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220430読んだ本

陰謀論とか呪いとか、その手の話は信じてないけど、明日、まさか、まさたか・・・ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
オリの一軍で活躍中の選手が次々と陽性判定となり戦線離脱を余儀なくされているが、不思議なのは
大活躍した選手が翌(々)日に無症状で陽性判定となること(@_@;) 黒木優太(トミー・ジョン手術
からの復活セーブを挙げた翌々日)、頓宮裕真(猛打賞翌日)、佐野皓大(逆転スリーラン翌日)、
阿部翔太(無死満塁で登板して無失点に抑えた翌日)、杉本裕太郎(長打を含むマルチ安打でラオウ
復活の兆しが見えた翌日)といった面々で、今日2打席連続ホームランの主砲吉田正尚が心配(@_@;)

【読んだ本】

犬養廉(校注)『新潮日本古典集成 蜻蛉日記』(新潮社,1982)所蔵本

柿本奨『日本古典評釈・全注釈叢書 蜻蛉日記全注釈』(角川書店,1966)上巻の訳に、和歌を補って
引くv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    ・・・/月夜の頃、気まずい話になって、こまやかな話を語り合った昔が思い出されて、
    いやになってきたので、こんな歌が口から出た。

     [作者]曇り夜の 月とわが身の ゆくすゑの おぼつかなさは いづれまされり

          曇り夜の月は、見えないので気にかかるものですが、それと、
          わが身のゆくすえと、頼りなさは、どちらが上でしょう。

    返事に、茶化したように、

     [兼家]おしはかる 月は西へぞ ゆくさきは われのみこそは 知るべかりけれ

          察するに月は西へ行く、そなたにはわからぬかもしれぬが、
          わたしだけは知っている。──そなたの将来も、このわたしだけは
          承知のつもりだ、よけいな心配をせず、任せておきなさい。

    などと言って、頼もしそうに見えるけれども、・・・

同書刊行後に「月夜のころ、よからぬ物語して」という件についておかしなことを言い出した注釈書
があることを本書の頭注を読んでて知った( ̄◇ ̄;) 句読点は原文ママで返り点は略して引く(^_^;)

    「よからぬ」は、話の内容とみる。ただし。「莫対月明思往事」(『白氏文集』巻十四、
    贈内)、「月の顔見るは忌むこと」(『竹取物語』)などから、月明のもとで語り合う
    行為自体を「よからぬ」、すなわち不吉なことと見る考え(『全集』)もある。

「月明のもとで語り合う行為」が「不吉」だと∑( ̄ロ ̄|||)ニャンじゃそりゃ!? 「『全集』」とは
木村正中&伊牟田経久(校注・訳)『蜻蛉日記』(松村誠一&木村正中&伊牟田経久[校注・訳]
『日本古典文学全集9 土佐日記 蜻蛉日記』[小学館,1973]所収)のことで、おそらく内容は同一の
木村正中&伊牟田経久(校注・訳)『蜻蛉日記』(菊地靖彦&木村正中&伊牟田経久[校注・訳]
『新編日本古典文学全集13 土佐日記 蜻蛉日記』[小学館,1995]所収)を確認したので、同書129頁
の頭注12&現代語訳を引くヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

    月を見ながら兼家と語り合ったことを、俗信に従って縁起が悪いと考えた。
    この俗信は主に「月明ニ対シテ往事ヲ思フコト莫カレ」(白氏文集)の詩句
    を通して広まったという。

    ・・・/月夜のころ、月の光を浴びながら語り合うなど不吉なことだが、・・・

なお、木村正中&伊牟田経久(校注・訳)『完訳 日本の古典 第十一巻 蜻蛉日記』(小学館,1985)
も「月を見ながら兼家と語り合ったことを、俗信に従って、縁起が悪いと考えた。」と脚注に記し、
「月夜のころ、月の光を浴びながら語り合うなど不吉なことだが、・・・」と訳す((;゚Д゚)ヒィィィ!

「月明のもとで語り合う行為」とは「月の光を浴びながら語り合う」ことだし、しかも、「月の光を
浴びながら」がポイントだろうから、犬養廉も他説は正確に紹介しないと(^_^;) この『新全集』は、
頭注での説明と現代語訳に齟齬があるね(^_^;) 「月を見ながら」(頭注)と「月の光を浴びながら」
(現代語訳)は、「月を見」ずに「月の光を浴び」ることもあるのだから、イコールではない(^_^;)
『新全集』の凡例には「本書の本文、頭注、現代語訳は、木村正中・伊牟田経久両名の緊密な連絡・
討議に基づくものである。」(同書85頁)とあるけど、これが本当なら二人とも見落としたか(^_^;)
頭注の「月を見ながら」云々は作者=藤原道綱母が月(の行方)を見ようとする歌を詠んでる以上、
この件には当てはまらないかと(^_^;) 現代語訳の「月の光を浴びながら」云々は、そんな「俗信」は
存在しないかと(^_^;) 『更級日記』を例に月光に当るのも良くないとする研究者もいるが、誤読だし
常識的にありえないかと(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-04-20 )(^_^;)
『全集』の現代語訳を受けてか、上村悦子(全訳注)『蜻蛉日記(上)』(講談社学術文庫,1978)は
「月夜のころ、月光を浴びながら語り合うなど不吉なことをするにつけても、・・・」と訳した上に
「よからぬ物語」の語釈で次のように記していたエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

    月光を浴びつつ物語をするのは不吉とされた。中国伝来のもの。

元々の〈月を見る〉ことには言及すらしてないし、また中国は広く歴史もあるから、そーゆー俗信も
存在する可能性はあるけど、根拠も示さずに「中国伝来のもの」とは研究者として無責任かと(^_^;)

今西祐一郎(校注)『蜻蛉日記』(長谷川政春&今西祐一郎&伊籐博&吉岡曠[校注]『新日本古典
文学体系24 土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』[岩波書店,1989]所収)は、「よからぬ物語
して」に付された脚注19に「(兼家を相手に)自分の不幸を話題にして。」(同書67頁)と(⌒~⌒)
タグ:中国 和歌 古典
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コメント 6

ナベちはる

無症状での陽性反応、本人も周りも「罹っている」とは思わないのでそこからいろいろな場所へ広まっていきそうで怖いですね(◎_◎;A)
by ナベちはる (2022-05-01 02:33) 

middrinn

大活躍した選手は他の選手とグータッチしたり、
接触することが多いですからねヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
by middrinn (2022-05-01 05:41) 

df233285

人工衛星はその昔、人工の月と言われ、ヨーロッパに近い
某国から爆弾を積んで飛んでくるかもしれないと言われて、
西から昇り東へ沈むのを、夕方良く見た。風船も有ったけど。
東へ行く月の例外から、某国の核弾頭を思い出し、その国が
崩壊した後人工衛星学から、すっかり遠ざかっている自分の
おかしさに、昨今の世界情勢をも再認識して急に気がついた。

by df233285 (2022-05-01 11:57) 

middrinn

西へ行く月は(菅原道真は違いましたが)極楽浄土に向かっているとして
羨ましがられましたけど、東へ行く人工の月にはどうなんでしょう(^_^;)
by middrinn (2022-05-01 14:25) 

tai-yama

「黄金バット」もオープニングで月をバックに・・・・
平安時代なら悪者扱いだったとは!
by tai-yama (2022-05-01 23:20) 

middrinn

月光仮面はどうなるんでしょう(^_^;)
by middrinn (2022-05-02 05:09) 

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