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220406読んだ本

『枕草子』で最も有名な章段に不審なシーンがあるが、疑問に思った研究者がいないのも不審(@_@;)

【読んだ本】

池田亀鑑『平安朝の生活と文学』(角川文庫,1964)所蔵本

そのシーンがある章段を萩谷朴『枕草子解環 五』(同朋舎出版,1983)の口訳で先ずは引く(@_@;)

    /雪が、随分高く降り積もってるのに、いつもより早く御格子をお下げして、
    角火鉢に火を熾こして、(女房たちは)話し合ったりして、多勢控えてる時、
    中宮「少納言や、香炉峯の雪は、どんなふうかしらね」
    とおっしゃったので、(女官に)御格子を上げさせて、(私が)御簾を高く
    巻き揚げたので、(中宮様は)にっこりとなさる。女房たちも、
      「そういう文句は知ってるし、朗詠したりなんかするのに、(今は)全く
       思いつきもしなかったわ。やっぱり、この宮にお仕えする女房としては、
       そうあるべきなんでしょう」
    という。/

白居易(白楽天)の「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」を「女房たち」が「そういう文句は知ってるし、
朗詠したりなんかする]と語っているが、池田亀鑑も「・・・女子は、漢才つまり学問[=漢学]と
いうものは、必ずしも必要ではない、むしろ敬遠すべきものであるとされているようです。」と本書
で指摘していたように、この「女房たち」が漢詩文を「知ってる」というのは変ではないか(@_@;)

その例証として池田亀鑑が本書で挙げているのは、『紫式部日記』や『大鏡』の各記述で、例えば、
宮崎莊平(全訳注)『紫式部日記(下)』(講談社学術文庫,2002)の現代語訳で引くと、

    ・・・もう片方の(厨子)には、漢籍の類(が入れてあり、それを)特に大切に
    所蔵していた夫[藤原宣孝]も亡くなった後は、手を触れる人も別におりません。
    それら(の漢籍類)を、あまりの寂寥に耐えられないような時に、(私が)一冊
    二冊と(厨子から)引き出して見ていますのを、(家の)侍女たちが寄り集まって、
    /「奥様はこのようでいらっしゃるから、お幸せが薄いのです。いったい、どういう
    女の人が、漢文の本などを読むのでしょうか。むかしは(女性が)お経を読むのさえ、
    人は制止しました。」/と、蔭口を言うのを聞きますにつけても、・・・

保坂弘司『大鏡全評釈 下巻』(學燈社,1979)の口訳で例証とされる『大鏡』の記述も引く(@_@;)

    ・・・この[定子を始めとする]姫君たちの御母[で藤原道隆の]北の方
    〔貴子さま〕は、あの有名な高内侍ですよ。・・・この内侍は本格的な
    [漢]詩人で、清涼殿のご詩宴には[漢]詩を奉られたということですよ。
    なまじっかな男子よりはすぐれているという評判でしたよ。・・・「女が
    あまり[漢学の]学才のすぐれているのは、なんとなくいけないものだ」
    と世間の人々が申すようですが、この高内侍がたいへんひどく零落なさった
    のも、そのせいだと感じられたことです。・・・

このような状況なのに女房たちが漢詩文を「知ってるし、朗詠したりなんかする」とは不審(@_@;)

ところが、萩谷朴(校注)『新潮日本古典集成 枕草子 下』(新潮社,1977)、石田穣二(訳注)
『新版 枕草子 下巻 付 現代語訳』(角川文庫ソフィア,1980)、前掲『枕草子解環 五』、上坂信男
&神作光一&湯本なぎさ&鈴木美弥(全訳注)『枕草子(下)』(講談社学術文庫,2003)を見ても、
この点の指摘は無く、そもそも論点にすらなっていない様子(@_@;) また前掲『枕草子解環 五』は
「さることはしり」(=「そういう文句は知ってるし」)の語釈で、

    ・・・右の白詩は、第三・四句が『和漢朗詠集』巻下山家に収めるほど、
    当時の人口に膾炙する有名な文句であった。

前掲『枕草子(下)』も「香炉峰の雪」を〈・・・「遺愛寺ノ鐘ハ[枕ヲ欹テテ聴キ、香炉峰ノ雪ハ
簾ヲ撥ゲテ看ル。]」の一聯の詩句は『和漢朗詠集』巻下、雑、「山家」にも採られていて、当時
著名な詩句であった。〉と語釈で解説しているけど、菅野禮行(校注・訳)『新編日本古典文学全集
19 和漢朗詠集』(小学館,1999)の巻末の「解説」には次のようにある(@_@;)

    ・・・/『朗詠集』の成立年代については、はっきりしたことはわからない。
    現在のところ、寛弘の末年、すなわち長和元年から寛仁年間(一〇一七~二一)
    にかけてと推定されている。・・・

『枕草子』の上記シーン、萩谷朴は正暦5年(994年)の冬と推定しており(ちなみに、定子は長保2=
1000年に崩御)、『和漢朗詠集』の成立前の出来事(@_@;) 仮に『和漢朗詠集』に収録される前から
この漢詩句が「当時の人口に膾炙」していたとしても、あくまでも男性の間だけではないか(@_@;)
もし「女房たち」の「人口に膾炙」していたとするなら、池田亀鑑が言うような、当時の女性たちは
漢文の本など読まないし、むしろ敬遠していた、という一般的な理解を修正すべきであろう(@_@;)
修正しないのであれば、「女房たち」は見栄を張って知ったかぶりしたと注釈を・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

・「白詩の世界」を「再現する」なら、清少納言は白居易の如く「寝たまま」御簾を上げないと(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-04-04
タグ:古典 随筆 中国
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

フレーズみたいな感じで一部分は知っているとかの想定とか(笑)。
「漢詩を知っているとは。それは感心。」と定子に言われたり。
by tai-yama (2022-04-06 23:48) 

ナベちはる

あまりに有名過ぎると、疑問が出ても「このシーンはそういうもの」と思っていたりしていそうです…((+_+))
by ナベちはる (2022-04-07 02:13) 

middrinn

もしシャレのおつもりならば、
tai-yama様、イマイチ(^_^;)
by middrinn (2022-04-07 04:55) 

middrinn

この章段では、清少納言の機知の方ばかりに、
ナベちはる様、注目しちゃいますしね(^_^;)
by middrinn (2022-04-07 05:19) 

df233285

口訳を見る限り、清少納言が仕える中宮だけが特異で、
「この家に仕える女房だけはそうあるべき」と、中宮の
女房が、中宮に「よいしょ」しているように私には
読み取れますが。解環書等での指摘無しについて、確かに
従来論壇には、手抜きが横行していたなと感じました。
時代は下りますが「仕える主人に合わせる話」として
は、藤原定家の姉の『たまきはる』の話の調子が連想。
「女が将棋を指すなどは不幸の始まり」が鎌倉初には普通?
by df233285 (2022-04-07 08:05) 

middrinn

高内侍、定子、定子の妹たちは、皆女性なのに漢詩文に優れていた人々でしたから、
「女房たち」も同じような異端な女性を意図的に集めた逸脱者集団なのかも(^_^;)
「女房たち」の上記発言は、そのことを再認識し自覚を促したものだったり(^_^;)
新日本古典文学大系に入っているようですけど、『たまきはる』は未読です(^_^;)
by middrinn (2022-04-07 09:40) 

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