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220402読んだ本【バカチン】

オリックス・バファローズ2022年キャッチフレーズ「全員でW(笑)おう!!」オホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

【読んだ本(バカチン)】

尾崎雅嘉(著)古川久(校訂)『百人一首一夕話(上)』(岩波文庫,1972)所蔵本

小沢正夫&後藤重郎&島津忠夫&樋口芳麻呂『袋草紙注釈 上』(塙書房,1974)による訳を和歌2首を
補って引くが、原文では「出づ」と「そら」に傍点あり(^^)

    ・・・/平兼盛が駿河守であった時に、その国の一人の女が、自分の夫が隣国の伊豆に
    新しい女をつくって帰って来ないことを訴え出た申し文の端に、兼盛が書きつけた歌、

     よこはしる 清見が関に せきすゑて いづてふことは ながくとどめよ

     ──清見の関所をしっかりと固めて、夫が伊豆に出づということを永久にとどめて
       下さいませ。

    その時源重之が陸奥から京都に帰る途中で兼盛の家に宿り、女にかわって前の歌に答えた。

     せきすゑぬ 空に心の かよひなば 身をとどめても かひやなからん

     ──関なんか作れない大空をうわのそらの心が飛んでいくのですから、そんな男の
       身柄だけを拘束しても何の役にもたちません。

    /・・・

藤岡忠美(校注)『新日本古典文学大系29 袋草紙』(岩波書店,1995)は兼盛詠に〈「よこはしる」
は相模国(神奈川県)足柄郡の横走りの関。その関を越えた駿河国(静岡県)清水市に「清見が関」
があり、この両関を固めて南方の「伊豆」へ「出づ」ることを止めさせよという。また「横走る」に
は邪まな道を行く意があり、夫の浮気を揶揄している。〉、重之詠に「上の句の意は、関の置けない
天空を夫の心は上の空になって飛んでいくのですから。」と脚注で解説するv( ̄∇ ̄)ニヤッ 歌も含めて
字句に異同はあるも、その詞書から『袋草紙』と同内容の遣り取りが、それぞれの家集に入ってて、
『兼盛集』のは藤岡忠美「平兼盛伝記考」(同『平安和歌史論 三代集時代の基調』[桜楓社,1966]
所収)で、『重之集』のは目崎徳衛『百人一首の作者たち』(角川ソフィア文庫,2005)や志村有弘
『説話文学の構想と伝承』(明治書院,1982)で、それぞれ引用・紹介されている___φ( ̄^ ̄ )メモメモ
『袋草紙注釈 上』&『袋草紙』の各本文や『袋草紙』に収録の原文を見れば、「于時重之、・・・女
ニカハリテ和之」(時に重之、・・・女にかはりてこれに和す)とあるので、「よこはしる」の歌を
詠んだのが「女」ということはありえず、平兼盛の詠と読み取れるはず(^_^;) 『袋草紙注釈 上』は
〈・・・兼盛の歌が女の立場でよまれ、重之の歌は国司または第三者の立場でよまれたとみたい。そう
とすれば「ほかの女にのぼせ上がって『心ここにあらず』という男なんか、さっさとあきらめよ〉と
いう意となり、はるかに風刺的・現実的である。〉と補説で述べている〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

さて、さて、さ~て!本書の「平兼盛」から本文の一部&挿画の文の一部を順に引くヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

    ・・・駿河守に任ぜられてその国におもむかれたり。さてかの国の守[かみ]たりし時、
    或女その夫が伊豆国にて異妻[ことづま]をまうけて帰り来ぬ由を、国の守たる兼盛に
    訴へ出でたる申文に書きつけたる歌、

     よこばしる清見が関に関据ゑていづらふ事は永く留めよ

    と詠めり。その折しも源重之陸奥より都に上ぼるとて兼盛の館に宿り居られしが、この
    申文の歌を見てかの女に返しせられたり。

     関据ゑぬそらに心の通ひなば身を留めてもかひやなからん

    これはいと興ありし事なりけるにや、[藤原]清輔も袋草子に記し置かれたり。・・・


    ・・・/古へは兼盛なんどいへる歌人の国の守に任じて下られし程に、訴へ文に
    歌詠みて奉る者もありけり。[紀]貫之が土佐守なりしをも思ひやるべし。/

・『百人一首一夕話』は注釈が無いので江戸時代だけでなく現代でも誤った情報を垂れ流してる(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-01-10

・月岡芳年がパクった『百人一首一夕話』の挿画に尾崎雅嘉が書いた歌はミスマッチじゃんヾ(`◇´)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-01-12

・『百人一首一夕話』の「西行法師」の項があまりに間違いだらけなので遂にバカチン発動ヾ(`◇´)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-02-09

・照れ隠しっぽく「馬が連れて来たんだよ」と平兼盛、嬉しいくせにスネてみせる兵衛の君(〃'∇'〃)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-02-18

・平兼盛は「老境にある男」、兵衛の君は「老女」、そして、ついに馬まで「老馬」に((;゚Д゚)ヒィィィ!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-03-29
タグ:古典 和歌
コメント(6) 
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コメント 6

ナベちはる

「w」は笑うという意味がネット用語でありますが、あそこから来ているのでしょうか…???σ(゜゜)
by ナベちはる (2022-04-03 02:08) 

middrinn

らしいですよ(^_^;) またVは勝利の意でVが二つで連覇だそうです(^o^)丿
by middrinn (2022-04-03 05:59) 

df233285

なるほど。一条天皇の頃、今から1025年程度前は。
東北地方は朝廷重臣をどんどん派遣して、柵の守りを
固めなければ危ない、朝廷にとって真面目統治が必要な
厳しい状況であったが。東海地方の治世は、熱海の
ごとくの温泉気分だったようですね。参考になりました。
by df233285 (2022-04-03 09:43) 

middrinn

目崎徳衛『平安文化史論』(桜楓社,1968)所収の「源重之について──摂関期に
おける一王孫の生活と意識──」という論文の「実方と陸奥国」では、藤原実方が
陸奥守として赴任させられたのは、一般に左遷とされて、一条天皇の「歌枕見テ
マイレ」という言葉も語られますが、その史料性に留保しつつも『今昔物語集』の
記述を引いて、おっしゃる通り、「国守が風流行脚にのみふけりうるほど、当時の
現地情勢は平穏ではなかった」と、「陸奥の在地情勢」を論じてましたよ(^_^;)
なお、平兼盛が駿河守になったのは天元2年(979年)なので円融朝です(^_^;)
by middrinn (2022-04-03 11:02) 

tai-yama

「そんな男は捨てて私とつきあいなさい」と詠んでみたひ(笑)。
by tai-yama (2022-04-03 23:34) 

middrinn

セクハラを受けたと都へ訴へ文が(^_^;)
by middrinn (2022-04-04 06:58) 

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