妻とした縁で
後に太政大臣にもなった藤原忠雅[母は藤原家保[顕季の子]の娘で家成の姉妹、妻は家成の娘]の
支援を受けることとなり、故義康の位階(従五位下)にも並んで義国の後継者となったという(゚o゚;)
「2022年に読んだ本の中で一、二を争う面白さ」の奥富敬之『吾妻鏡の謎』(吉川弘文館歴史文化
ライブラリー,2009 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-02-21 )には「・・・
石橋山合戦に破れた頼朝たちは、海路、安房国に向かった。当時のことだから、海岸線に沿って渡航
したはずである。」、石井進『日本の歴史7 鎌倉幕府』(中公文庫,1974)にも「・・・古い東海道は
足柄峠を越え、相模の国府(大磯町付近)をすぎてからまっすぐ東へと進み、鎌倉を通って三浦半島
にはいる。半島中央部の谷間を通透かして東海岸に達し、浦賀・走水付近から東京湾口を舟で横断して
対岸に上陸し、安房・上総・下総(ともに千葉県)・常陸(茨城県)と北上する。これが古東海道の
コースであった。」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-02 )とあって、
三浦半島(相模国)から安房国へというのが通常のコースで、敗戦後の源頼朝も相模国や三浦半島の
「海岸線に沿って渡航し」て安房国へ逃れたものと思ってたけど、本書13頁には次の記述が(゚ロ゚;)
・・・しかし、二十三日に相模国の石橋山(現神奈川県小田原市)で[大庭]景親に
敗れ、海上から安房国へ逃れた。当時、伊豆国と安房国の間には、両国の国衙(国司
が政務を執る役所)をつなぐ海路が存在していた。・・・
手引きをした土肥実平の本拠の真鶴(相模国)から舟のはずで、「伊豆国と安房国の間・・・をつなぐ
海路」に合流したということか、あるいは同「海路」も相模国「海岸線に沿って」るのかな(@_@;)
だけど、国府は三島市の辺にあったから、海なら川を下って駿河湾に出るはずで、まさか伊豆半島を
ぐるっと廻る「海路」なのかな(@_@;) 国府から陸路で伊豆半島の東側まで出てからの「海路」だと
すると、奥富敬之の論証を真似て前にも書いたように〈同合戦に参加した伊豆国の武士団を見ると、
「源氏方」の北条氏や仁田氏等は「内陸」、「平家側」の伊東氏は「海岸近く」なんだけどね(^_^;)〉、
つまり、その「海路」は伊東氏など「平家側」武士団の管轄(縄張)だったりしないのかな(@_@;)
・植田真平『対決の東国史4 鎌倉公方と関東管領』(吉川弘文館,2022)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-02-27
【読んだ本】
田中大喜『対決の東国史3 足利氏と新田氏』(吉川弘文館,2021)
本書の「プロローグ 足利氏と新田氏の格差」と「一 格差のはじまり」を読んだけど、歴史認識を
色々と改めなければ(^_^;)
足利氏系図
新田氏系図
プロローグ 足利氏と新田氏の格差
圧倒的な経済格差/所領規模の格差/鎌倉幕府の政治的地位の格差/本巻の主題/
一 格差のはじまり
1 頼朝挙兵の明暗
源頼朝の挙兵/足利義兼の帰順/新田義重の野望/義重の挫折/
2 義兼と義重の思惑
義兼と[異母兄]義清/義清と義仲/義清との[足利荘の権益をめぐる]競合
[+頼朝との血縁関係の近さ⇒義兼の頼朝への帰順]/義康と義重/
義重と藤原忠雅/
3 御家人としての歩み
足利義兼の活躍/義重の隠退[頼朝が義平後室の娘を要求も拒否して事実上失脚]
/[義重の嫡子]新田義兼の戦略/北条氏とともに/足利氏と三河国/
新田尼[義兼後室]の焦燥/
源義国(源義家の子)の正嫡は新田義重ではなく足利義康と思ってたけど、「・・・当初より義康が
義国の後継者の立場にあったとみることもできるが、このような見方は妥当ではない。というのも、
両者の母方の一族はともに京の中級貴族であり、外戚の優劣はないからである。」(本書28頁)由、
義康が在京活動で次第に周囲から後継者と見られ保元の乱での貢献で後継者の地位確立も、早世して
しまい子の義清・義兼は幼少だったために、義重が京に戻って大和源氏の源親弘の娘を妻とした縁で
後に太政大臣にもなった藤原忠雅[母は藤原家保[顕季の子]の娘で家成の姉妹、妻は家成の娘]の
支援を受けることとなり、故義康の位階(従五位下)にも並んで義国の後継者となったという(゚o゚;)
「2022年に読んだ本の中で一、二を争う面白さ」の奥富敬之『吾妻鏡の謎』(吉川弘文館歴史文化
ライブラリー,2009 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-02-21 )には「・・・
石橋山合戦に破れた頼朝たちは、海路、安房国に向かった。当時のことだから、海岸線に沿って渡航
したはずである。」、石井進『日本の歴史7 鎌倉幕府』(中公文庫,1974)にも「・・・古い東海道は
足柄峠を越え、相模の国府(大磯町付近)をすぎてからまっすぐ東へと進み、鎌倉を通って三浦半島
にはいる。半島中央部の谷間を通透かして東海岸に達し、浦賀・走水付近から東京湾口を舟で横断して
対岸に上陸し、安房・上総・下総(ともに千葉県)・常陸(茨城県)と北上する。これが古東海道の
コースであった。」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-02 )とあって、
三浦半島(相模国)から安房国へというのが通常のコースで、敗戦後の源頼朝も相模国や三浦半島の
「海岸線に沿って渡航し」て安房国へ逃れたものと思ってたけど、本書13頁には次の記述が(゚ロ゚;)
・・・しかし、二十三日に相模国の石橋山(現神奈川県小田原市)で[大庭]景親に
敗れ、海上から安房国へ逃れた。当時、伊豆国と安房国の間には、両国の国衙(国司
が政務を執る役所)をつなぐ海路が存在していた。・・・
手引きをした土肥実平の本拠の真鶴(相模国)から舟のはずで、「伊豆国と安房国の間・・・をつなぐ
海路」に合流したということか、あるいは同「海路」も相模国「海岸線に沿って」るのかな(@_@;)
だけど、国府は三島市の辺にあったから、海なら川を下って駿河湾に出るはずで、まさか伊豆半島を
ぐるっと廻る「海路」なのかな(@_@;) 国府から陸路で伊豆半島の東側まで出てからの「海路」だと
すると、奥富敬之の論証を真似て前にも書いたように〈同合戦に参加した伊豆国の武士団を見ると、
「源氏方」の北条氏や仁田氏等は「内陸」、「平家側」の伊東氏は「海岸近く」なんだけどね(^_^;)〉、
つまり、その「海路」は伊東氏など「平家側」武士団の管轄(縄張)だったりしないのかな(@_@;)
・植田真平『対決の東国史4 鎌倉公方と関東管領』(吉川弘文館,2022)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-02-27
足利市?ん、こ、これは・・・栃木に新田市がないと言う時点で
相当な格差が(笑)。芸能人だと新田姓が多い様な気も。
by tai-yama (2022-05-01 23:27)
歴史上の「~○世」、なかなか憶えられないですよね。
「山田ルイ53世」以外は「ルパン三世」ぐらいかなと…(^^;A)
by ナベちはる (2022-05-02 01:21)
訂正させて頂きましたm(__)m 新田は、
tai-yama様、群馬にあるのかも(^_^;)
by middrinn (2022-05-02 05:40)
たしかに、ルパン三世は知られてますが、
ナベちはる様、それ以外のルパン数人が
何世なのかは知らない人もいそう(^_^;)
by middrinn (2022-05-02 05:56)
海路が平家側の縄張だとすれば、海岸線ではなく沖の、三浦半島が辛うじて見える辺りを東進したのかも知れませんね。
by yokomi (2022-05-02 22:41)
「伊豆国と安房国の間には、両国の国衙
(国司が政務を執る役所)をつなぐ海路」
は、そもそも関係ないような気が(^_^;)
by middrinn (2022-05-03 05:57)